銘文 『無銘』 種別 刀 長さ 二尺一寸 反り 六分 目釘穴 2個 元幅28ミリ 元重5ミリ 先幅20ミリ 先重 4ミリ 刀身重量578グラム (全て約です) 富山県教育委員会 昭和26年大名登録 日本美術刀剣保存協会鑑定書付 平安時代の奇跡の健全太刀で、美しい板目肌に大板目交じり、地景入り、刃文は小乱れに小互の目乱れに足、葉入り、地沸よくつき、金筋、砂流しかかるなど、小乱れを多く交えて複雑に乱れた刃文を見事に焼き上げ古雅な味わいを示しています。 平安期の御刀でこれほど健全のものは類が無いと思います。 世に出ること自体が奇跡のまさに国宝級の名品と云えます。 平安時代に伯耆国に名工、安綱(源頼光が大江山で酒呑童子を退治したときの太刀という伝説をもつ童子切安綱)があらわれ湾刀形式の刀剣は、安綱の時代に完成されたとされており、平安中期から後期にかけて、その門流の有綱、真守、安家らの刀工が輩出し華やかな展開を示しました。有綱は、安綱の子と伝えられる一派の名工です。 0円 (税込)


Hoki province, the Ko-Hoki (old Hoki) school of Yasutsuna's line · 伯耆 · 1181-1182頃
刀剣大鑑 上位8%
現在1点販売中
有綱は平安末期から鎌倉初期にかけての古伯耆の名工の一人であり、安綱を中心とする伯耆の古い一派の刀工である。銘鑑には伯耆国守綱の子とあるが、説明は作風の上からこれを措き、安家・真守とともに「安綱の一派と確認される」[[c:1]]とし、また安綱の子とも伝える。有銘の作は僅かで、その殆どが後世に磨上げられているため、多くはその在銘によってではなく、大磨上げの太刀に「伝有綱」として、鑑する者がその作風から彼へ遡るべきものとして遇される。
その鑑の眼目は低く抑えた焼刃にある。説明は小乱れを刃文の主調とし、これに小丁子・小のたれ・小互の目を交え、焼を低く取り、小足のよく入ることを記す。物打辺では刃が細い直刃調に締まる。総体に砂流し・金筋が頻りにかかり、匂いは深く、石川県の無銘の刀には、匂口が沈みごころに小沸つき、小さく砂流し・金筋がかかって「古調がある」と記される。帽子は直ぐに小丸に返る。後の備前の華やかな丁子とは隔たった、静かで古い作風であり、焼の低さと沈む匂口こそ、これを古伯耆と見る目処である。
地鉄も同じ古さを帯びる。鍛えは板目がやや肌立ちごころとなり、流れを交え、細かな地沸がつき、細かに地景が入る。東京都の大磨上げの刀には、肌立って地景が細かに頻りに入ることが記され、刃文中の一つの景色ではなく、この肌立った沸づきの地こそが極めを定める。腰反りの太刀姿は磨上げを経てなお残る。造込みは鎬造・庵棟で、大磨上げながら反りはやや高く、踏張りが残り、中鋒で詰まり、後世の佩用のために磨り上げられた刀身に、平安末の太刀の腰高い姿がなお読み取れる。
彼はこの一つの古い本領を二つの作域で見る。稀なのは在銘の太刀で、佩裏に二字銘を残す。そこでは小足・葉を伴い小沸のよくつく直刃調を焼き、のたれの所には丁子・互の目が交じって表中程から上へ立ち上がり、表裏に棒樋を角止に掻き通し、この一口の帽子は直刃で繕う。数の多いのは伯耆有綱と伝える大磨上無銘の刀で、鑑定の眼目は正にここに置かれ、極めは残る銘ではなく作風に拠る。その一口について説明は「有綱の所伝は首肯し得る」[[c:3]]と記し、地刃ともに出来がよく古調があるとする。
その格は伯耆に留まらない。東京都の刀について説明は相模へと線を引き、正宗・則重らがまさにこの作風を理想として相州伝を創始したと記す。「相州正宗、則重等はこうした作風を理想として相州伝を創始している」[[c:4]]。地景を伴う肌立った沸づきの板目と、砂流し・金筋を交えた小乱れという古伯耆の手は、こうして後の沸出来の相州伝の淵源の一つに数えられる。彼を同時代の備前諸派から分かつのは借り物の比較ではなく、彼自身の見どころ、すなわち静かな小乱れ、肌立つ地、沈む匂口がもたらす古色である。
