
無銘(波平) - Mumei(Naminohira) - 1-114
¥935,000
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Muromachi
仕様
65.3 cm
2.4 cm
2.68 cm
2.18 cm
刃長65.3センチ 反り2.4センチ 元幅26.8ミリ 元重ね6.3センチ 物打幅21.8ミリ 物打重ね4.8ミリ 横手位置幅16.8ミリ 松葉先重ね3.4ミリ 裸身重量546グラム 拵に納めて鞘を払った重量891グラム 室町前期 The early period of Muromachi era 昭和44年5月8日 東京都登録 附属 梨地塗鞘陣太刀拵、銀はばき 平安時代後期、正國なる刀工が大和から薩摩国谷山郡波平の地に来往して波平派の祖となると伝え、その子を行安と言い、以後、その流れは幕末新々刀期に迄及んでいます。 同派の中でも南北朝期を降らぬ刀工及びその作刀を総称して古波平と言い、その作風は大和気質が強く窺えるものであるが、鍛えがねっとりとして軟らか味を帯び、刃文は匂口が潤みごころで、はばき元を焼き落とすなどの諸点に特色があります。 猪股近平六則綱や畠山重忠の佩刀が波平の作であったことが『源平盛衰記』に記されているように、波平の刀は古くから戦場で高い評価を得ていました。 また、荒れた海を鎮めるために波平の太刀を海中に投じたところ、風雨が収まったという伝説があり、舟戦を専らとする武士の波平信仰は近代まで受け継がれており、因島の村上水軍の重宝も鎌倉後期に鍛えられた波平行安でした。 この太刀は、室町前期に活躍した波平一派の作で、大磨上ながらも今なお力強い踏ん張りを保ち、切先はやや延びた鋭利な姿をとどめています。地鉄は小板目が総体に流れて柾肌を呈し、淡く白気映りが立つ中に地沸がつき、さらに地景が細やかに入り、古名工の気配が静かに漂います。刃文はやや狭めの中直刃で、匂口は深く、鋩子は直ぐに入り先で丸く返る端正な出来映えです。 附属する陣太刀拵は、唐草を片切彫で表した落ち着きある作ですが、太鼓革には土佐藩・山内家の家紋である土佐柏紋が刻され、品格を添えています。鐔鳴りがみられる点を除けば、柄にがたつきもなく堅牢で、総じて健全と言えましょう。

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Muromachi
65.3 cm
2.4 cm
2.68 cm
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刃長65.3センチ 反り2.4センチ 元幅26.8ミリ 元重ね6.3センチ 物打幅21.8ミリ 物打重ね4.8ミリ 横手位置幅16.8ミリ 松葉先重ね3.4ミリ 裸身重量546グラム 拵に納めて鞘を払った重量891グラム 室町前期 The early period of Muromachi era 昭和44年5月8日 東京都登録 附属 梨地塗鞘陣太刀拵、銀はばき 平安時代後期、正國なる刀工が大和から薩摩国谷山郡波平の地に来往して波平派の祖となると伝え、その子を行安と言い、以後、その流れは幕末新々刀期に迄及んでいます。 同派の中でも南北朝期を降らぬ刀工及びその作刀を総称して古波平と言い、その作風は大和気質が強く窺えるものであるが、鍛えがねっとりとして軟らか味を帯び、刃文は匂口が潤みごころで、はばき元を焼き落とすなどの諸点に特色があります。 猪股近平六則綱や畠山重忠の佩刀が波平の作であったことが『源平盛衰記』に記されているように、波平の刀は古くから戦場で高い評価を得ていました。 また、荒れた海を鎮めるために波平の太刀を海中に投じたところ、風雨が収まったという伝説があり、舟戦を専らとする武士の波平信仰は近代まで受け継がれており、因島の村上水軍の重宝も鎌倉後期に鍛えられた波平行安でした。 この太刀は、室町前期に活躍した波平一派の作で、大磨上ながらも今なお力強い踏ん張りを保ち、切先はやや延びた鋭利な姿をとどめています。地鉄は小板目が総体に流れて柾肌を呈し、淡く白気映りが立つ中に地沸がつき、さらに地景が細やかに入り、古名工の気配が静かに漂います。刃文はやや狭めの中直刃で、匂口は深く、鋩子は直ぐに入り先で丸く返る端正な出来映えです。 附属する陣太刀拵は、唐草を片切彫で表した落ち着きある作ですが、太鼓革には土佐藩・山内家の家紋である土佐柏紋が刻され、品格を添えています。鐔鳴りがみられる点を除けば、柄にがたつきもなく堅牢で、総じて健全と言えましょう。

¥935,000
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Muromachi
65.3 cm
2.4 cm
2.68 cm
2.18 cm
¥935,000