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銘文『肥前国住陸奥守忠吉』『肥前国河内守正広』 種別 刀 長さ 二尺五寸 反り 六分 元幅32.8ミリ 元重8.5ミリ 先幅24.3ミリ 先重6.4ミリ 刀身1099グラム (すべて約です) 福岡県教育委員会 大大名3桁登録 銀無垢と銅に金着せを施した最高傑作のハバキ付属 三代陸奥守忠吉と河内守正廣の最高傑作です。田野辺道宏先生の鞘書きによると同合作の遺例はもう一振りのみあるようですが、いずれにしても僅か二振りしか存在しないようでこちらは鍋島家伝来の上、人間国宝小野光敬氏の研磨と思われます。 三代陸奥は50歳で亡くなってしまっているため作品は極めて少ないのは周知の事実ですが極まれに父近江大掾忠廣との合作が存在してました。それの希少性をはるかに凌駕する組み合わせであり、関係性を調べて推測できるのは 「寛永14年生まれの陸奥守忠吉は寛永4年生まれの河内守正広より10年若いことが分かっています。お互い万治三年に大掾を受命し、翌寛文元年に守を受領しています。如何に三代陸奥が天才だったかを判る出来事ですが、本家と分家の垣根を外してお互いが切磋琢磨し、ライバル関係にあったことが推認されます。従って、この本家と分家、師弟関係の垣根が全くない本作はお互いの持てるお互いが得意な技量のすべてを詰め込んだ渾身の一振りであり、豪壮な重ねとバランスの良い身幅がまさに鍋島家によらなければ実現できなかった肥前刀の最高傑作の一振りと云えると思います」 出来は流石は最上作と云わんばかりの大迫力の動乱刃の様な大互ノ目乱れの出来で、特有の梨地肌は大変良く詰み、地沸厚くつき地景入り強く冴える高難易度の三代陸奥の仕事に正広の得意な金筋頻りに走り、沸匂深く、仕事を刃の基礎として最後両者によるありとあらゆる働きを詰め込んだ一線を逸脱したこれぞ日本刀の最骨頂と云える一振りです。 出来で明らかに群を抜いており物凄い出来ですが、写真では100分の1もうまく写っておりません。 一線を逸脱したこの上なき最高の出来であり、地刃共に忠吉、正広の特色と見所を存分に示した最高の傑作刀で夢のような一振りと言えると思います。 二度と出ない名刀を是非とも家宝にお加え下さい。 陸奥守忠吉は名を橋本新三郎といい、寛永14年に近江大掾忠広の長男として生まれ、万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に改名。貞享三年、八十歳の高齢をもって天寿を全うした父に先立って、五十歳の若さで没しています。二代近江大掾忠広が嫡子陸奥守忠吉(三代目)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代目)を指導したと伝えられています。このように陸奥守忠吉は作刀期間が短かった事、父の代作に任じていた期間が長かったことで、在銘遺作は極めて少なく、 長命であった祖父や父と比べて三代忠吉自身の作刀は少なく、地鉄の精緻さや地刃の冴えにおいては初代を凌駕する作品が多く、初代忠吉よりも技能だけではなく価格に於いても最も高い忠吉と云われております。 河内守正広は河内大掾正広の子として寛永四年に生まれ、初め佐伝次と称し初銘は正永ときっています。万治三年に武蔵大掾を受領して、翌寛文元年武蔵守に転じました。その後、彼が三九歳の寛文五年二月に父初代正広が没し、同年四月に河内守を受領しています。正広は元禄十二年、七三歳で没しています。 4,800,000円 (税込) img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada1.jpg" alt=""> img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada7.jpg" alt="">

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刀剣›肥前忠吉›正廣›鍋島家伝来にて現存品僅か二振肥前刀史上渾身の最高傑作之合作『肥前国住陸奥守忠吉』『河内守正廣」特別保存刀剣人間国宝小野光敬先生と田野辺道宏先生鞘書
刀特別保存
正廣

鍋島家伝来にて現存品僅か二振肥前刀史上渾身の最高傑作之合作『肥前国住陸奥守忠吉』『河内守正廣」特別保存刀剣人間国宝小野光敬先生と田野辺道宏先生鞘書

寛永

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法量・詳細
刀工
正廣
種別
刀
流派
Hizen Tadayoshi
活動期
1624–1655年頃(Kanei)
国
肥前
法量
元幅 3.28cm先幅 2.43cm重ね 0.85cm
説明