収集の観点では、有綱は伯耆を学ぶ者が出会いうる最も稀な名の一つである。刀剣書は彼を刀工大鑑に載せるが藤代の極めは記さず、指定を受けた作に国宝も特別重要もない。重要文化財二口は遺産として伝えられ、一口は早い時代の奉納刀の一大宝庫であった瀬戸内の大山祇神社に在銘の太刀として伝わり、いま一口は東京富士美術館にある。これを除けば指定の作は僅か三口の重要刀剣に留まり、いずれも彼の手が読まれる大磨上無銘の作で、大名家への伝来は記録にない。私蔵の有綱は稀にしか見られず、在銘のものは更に稀で、ひとたび手元に現れればそれは一つの画期であり、相州伝がその理想を汲んだ古伯耆の手を直に蔵しうる数少ない正直な道の一つである。
有綱の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 伯耆
時期区分: 古伯耆· 966–1334
現在4点販売中
古伯耆は伯耆派の初発をなす最古層であり、直刀から湾刀へと日本刀の姿が移りゆく時期、すなわち平安時代後期より鎌倉時代初期にかけての一群を指す。その頭領が安綱である。銘鑑はその活躍を大同頃と伝えるが、現存する在銘作の作風から推せば年代はそれより降り、三条宗近らとほぼ同時代の平安後期の作者とみるのが穏当である。湾刀成立の黎明にあってこれだけの手練が伯耆の地に立ったこと自体が一派の重みを物語り、名物童子切安綱の作者という一事をもってその名は伝説の域に近づく。安綱を中心に据え、その子と伝える真守、ならびに大原の地に拠った一門の有綱・貞綱・安家・真景らがこれに連なって大原一派をなし、さらに時代を降って一派の流れを汲むとみられる伯耆国宗が鎌倉初期に現れる。古さの度合からすれば在銘作の比較的多く遺ることは特筆され、なかでも安綱には在銘の太刀がいくつか伝わって、一派研究の基軸をなしている。 作風の本領は地鉄にある。鍛えは板目に大板目・杢を交えて大模様に肌立ち、流れごころを帯び、地沸が厚くつき、地景が入り、地斑を交えて地斑映りあるいは乱れ映りが立ち、鉄色は総じて黒みがかる。その黒む地の上に、直刃を基調として浅くのたれた沸厚い小乱れを焼き、小互の目・小丁子・小のたれを交え、足・葉がよく入り、金筋・砂流しが頻りに織りなして刃中の働きに富み、匂口はうるみまた沈みごころとなる。区上で焼を落とす焼落しを示す作も少なくなく、帽子は直ぐに小丸または焼詰めとなって掃きかけることが多い。太刀姿は細身で腰反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ古調の体配をとどめ、先へ行っての伏しごころが古備前物ほどには目立たないところに古伯耆の姿の特色がある。整って冴える後代の末伯耆に対し、古伯耆の地刃はより強く肌立って個性的であり、黒む鉄と頻りの働きをもって一段と野趣に富み、古雅の趣を色濃く残す。 鑑定の勘所は、まずこの一派を古備前および大和と別つところにある。小乱れ主調の刃文は同時代の古備前に通うが、仔細に鑑れば、肌立った大模様の板目、黒みがかる地鉄、地景・地斑、うるみ沈む匂口、頻りの金筋・砂流しによって、古備前の明るくつまる鉄と冴えた線から自ずと分かたれ、地方的な野趣をもって読み戻される。前田家伝来の無銘の安綱が一脈の大和ごころを帯びると伝えるように、大和との縁もまた鑑識の上に意識される。代表する手は安綱・真守を双璧とし、童子切安綱をはじめ古伯耆を象徴する太刀がその名に集まる。生ぶ在銘の太刀は極めて少なく、無銘古作の極めは自然と安綱の手へと読み戻されてゆく。伝来もまた重く、出羽久保田藩の佐竹家、徳川将軍家、久松松平家、前田家といった家々を経て今に伝わり、伯耆の鉄が日本刀の黎明にあって果たした位置を静かに語り継いでいる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品の意思を商品到着日の翌日までに必ずメールもしくはファックスでご連絡ください。返品送料及び保険金額、返金振込手数料はお客様のご負担とさせていただきます。
