河内大掾正広は名を橋本左伝次郎といい、初代忠吉の孫にあたる。寛永二年に鍋島藩主、鍋島勝茂候より正広の名を賜る。若くしてその才能を開花させ、鍋島藩からは本家忠吉以上に手厚い加護を受けて良質な刀剣を世に送り出した。 本作は珍しい折返し銘の初代正広。脇差として定寸と言える一尺六寸で反り適度につく。焼き幅広く高低差のある互の目丁子刃文は、沸厚くついて小足や長足良く入り、砂流し交えて正広らしい華やかな出来。地沸がたっぷりとついた地鉄は小板目が良く詰んで疵気もなく、同様に沸づいた帽子はやや尖り気味に返っている。茎の銘は切り落とすことを嫌って丁寧に折り返し、大事にされたことが窺える。総体的に健全で、出来の良い正広を楽しめる。 保存状態の良い拵は黒石目地鞘で、趣向を凝らした芥子色の柄前は、柄糸の変わり織りが良く映える。金具は鉄地雲龍図鐔、赤銅七々子地扇子唐草縁頭、赤銅地大黒恵比寿目貫、素銅地珠追い龍小柄。 上作・業物刀工。特別保存刀剣鑑定書附。















Hizen Tadayoshi, waki-Hizen (Saga) · 肥前 · 1624-1655頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在5点販売中
正廣は吉信の子で、傍肥前の流れに属する刀工であり、初め正永と銘し、寛永二年に正廣と改めた。佐賀にあって肥前忠吉一門の周辺に働き、二代近江大掾忠広の側近として勤め、初代忠吉歿後は二代を助けて、説明書のいう良き協力者として活躍した。後に河内大掾を受領し、肥前国河内大掾藤原正広と銘した。受領の年について説明書は率直で、通説は寛永五年とするものの、寛永十六年紀の作まで肥前国佐賀住正広とのみ銘し、受領銘は寛永十八年八月紀の作から見え始めるゆえ、近年はその頃の受領とする。傍肥前、すなわち本家の傍らに働いた分家の刀工の中で、説明書は本工を「傍肥前の中でも最も技量が優れており」[[c:1]]と評する。
本工を分かつものは、まさに本家との対照にある。肥前本家が静かで匂深い中直刃をもって読まれるのに対し、正廣はその逆を好んだ。説明書はこれを端的に「作風は乱れた刃を好んで焼き」[[c:2]]と記す。その典型の刃文は腰元の中直刃の焼出しから起き、丁子を主調とした乱れに互の目・互の目丁子・大互の目を交え、小のたれや時に尖りごころ・角刃風を帯びる。その丁子を説明書は武蔵大掾忠広のそれに通うものとする。焼に高低を表し、処々乱れの群落を静かな直ぐ調の刃で繋ぎ、足長く葉よく入り、匂口深く、乱れの谷に小沸厚く凝り、少しく飛焼を見せ時に棟焼を交え、砂流しよくかかり長い金筋が入る。ある刀について説明書は、得意とした乱れ刃を焼いてその本領を遺憾なく発揮していると記す。
その華やかな刃の下には、一門と共有する精良な地鉄がある。地鉄は小板目のよくつんだ肥前の米糠肌となり、地沸が微塵に厚く敷かれ細かに地景の入る、明るく冴えた地である。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて深く長く返り、時に表は小さく乱れ込む。姿は均整の取れた肥前の格好で、時に身幅広く鋒延びごころ或いは大鋒となって力強く豪壮である。匂口は華やかな作にも静かな作にも明るく、地刃ともに終始変わらぬところである。
しかし本工は一様の手ではない。その記録の一面に、能くした中直刃の作域がある。浅くのたれて小互の目を交えた静かな直刃に、小足・葉入り、細かな金筋・砂流しが自然に織りなされ、匂口は同じ精良な小板目の上に明るい。寛永十一年紀のこの静かな手の重要刀剣の刀を、説明書は本工の白眉とし、「この刀はその白眉である」[[c:3]]と記す。年紀作は寛永から寛文にかけて僅かに残り、受領前後の銘字の特色を併せ含む数口の重要刀剣は作刀年代を究める資料として尊ばれる。本工は寛文五年に五十九歳で歿したと伝えられる。