銘文『肥前国住陸奥守忠吉』『肥前国河内守正広』 種別 刀 長さ 二尺五寸 反り 六分 元幅32.8ミリ 元重8.5ミリ 先幅24.3ミリ 先重6.4ミリ 刀身1099グラム (すべて約です) 福岡県教育委員会 大大名3桁登録 銀無垢と銅に金着せを施した最高傑作のハバキ付属 三代陸奥守忠吉と河内守正廣の最高傑作です。田野辺道宏先生の鞘書きによると同合作の遺例はもう一振りのみあるようですが、いずれにしても僅か二振りしか存在しないようでこちらは鍋島家伝来の上、人間国宝小野光敬氏の研磨と思われます。 三代陸奥は50歳で亡くなってしまっているため作品は極めて少ないのは周知の事実ですが極まれに父近江大掾忠廣との合作が存在してました。それの希少性をはるかに凌駕する組み合わせであり、関係性を調べて推測できるのは 「寛永14年生まれの陸奥守忠吉は寛永4年生まれの河内守正広より10年若いことが分かっています。お互い万治三年に大掾を受命し、翌寛文元年に守を受領しています。如何に三代陸奥が天才だったかを判る出来事ですが、本家と分家の垣根を外してお互いが切磋琢磨し、ライバル関係にあったことが推認されます。従って、この本家と分家、師弟関係の垣根が全くない本作はお互いの持てるお互いが得意な技量のすべてを詰め込んだ渾身の一振りであり、豪壮な重ねとバランスの良い身幅がまさに鍋島家によらなければ実現できなかった肥前刀の最高傑作の一振りと云えると思います」 出来は流石は最上作と云わんばかりの大迫力の動乱刃の様な大互ノ目乱れの出来で、特有の梨地肌は大変良く詰み、地沸厚くつき地景入り強く冴える高難易度の三代陸奥の仕事に正広の得意な金筋頻りに走り、沸匂深く、仕事を刃の基礎として最後両者によるありとあらゆる働きを詰め込んだ一線を逸脱したこれぞ日本刀の最骨頂と云える一振りです。 出来で明らかに群を抜いており物凄い出来ですが、写真では100分の1もうまく写っておりません。 一線を逸脱したこの上なき最高の出来であり、地刃共に忠吉、正広の特色と見所を存分に示した最高の傑作刀で夢のような一振りと言えると思います。 二度と出ない名刀を是非とも家宝にお加え下さい。 陸奥守忠吉は名を橋本新三郎といい、寛永14年に近江大掾忠広の長男として生まれ、万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に改名。貞享三年、八十歳の高齢をもって天寿を全うした父に先立って、五十歳の若さで没しています。二代近江大掾忠広が嫡子陸奥守忠吉(三代目)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代目)を指導したと伝えられています。このように陸奥守忠吉は作刀期間が短かった事、父の代作に任じていた期間が長かったことで、在銘遺作は極めて少なく、 長命であった祖父や父と比べて三代忠吉自身の作刀は少なく、地鉄の精緻さや地刃の冴えにおいては初代を凌駕する作品が多く、初代忠吉よりも技能だけではなく価格に於いても最も高い忠吉と云われております。 河内守正広は河内大掾正広の子として寛永四年に生まれ、初め佐伝次と称し初銘は正永ときっています。万治三年に武蔵大掾を受領して、翌寛文元年武蔵守に転じました。その後、彼が三九歳の寛文五年二月に父初代正広が没し、同年四月に河内守を受領しています。正広は元禄十二年、七三歳で没しています。 4,800,000円 (税込) img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada1.jpg" alt=""> img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada7.jpg" alt="">

作者について

正廣

Hizen Tadayoshi, waki-Hizen (Saga) · 肥前 · 1624-1655頃

藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位23%

現在4点販売中

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正廣は吉信の子で、傍肥前の流れに属する刀工であり、初め正永と銘し、寛永二年に正廣と改めた。佐賀にあって肥前忠吉一門の周辺に働き、二代近江大掾忠広の側近として勤め、初代忠吉歿後は二代を助けて、説明書のいう良き協力者として活躍した。後に河内大掾を受領し、肥前国河内大掾藤原正広と銘した。受領の年について説明書は率直で、通説は寛永五年とするものの、寛永十六年紀の作まで肥前国佐賀住正広とのみ銘し、受領銘は寛永十八年八月紀の作から見え始めるゆえ、近年はその頃の受領とする。傍肥前、すなわち本家の傍らに働いた分家の刀工の中で、説明書は本工を「傍肥前の中でも最も技量が優れており」[[c:1]]と評する。