銘文 『無銘』 種別 刀 長さ 二尺一寸 反り 六分 目釘穴 2個 元幅28ミリ 元重5ミリ 先幅20ミリ 先重 4ミリ 刀身重量578グラム (全て約です) 富山県教育委員会 昭和26年大名登録 日本美術刀剣保存協会鑑定書付 平安時代の奇跡の健全太刀で、美しい板目肌に大板目交じり、地景入り、刃文は小乱れに小互の目乱れに足、葉入り、地沸よくつき、金筋、砂流しかかるなど、小乱れを多く交えて複雑に乱れた刃文を見事に焼き上げ古雅な味わいを示しています。 平安期の御刀でこれほど健全のものは類が無いと思います。 世に出ること自体が奇跡のまさに国宝級の名品と云えます。 平安時代に伯耆国に名工、安綱(源頼光が大江山で酒呑童子を退治したときの太刀という伝説をもつ童子切安綱)があらわれ湾刀形式の刀剣は、安綱の時代に完成されたとされており、平安中期から後期にかけて、その門流の有綱、真守、安家らの刀工が輩出し華やかな展開を示しました。有綱は、安綱の子と伝えられる一派の名工です。 0円 (税込)


Hoki province, the Ko-Hoki (old Hoki) school of Yasutsuna's line · 伯耆 · 1181-1182頃
刀剣大鑑 上位8%
現在1点販売中
有綱は平安末期から鎌倉初期にかけての古伯耆の名工の一人であり、安綱を中心とする伯耆の古い一派の刀工である。銘鑑には伯耆国守綱の子とあるが、説明は作風の上からこれを措き、安家・真守とともに「安綱の一派と確認される」[[c:1]]とし、また安綱の子とも伝える。有銘の作は僅かで、その殆どが後世に磨上げられているため、多くはその在銘によってではなく、大磨上げの太刀に「伝有綱」として、鑑する者がその作風から彼へ遡るべきものとして遇される。
その鑑の眼目は低く抑えた焼刃にある。説明は小乱れを刃文の主調とし、これに小丁子・小のたれ・小互の目を交え、焼を低く取り、小足のよく入ることを記す。物打辺では刃が細い直刃調に締まる。総体に砂流し・金筋が頻りにかかり、匂いは深く、石川県の無銘の刀には、匂口が沈みごころに小沸つき、小さく砂流し・金筋がかかって「古調がある」と記される。帽子は直ぐに小丸に返る。後の備前の華やかな丁子とは隔たった、静かで古い作風であり、焼の低さと沈む匂口こそ、これを古伯耆と見る目処である。
地鉄も同じ古さを帯びる。鍛えは板目がやや肌立ちごころとなり、流れを交え、細かな地沸がつき、細かに地景が入る。東京都の大磨上げの刀には、肌立って地景が細かに頻りに入ることが記され、刃文中の一つの景色ではなく、この肌立った沸づきの地こそが極めを定める。腰反りの太刀姿は磨上げを経てなお残る。造込みは鎬造・庵棟で、大磨上げながら反りはやや高く、踏張りが残り、中鋒で詰まり、後世の佩用のために磨り上げられた刀身に、平安末の太刀の腰高い姿がなお読み取れる。
彼はこの一つの古い本領を二つの作域で見る。稀なのは在銘の太刀で、佩裏に二字銘を残す。そこでは小足・葉を伴い小沸のよくつく直刃調を焼き、のたれの所には丁子・互の目が交じって表中程から上へ立ち上がり、表裏に棒樋を角止に掻き通し、この一口の帽子は直刃で繕う。数の多いのは伯耆有綱と伝える大磨上無銘の刀で、鑑定の眼目は正にここに置かれ、極めは残る銘ではなく作風に拠る。その一口について説明は「有綱の所伝は首肯し得る」[[c:3]]と記し、地刃ともに出来がよく古調があるとする。
その格は伯耆に留まらない。東京都の刀について説明は相模へと線を引き、正宗・則重らがまさにこの作風を理想として相州伝を創始したと記す。「相州正宗、則重等はこうした作風を理想として相州伝を創始している」[[c:4]]。地景を伴う肌立った沸づきの板目と、砂流し・金筋を交えた小乱れという古伯耆の手は、こうして後の沸出来の相州伝の淵源の一つに数えられる。彼を同時代の備前諸派から分かつのは借り物の比較ではなく、彼自身の見どころ、すなわち静かな小乱れ、肌立つ地、沈む匂口がもたらす古色である。
