金魚子地に金一色で海浜を彫った漁舟図小柄は後藤光美と花押を切り、説明書は「豪華さの中にも清清しさが溢れ、静と動を対比させている光美の傑作である」とする。光美は真乗と号し、後藤宗家十五代目である。十四代桂乗光守の嫡男として安永九年(一七八〇)に生まれ、幼名を亀市、俗名を源之丞という。享和四年(文化元年、一八〇四)、先代の光守が六十四歳で歿し、この年の六月三日、源之丞は名を四郎兵衛光美と改めて宗家十五代目を相続した。天保十四年(一八四三)に歿するまで三十一年間宗家の当主をつとめ、家はその後、子の十六代方乗光晃を経て十七代に至る。
その作は家の正統の手法に従い、赤銅魚子地に高彫、金銀の色絵を施す。説明書は小柄・笄に固有の造込みを記す。地板を嵌め込む方式で、蕨手の足は長く、地金は赤銅・金のほかに四分一・素銅も用いる。平象嵌や毛彫を施した作もある。「小柄笄の裏哺みの金の使用量は各代の中で最も多い」とされ、目貫の裏は厚金出しであり、竜の口のまわり、手足の甲、角などの打込鏨は丸鏨である。
画題は江戸後期の好みに沿う風景と、雅で目出度い主題に傾く。能の「翁」を意匠とした大小鐔は、国土安泰・五穀豊穣を舞いながら祈る目出度い舞を、大に侍烏帽子と横笛・鼓、小に面箱と扇子と翁の能面で表し、説明書は「家彫の高い品格を示した重厚な作品であり」とする。流水に落雁図の大小鐔は、ふっくらとした肉取りに細かな魚子を蒔き、流水と雁を高彫に金銀の色絵で表して、ひっそりとした秋景をなす。富嶽東海図の揃金具は、そびえる富士とその麓、三保の松原と塩屋、そして波千鳥といった海浜の風景を表す。
この富嶽の揃は刀装の外に及ぶ。附帯する印籠と鏡蓋型の根付にも光美の銘が入り、説明書は「同家では珍しく四分一の素材を用いて海浜の風情を表し」とする。説明書はこれを一つの注文による制作と見て、「武士の正装を彷彿とさせる」揃とする。もう一つの秋草に月兎図の揃金具は、田安徳川家に伝来した長光の拵に懸けられていたもので、光寿の鐔に合わせて光美が三所物と縁頭を作ったものであろうとされる。
説明書は彼の位置を率直に記す。秋草の揃について、「後藤家各代の中では些か技量が下まわるとされている光美の作であるが、この揃金具は出来が優れ」、生ぶの金錆が残るとする。当主として彼は先代の作を極め、その光名は極めた品に記される。十二支図小柄は金紋を五代徳乗と光美が極めたもので、嵩は光美の作であろうとされる。砂潜り龍図の三所物は光美が九代程乗と極めたもので、三所物に砂潜り龍は極めて少なく、説明書は「光美の極め物としては申し分がない」とする。これらの極め物は彼自身の在銘作と区別して読まねばならない。
彼に関わる指定は重要刀装具八件で、それより上の指定はない。自身在銘の鐔・小柄・揃金具、彼が極めた十二支図小柄と砂潜り龍図三所物、そして彼の小柄を含む式正の大小拵からなる。翁の大小鐔は土佐山内家伝来と記される。後藤宗家当主の在銘作が市場に出るのは折にふれてのことであり、印籠まで一作とした富嶽の揃のような光美の揃金具は、なお稀である。








![目貫 - 保存 - 作 後藤派 - 目貫[後藤茂利 猛禽図]](/_next/image?url=https%3A%2F%2Fitbhfhyptogxcjbjfzwx.supabase.co%2Fstorage%2Fv1%2Fobject%2Fpublic%2Flisting-images%2Fworld-seiyudo%2FL1058116%2F00.jpg&w=2560&q=90)





![鍔 - 特別保存 - 作 後藤派 - Tsuba [Goto-Harumitsu Senmen-zu-Tsuba][N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Tosogu](/_next/image?url=https%3A%2F%2Fitbhfhyptogxcjbjfzwx.supabase.co%2Fstorage%2Fv1%2Fobject%2Fpublic%2Flisting-images%2Fworld-seiyudo%2FL1096428%2F00.jpg&w=2560&q=90)