本工を分かつものは、まさに本家との対照にある。肥前本家が静かで匂深い中直刃をもって読まれるのに対し、正廣はその逆を好んだ。説明書はこれを端的に「作風は乱れた刃を好んで焼き」[[c:2]]と記す。その典型の刃文は腰元の中直刃の焼出しから起き、丁子を主調とした乱れに互の目・互の目丁子・大互の目を交え、小のたれや時に尖りごころ・角刃風を帯びる。その丁子を説明書は武蔵大掾忠広のそれに通うものとする。焼に高低を表し、処々乱れの群落を静かな直ぐ調の刃で繋ぎ、足長く葉よく入り、匂口深く、乱れの谷に小沸厚く凝り、少しく飛焼を見せ時に棟焼を交え、砂流しよくかかり長い金筋が入る。ある刀について説明書は、得意とした乱れ刃を焼いてその本領を遺憾なく発揮していると記す。

その華やかな刃の下には、一門と共有する精良な地鉄がある。地鉄は小板目のよくつんだ肥前の米糠肌となり、地沸が微塵に厚く敷かれ細かに地景の入る、明るく冴えた地である。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて深く長く返り、時に表は小さく乱れ込む。姿は均整の取れた肥前の格好で、時に身幅広く鋒延びごころ或いは大鋒となって力強く豪壮である。匂口は華やかな作にも静かな作にも明るく、地刃ともに終始変わらぬところである。

しかし本工は一様の手ではない。その記録の一面に、能くした中直刃の作域がある。浅くのたれて小互の目を交えた静かな直刃に、小足・葉入り、細かな金筋・砂流しが自然に織りなされ、匂口は同じ精良な小板目の上に明るい。寛永十一年紀のこの静かな手の重要刀剣の刀を、説明書は本工の白眉とし、「この刀はその白眉である」[[c:3]]と記す。年紀作は寛永から寛文にかけて僅かに残り、受領前後の銘字の特色を併せ含む数口の重要刀剣は作刀年代を究める資料として尊ばれる。本工は寛文五年に五十九歳で歿したと伝えられる。

本家との弁別は説明書みずからが引く。直刃より乱れ刃を好む点に加え、本家と異なる筋違の鑢目、刀を常に指裏に銘する習いによって分かたれる。説明書はその作を「本家忠吉家の作よりも自然、覇気のある作が多く」[[c:4]]と読み、ある代表作については「彼が得意とした乱れ刃を焼いて、その本領を遺憾なく発揮している」[[c:5]]と評する。かくして本工は肥前の分家の手の中で最も技量に富み、傍肥前にあってその出来が最も本家の質に迫りながら、なお独自の作域を保つ工である。

収集の観点では、正廣は得難くも手の届く肥前の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は重要刀剣の各位を通じ、およそ三十口が指定を受けて、説明書はその最上を地刃ともに力強く放胆で動勢に富む作と評する。資料的興味も高く、ある重要刀剣の脇指は腰樋の中に吉長の手になる指月布袋の浮彫を帯び、説明書はその図柄を肥前刀中極めて珍しく、同国の彫物を研究する上で資料的価値が高いとする。来歴は一部しか記録されておらず、ゆえに静かに述べるのがよい。その作は名家の連なりとしてではなく、所在の知られる私蔵の中に伝わる。在銘の正廣は、本家最上の肥前刀のように手の届かぬものではなく、時を得て折々その重要刀剣の一口が世に現れ、傍肥前最も技量に優れた工の華やかな乱れ刃に接する機会となる。

歴史的重要度

正廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
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指定の実績
指定32口
重要刀剣
32
正廣の作 4点が現在販売中→
正廣 — 詳細Hizen Tadayoshi, waki-Hizen (Saga)派

年紀作

在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代

活動期間
1632–1664推定期間:1624–1655
指定品32点のうち11点に年紀あり
1630
1640
1650
1660
1670
流派について

肥前忠吉

新刀 · 肥前

現在130点販売中

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肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。 詳しく見る →