本家との弁別は説明書みずからが引く。直刃より乱れ刃を好む点に加え、本家と異なる筋違の鑢目、刀を常に指裏に銘する習いによって分かたれる。説明書はその作を「本家忠吉家の作よりも自然、覇気のある作が多く」[[c:4]]と読み、ある代表作については「彼が得意とした乱れ刃を焼いて、その本領を遺憾なく発揮している」[[c:5]]と評する。かくして本工は肥前の分家の手の中で最も技量に富み、傍肥前にあってその出来が最も本家の質に迫りながら、なお独自の作域を保つ工である。
収集の観点では、正廣は得難くも手の届く肥前の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は重要刀剣の各位を通じ、およそ三十口が指定を受けて、説明書はその最上を地刃ともに力強く放胆で動勢に富む作と評する。資料的興味も高く、ある重要刀剣の脇指は腰樋の中に吉長の手になる指月布袋の浮彫を帯び、説明書はその図柄を肥前刀中極めて珍しく、同国の彫物を研究する上で資料的価値が高いとする。来歴は一部しか記録されておらず、ゆえに静かに述べるのがよい。その作は名家の連なりとしてではなく、所在の知られる私蔵の中に伝わる。在銘の正廣は、本家最上の肥前刀のように手の届かぬものではなく、時を得て折々その重要刀剣の一口が世に現れ、傍肥前最も技量に優れた工の華やかな乱れ刃に接する機会となる。
正廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 肥前
現在122点販売中
肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品がお気に召さなかった場合は、理由の如何に関わらず遠慮なくご返品ください。その際、返送料はお客様のご負担にてお願いします。ご返金は商品到着後、販売時と同じ状態であることを確認の上、即日ご指定口座にお振り込みさせていただきます。店舗にてご購入された場合、クーリングオフの適用範囲外となります。
河内大掾正広は名を橋本左伝次郎といい、初代忠吉の孫にあたる。寛永二年に鍋島藩主、鍋島勝茂候より正広の名を賜る。若くしてその才能を開花させ、鍋島藩からは本家忠吉以上に手厚い加護を受けて良質な刀剣を世に送り出した。 本作は珍しい折返し銘の初代正広。脇差として定寸と言える一尺六寸で反り適度につく。焼き幅広く高低差のある互の目丁子刃文は、沸厚くついて小足や長足良く入り、砂流し交えて正広らしい華やかな出来。地沸がたっぷりとついた地鉄は小板目が良く詰んで疵気もなく、同様に沸づいた帽子はやや尖り気味に返っている。茎の銘は切り落とすことを嫌って丁寧に折り返し、大事にされたことが窺える。総体的に健全で、出来の良い正広を楽しめる。 保存状態の良い拵は黒石目地鞘で、趣向を凝らした芥子色の柄前は、柄糸の変わり織りが良く映える。金具は鉄地雲龍図鐔、赤銅七々子地扇子唐草縁頭、赤銅地大黒恵比寿目貫、素銅地珠追い龍小柄。 上作・業物刀工。特別保存刀剣鑑定書附。















Hizen Tadayoshi, waki-Hizen (Saga) · 肥前 · 1624-1655頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在5点販売中
正廣は吉信の子で、傍肥前の流れに属する刀工であり、初め正永と銘し、寛永二年に正廣と改めた。佐賀にあって肥前忠吉一門の周辺に働き、二代近江大掾忠広の側近として勤め、初代忠吉歿後は二代を助けて、説明書のいう良き協力者として活躍した。後に河内大掾を受領し、肥前国河内大掾藤原正広と銘した。受領の年について説明書は率直で、通説は寛永五年とするものの、寛永十六年紀の作まで肥前国佐賀住正広とのみ銘し、受領銘は寛永十八年八月紀の作から見え始めるゆえ、近年はその頃の受領とする。傍肥前、すなわち本家の傍らに働いた分家の刀工の中で、説明書は本工を「傍肥前の中でも最も技量が優れており」[[c:1]]と評する。