収集の観点では、有綱は伯耆を学ぶ者が出会いうる最も稀な名の一つである。刀剣書は彼を刀工大鑑に載せるが藤代の極めは記さず、指定を受けた作に国宝も特別重要もない。重要文化財二口は遺産として伝えられ、一口は早い時代の奉納刀の一大宝庫であった瀬戸内の大山祇神社に在銘の太刀として伝わり、いま一口は東京富士美術館にある。これを除けば指定の作は僅か三口の重要刀剣に留まり、いずれも彼の手が読まれる大磨上無銘の作で、大名家への伝来は記録にない。私蔵の有綱は稀にしか見られず、在銘のものは更に稀で、ひとたび手元に現れればそれは一つの画期であり、相州伝がその理想を汲んだ古伯耆の手を直に蔵しうる数少ない正直な道の一つである。
有綱の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 伯耆
時期区分: 古伯耆· 966–1334
現在4点販売中
古伯耆は伯耆派の初発をなす最古層であり、直刀から湾刀へと日本刀の姿が移りゆく時期、すなわち平安時代後期より鎌倉時代初期にかけての一群を指す。その頭領が安綱である。銘鑑はその活躍を大同頃と伝えるが、現存する在銘作の作風から推せば年代はそれより降り、三条宗近らとほぼ同時代の平安後期の作者とみるのが穏当である。湾刀成立の黎明にあってこれだけの手練が伯耆の地に立ったこと自体が一派の重みを物語り、名物童子切安綱の作者という一事をもってその名は伝説の域に近づく。安綱を中心に据え、その子と伝える真守、ならびに大原の地に拠った一門の有綱・貞綱・安家・真景らがこれに連なって大原一派をなし、さらに時代を降って一派の流れを汲むとみられる伯耆国宗が鎌倉初期に現れる。古さの度合からすれば在銘作の比較的多く遺ることは特筆され、なかでも安綱には在銘の太刀がいくつか伝わって、一派研究の基軸をなしている。 作風の本領は地鉄にある。鍛えは板目に大板目・杢を交えて大模様に肌立ち、流れごころを帯び、地沸が厚くつき、地景が入り、地斑を交えて地斑映りあるいは乱れ映りが立ち、鉄色は総じて黒みがかる。その黒む地の上に、直刃を基調として浅くのたれた沸厚い小乱れを焼き、小互の目・小丁子・小のたれを交え、足・葉がよく入り、金筋・砂流しが頻りに織りなして刃中の働きに富み、匂口はうるみまた沈みごころとなる。区上で焼を落とす焼落しを示す作も少なくなく、帽子は直ぐに小丸または焼詰めとなって掃きかけることが多い。太刀姿は細身で腰反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ古調の体配をとどめ、先へ行っての伏しごころが古備前物ほどには目立たないところに古伯耆の姿の特色がある。整って冴える後代の末伯耆に対し、古伯耆の地刃はより強く肌立って個性的であり、黒む鉄と頻りの働きをもって一段と野趣に富み、古雅の趣を色濃く残す。 鑑定の勘所は、まずこの一派を古備前および大和と別つところにある。小乱れ主調の刃文は同時代の古備前に通うが、仔細に鑑れば、肌立った大模様の板目、黒みがかる地鉄、地景・地斑、うるみ沈む匂口、頻りの金筋・砂流しによって、古備前の明るくつまる鉄と冴えた線から自ずと分かたれ、地方的な野趣をもって読み戻される。前田家伝来の無銘の安綱が一脈の大和ごころを帯びると伝えるように、大和との縁もまた鑑識の上に意識される。代表する手は安綱・真守を双璧とし、童子切安綱をはじめ古伯耆を象徴する太刀がその名に集まる。生ぶ在銘の太刀は極めて少なく、無銘古作の極めは自然と安綱の手へと読み戻されてゆく。伝来もまた重く、出羽久保田藩の佐竹家、徳川将軍家、久松松平家、前田家といった家々を経て今に伝わり、伯耆の鉄が日本刀の黎明にあって果たした位置を静かに語り継いでいる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品の意思を商品到着日の翌日までに必ずメールもしくはファックスでご連絡ください。返品送料及び保険金額、返金振込手数料はお客様のご負担とさせていただきます。