27名の刀工指定510口
主要刀工
刀工時代指定
忠吉1596-1632123
忠吉1662-168158
忠廣1624-1693169
正廣1624-165532
忠國1648-165232
肥前忠吉流派を見る →

歴史的背景

肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。

肥前 藩営の刀 →

NBTHK鑑定書
Tokubetsu Hozon Tōken特別保存刀剣
Sword Especially Worthy of Preservation
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保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。

NBTHKについて›

日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。

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正廣の他の作

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銀座長州屋
重要
Katana - Jūyō - by Hizen Masahiro - 刀 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)Katana - Jūyō - by Hizen Masahiro - 刀 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)

刀

作正廣
70.3cm·Kanei (1624-1644)
¥7,500,000
サムライ商会
保存
Katana - Hozon - by Hizen Masahiro - 刀 肥前国佐賀住正広(初代)Katana - Hozon - by Hizen Masahiro - 刀 肥前国佐賀住正広(初代)

刀

作正廣
69.9cm·Kanei (1624-1644)
¥680,000
銀座長州屋
Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)

刀

作正廣
Kanei (1624-1644)
お問い合わせ
安東貿易
太刀写真非公開
Tachi - by Hizen Masahiro - 太刀 肥前國河内守藤原正廣

太刀

作正廣
75cm
¥1,400,000

正廣の売約済み

十拳
特別保存
Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差/肥前国河内大掾藤原正広Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差/肥前国河内大掾藤原正広
売切れ

脇差

作正廣
48.6cm·Kanei (1624-1644)
売却済
銀座誠友堂
特別保存
Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 刀 [肥前国河内守正広(初代)][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 刀 [肥前国河内守正広(初代)][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣
売切れ

刀

作正廣
74.6cm·Kanei (1624-1644)
売却済
儀平屋
特別保存
Daisho - Tokuho - by Hizen Masahiro - 特別保存刀剣 肥前国河内守藤原正広 二尺三寸二分、一尺八寸二分 赤銅金具拵付、白鞘付Daisho - Tokuho - by Hizen Masahiro - 特別保存刀剣 肥前国河内守藤原正広 二尺三寸二分、一尺八寸二分 赤銅金具拵付、白鞘付
売切れ

大小

作正廣
70.36cm·Kanei (1624-1644)
売却済
サムライミュージアム
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Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 日本刀 脇差 銘 藤原正広 NBTHK 特別保存刀剣鑑定書付Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 日本刀 脇差 銘 藤原正広 NBTHK 特別保存刀剣鑑定書付
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脇差

作正廣
54.6cm·Kanei (1624-1644)
売却済
銀座誠友堂
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Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差[肥前国河内守藤原正広][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差[肥前国河内守藤原正広][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣
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脇差

作正廣
51.2cm·新刀
売却済
Japanese Sword Books and Tsuba
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Katana - Hozon - by Hizen Masahiro - Q426. 刀 保存刀剣鑑定書付 河内大掾正広Katana - Hozon - by Hizen Masahiro - Q426. 刀 保存刀剣鑑定書付 河内大掾正広
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刀

作正廣
67.3cm·新刀
売却済
銀座長州屋
Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)
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刀

作正廣
Kanei (1624-1644)
売却済
刀剣杉田
特別保存
Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前國河内大掾藤原正広 (肥前)(西海道)Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前國河内大掾藤原正広 (肥前)(西海道)
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脇差

作正廣
Kanei (1624-1644)
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葵美術
特別保存
Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 刀:肥前国住近江大掾藤原忠広(特別保存刀剣鑑定書付)Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 刀:肥前国住近江大掾藤原忠広(特別保存刀剣鑑定書付)

刀

作忠廣
74.55cm·Kanei (1624-1644)
開始価格¥2,000,000
銀座長州屋
特別保存
Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 刀 銘 肥前國住近江大掾藤原忠廣Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 刀 銘 肥前國住近江大掾藤原忠廣

刀

作忠廣
71.27cm·Kanei (1624-1644)
¥2,500,000
Tozando
重要
Katana - Jūyō - by Hizen Tadahiro - 日本刀販売 - 忠広 - NBTHK重要刀剣指定品 - 新刀期 刀 | 東山堂Katana - Jūyō - by Hizen Tadahiro - 日本刀販売 - 忠広 - NBTHK重要刀剣指定品 - 新刀期 刀 | 東山堂