本工を分かつものは、まさに本家との対照にある。肥前本家が静かで匂深い中直刃をもって読まれるのに対し、正廣はその逆を好んだ。説明書はこれを端的に「作風は乱れた刃を好んで焼き」[[c:2]]と記す。その典型の刃文は腰元の中直刃の焼出しから起き、丁子を主調とした乱れに互の目・互の目丁子・大互の目を交え、小のたれや時に尖りごころ・角刃風を帯びる。その丁子を説明書は武蔵大掾忠広のそれに通うものとする。焼に高低を表し、処々乱れの群落を静かな直ぐ調の刃で繋ぎ、足長く葉よく入り、匂口深く、乱れの谷に小沸厚く凝り、少しく飛焼を見せ時に棟焼を交え、砂流しよくかかり長い金筋が入る。ある刀について説明書は、得意とした乱れ刃を焼いてその本領を遺憾なく発揮していると記す。
その華やかな刃の下には、一門と共有する精良な地鉄がある。地鉄は小板目のよくつんだ肥前の米糠肌となり、地沸が微塵に厚く敷かれ細かに地景の入る、明るく冴えた地である。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて深く長く返り、時に表は小さく乱れ込む。姿は均整の取れた肥前の格好で、時に身幅広く鋒延びごころ或いは大鋒となって力強く豪壮である。匂口は華やかな作にも静かな作にも明るく、地刃ともに終始変わらぬところである。
しかし本工は一様の手ではない。その記録の一面に、能くした中直刃の作域がある。浅くのたれて小互の目を交えた静かな直刃に、小足・葉入り、細かな金筋・砂流しが自然に織りなされ、匂口は同じ精良な小板目の上に明るい。寛永十一年紀のこの静かな手の重要刀剣の刀を、説明書は本工の白眉とし、「この刀はその白眉である」[[c:3]]と記す。年紀作は寛永から寛文にかけて僅かに残り、受領前後の銘字の特色を併せ含む数口の重要刀剣は作刀年代を究める資料として尊ばれる。本工は寛文五年に五十九歳で歿したと伝えられる。
本家との弁別は説明書みずからが引く。直刃より乱れ刃を好む点に加え、本家と異なる筋違の鑢目、刀を常に指裏に銘する習いによって分かたれる。説明書はその作を「本家忠吉家の作よりも自然、覇気のある作が多く」[[c:4]]と読み、ある代表作については「彼が得意とした乱れ刃を焼いて、その本領を遺憾なく発揮している」[[c:5]]と評する。かくして本工は肥前の分家の手の中で最も技量に富み、傍肥前にあってその出来が最も本家の質に迫りながら、なお独自の作域を保つ工である。
収集の観点では、正廣は得難くも手の届く肥前の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は重要刀剣の各位を通じ、およそ三十口が指定を受けて、説明書はその最上を地刃ともに力強く放胆で動勢に富む作と評する。資料的興味も高く、ある重要刀剣の脇指は腰樋の中に吉長の手になる指月布袋の浮彫を帯び、説明書はその図柄を肥前刀中極めて珍しく、同国の彫物を研究する上で資料的価値が高いとする。来歴は一部しか記録されておらず、ゆえに静かに述べるのがよい。その作は名家の連なりとしてではなく、所在の知られる私蔵の中に伝わる。在銘の正廣は、本家最上の肥前刀のように手の届かぬものではなく、時を得て折々その重要刀剣の一口が世に現れ、傍肥前最も技量に優れた工の華やかな乱れ刃に接する機会となる。
正廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 肥前
現在122点販売中
肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品がお気に召さなかった場合は、理由の如何に関わらず遠慮なくご返品ください。その際、返送料はお客様のご負担にてお願いします。ご返金は商品到着後、販売時と同じ状態であることを確認の上、即日ご指定口座にお振り込みさせていただきます。店舗にてご購入された場合、クーリングオフの適用範囲外となります。