刀

作忠廣
72.2cm·Kanei (1624-1644)
¥8,500,000
永楽堂
重要
Katana - Jūyō - by Hizen Tadahiro - 忠広 刀 重要刀剣Katana - Jūyō - by Hizen Tadahiro - 忠広 刀 重要刀剣

刀

作忠廣
71cm·Kanei (1624-1644)
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宝刀堂
特別保存
Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 肥前国住近江大掾藤原忠広 刀Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 肥前国住近江大掾藤原忠広 刀

刀

作忠廣
70.1cm·Kanei (1624-1644)
¥1,800,000
Supein Nihonto
特別保存
Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前国正広(二代) 刀 特別保存刀剣Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前国正広(二代) 刀 特別保存刀剣

刀

作正廣
Manji (1658-1661)
¥19,000
Toyuukai
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Katana - Tokuho - by Hizen Tadayoshi - 刀 銘 肥前国住人忠吉作 特別保存刀剣鑑定書Katana - Tokuho - by Hizen Tadayoshi - 刀 銘 肥前国住人忠吉作 特別保存刀剣鑑定書

刀

作忠吉
69.4cm·新刀
¥4,800,000
儀平屋
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Katana - Tokuho - by Hizen Yukihiro - (02-1756)特別保存刀剣新刀上作 肥前国出羽守行廣 二尺三寸一分 半太刀拵入、白鞘付Katana - Tokuho - by Hizen Yukihiro - (02-1756)特別保存刀剣新刀上作 肥前国出羽守行廣 二尺三寸一分 半太刀拵入、白鞘付

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作行廣
70cm·Shoho (1644-1648)
¥2,500,000

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説明

銘文『肥前国住陸奥守忠吉』『肥前国河内守正広』 種別 刀 長さ 二尺五寸 反り 六分 元幅32.8ミリ 元重8.5ミリ 先幅24.3ミリ 先重6.4ミリ 刀身1099グラム (すべて約です) 福岡県教育委員会 大大名3桁登録 銀無垢と銅に金着せを施した最高傑作のハバキ付属 三代陸奥守忠吉と河内守正廣の最高傑作です。田野辺道宏先生の鞘書きによると同合作の遺例はもう一振りのみあるようですが、いずれにしても僅か二振りしか存在しないようでこちらは鍋島家伝来の上、人間国宝小野光敬氏の研磨と思われます。 三代陸奥は50歳で亡くなってしまっているため作品は極めて少ないのは周知の事実ですが極まれに父近江大掾忠廣との合作が存在してました。それの希少性をはるかに凌駕する組み合わせであり、関係性を調べて推測できるのは 「寛永14年生まれの陸奥守忠吉は寛永4年生まれの河内守正広より10年若いことが分かっています。お互い万治三年に大掾を受命し、翌寛文元年に守を受領しています。如何に三代陸奥が天才だったかを判る出来事ですが、本家と分家の垣根を外してお互いが切磋琢磨し、ライバル関係にあったことが推認されます。従って、この本家と分家、師弟関係の垣根が全くない本作はお互いの持てるお互いが得意な技量のすべてを詰め込んだ渾身の一振りであり、豪壮な重ねとバランスの良い身幅がまさに鍋島家によらなければ実現できなかった肥前刀の最高傑作の一振りと云えると思います」 出来は流石は最上作と云わんばかりの大迫力の動乱刃の様な大互ノ目乱れの出来で、特有の梨地肌は大変良く詰み、地沸厚くつき地景入り強く冴える高難易度の三代陸奥の仕事に正広の得意な金筋頻りに走り、沸匂深く、仕事を刃の基礎として最後両者によるありとあらゆる働きを詰め込んだ一線を逸脱したこれぞ日本刀の最骨頂と云える一振りです。 出来で明らかに群を抜いており物凄い出来ですが、写真では100分の1もうまく写っておりません。 一線を逸脱したこの上なき最高の出来であり、地刃共に忠吉、正広の特色と見所を存分に示した最高の傑作刀で夢のような一振りと言えると思います。 二度と出ない名刀を是非とも家宝にお加え下さい。 陸奥守忠吉は名を橋本新三郎といい、寛永14年に近江大掾忠広の長男として生まれ、万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に改名。貞享三年、八十歳の高齢をもって天寿を全うした父に先立って、五十歳の若さで没しています。二代近江大掾忠広が嫡子陸奥守忠吉(三代目)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代目)を指導したと伝えられています。このように陸奥守忠吉は作刀期間が短かった事、父の代作に任じていた期間が長かったことで、在銘遺作は極めて少なく、 長命であった祖父や父と比べて三代忠吉自身の作刀は少なく、地鉄の精緻さや地刃の冴えにおいては初代を凌駕する作品が多く、初代忠吉よりも技能だけではなく価格に於いても最も高い忠吉と云われております。 河内守正広は河内大掾正広の子として寛永四年に生まれ、初め佐伝次と称し初銘は正永ときっています。万治三年に武蔵大掾を受領して、翌寛文元年武蔵守に転じました。その後、彼が三九歳の寛文五年二月に父初代正広が没し、同年四月に河内守を受領しています。正広は元禄十二年、七三歳で没しています。 4,800,000円 (税込) img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada1.jpg" alt=""> img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada7.jpg" alt="">

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刀剣›肥前忠吉›正廣›鍋島家伝来にて現存品僅か二振肥前刀史上渾身の最高傑作之合作『肥前国住陸奥守忠吉』『河内守正廣」特別保存刀剣人間国宝小野光敬先生と田野辺道宏先生鞘書
刀特別保存
正廣

鍋島家伝来にて現存品僅か二振肥前刀史上渾身の最高傑作之合作『肥前国住陸奥守忠吉』『河内守正廣」特別保存刀剣人間国宝小野光敬先生と田野辺道宏先生鞘書

寛永

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法量・詳細
刀工
正廣
種別
刀
流派
Hizen Tadayoshi
活動期
1624–1655年頃(Kanei)
国
肥前
法量
元幅 3.28cm先幅 2.43cm重ね 0.85cm
説明

銘文『肥前国住陸奥守忠吉』『肥前国河内守正広』 種別 刀 長さ 二尺五寸 反り 六分 元幅32.8ミリ 元重8.5ミリ 先幅24.3ミリ 先重6.4ミリ 刀身1099グラム (すべて約です) 福岡県教育委員会 大大名3桁登録 銀無垢と銅に金着せを施した最高傑作のハバキ付属 三代陸奥守忠吉と河内守正廣の最高傑作です。田野辺道宏先生の鞘書きによると同合作の遺例はもう一振りのみあるようですが、いずれにしても僅か二振りしか存在しないようでこちらは鍋島家伝来の上、人間国宝小野光敬氏の研磨と思われます。 三代陸奥は50歳で亡くなってしまっているため作品は極めて少ないのは周知の事実ですが極まれに父近江大掾忠廣との合作が存在してました。それの希少性をはるかに凌駕する組み合わせであり、関係性を調べて推測できるのは 「寛永14年生まれの陸奥守忠吉は寛永4年生まれの河内守正広より10年若いことが分かっています。お互い万治三年に大掾を受命し、翌寛文元年に守を受領しています。如何に三代陸奥が天才だったかを判る出来事ですが、本家と分家の垣根を外してお互いが切磋琢磨し、ライバル関係にあったことが推認されます。従って、この本家と分家、師弟関係の垣根が全くない本作はお互いの持てるお互いが得意な技量のすべてを詰め込んだ渾身の一振りであり、豪壮な重ねとバランスの良い身幅がまさに鍋島家によらなければ実現できなかった肥前刀の最高傑作の一振りと云えると思います」 出来は流石は最上作と云わんばかりの大迫力の動乱刃の様な大互ノ目乱れの出来で、特有の梨地肌は大変良く詰み、地沸厚くつき地景入り強く冴える高難易度の三代陸奥の仕事に正広の得意な金筋頻りに走り、沸匂深く、仕事を刃の基礎として最後両者によるありとあらゆる働きを詰め込んだ一線を逸脱したこれぞ日本刀の最骨頂と云える一振りです。 出来で明らかに群を抜いており物凄い出来ですが、写真では100分の1もうまく写っておりません。 一線を逸脱したこの上なき最高の出来であり、地刃共に忠吉、正広の特色と見所を存分に示した最高の傑作刀で夢のような一振りと言えると思います。 二度と出ない名刀を是非とも家宝にお加え下さい。 陸奥守忠吉は名を橋本新三郎といい、寛永14年に近江大掾忠広の長男として生まれ、万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に改名。貞享三年、八十歳の高齢をもって天寿を全うした父に先立って、五十歳の若さで没しています。二代近江大掾忠広が嫡子陸奥守忠吉(三代目)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代目)を指導したと伝えられています。このように陸奥守忠吉は作刀期間が短かった事、父の代作に任じていた期間が長かったことで、在銘遺作は極めて少なく、 長命であった祖父や父と比べて三代忠吉自身の作刀は少なく、地鉄の精緻さや地刃の冴えにおいては初代を凌駕する作品が多く、初代忠吉よりも技能だけではなく価格に於いても最も高い忠吉と云われております。 河内守正広は河内大掾正広の子として寛永四年に生まれ、初め佐伝次と称し初銘は正永ときっています。万治三年に武蔵大掾を受領して、翌寛文元年武蔵守に転じました。その後、彼が三九歳の寛文五年二月に父初代正広が没し、同年四月に河内守を受領しています。正広は元禄十二年、七三歳で没しています。 4,800,000円 (税込) img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada1.jpg" alt=""> img src="https://www.kusanaginosya.com/pic-labo/mututada7.jpg" alt="">

作者について

正廣

Hizen Tadayoshi, waki-Hizen (Saga) · 肥前 · 1624-1655頃

藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位23%

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正廣は吉信の子で、傍肥前の流れに属する刀工であり、初め正永と銘し、寛永二年に正廣と改めた。佐賀にあって肥前忠吉一門の周辺に働き、二代近江大掾忠広の側近として勤め、初代忠吉歿後は二代を助けて、説明書のいう良き協力者として活躍した。後に河内大掾を受領し、肥前国河内大掾藤原正広と銘した。受領の年について説明書は率直で、通説は寛永五年とするものの、寛永十六年紀の作まで肥前国佐賀住正広とのみ銘し、受領銘は寛永十八年八月紀の作から見え始めるゆえ、近年はその頃の受領とする。傍肥前、すなわち本家の傍らに働いた分家の刀工の中で、説明書は本工を「傍肥前の中でも最も技量が優れており」[[c:1]]と評する。

本工を分かつものは、まさに本家との対照にある。肥前本家が静かで匂深い中直刃をもって読まれるのに対し、正廣はその逆を好んだ。説明書はこれを端的に「作風は乱れた刃を好んで焼き」[[c:2]]と記す。その典型の刃文は腰元の中直刃の焼出しから起き、丁子を主調とした乱れに互の目・互の目丁子・大互の目を交え、小のたれや時に尖りごころ・角刃風を帯びる。その丁子を説明書は武蔵大掾忠広のそれに通うものとする。焼に高低を表し、処々乱れの群落を静かな直ぐ調の刃で繋ぎ、足長く葉よく入り、匂口深く、乱れの谷に小沸厚く凝り、少しく飛焼を見せ時に棟焼を交え、砂流しよくかかり長い金筋が入る。ある刀について説明書は、得意とした乱れ刃を焼いてその本領を遺憾なく発揮していると記す。

その華やかな刃の下には、一門と共有する精良な地鉄がある。地鉄は小板目のよくつんだ肥前の米糠肌となり、地沸が微塵に厚く敷かれ細かに地景の入る、明るく冴えた地である。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて深く長く返り、時に表は小さく乱れ込む。姿は均整の取れた肥前の格好で、時に身幅広く鋒延びごころ或いは大鋒となって力強く豪壮である。匂口は華やかな作にも静かな作にも明るく、地刃ともに終始変わらぬところである。

しかし本工は一様の手ではない。その記録の一面に、能くした中直刃の作域がある。浅くのたれて小互の目を交えた静かな直刃に、小足・葉入り、細かな金筋・砂流しが自然に織りなされ、匂口は同じ精良な小板目の上に明るい。寛永十一年紀のこの静かな手の重要刀剣の刀を、説明書は本工の白眉とし、「この刀はその白眉である」[[c:3]]と記す。年紀作は寛永から寛文にかけて僅かに残り、受領前後の銘字の特色を併せ含む数口の重要刀剣は作刀年代を究める資料として尊ばれる。本工は寛文五年に五十九歳で歿したと伝えられる。

本家との弁別は説明書みずからが引く。直刃より乱れ刃を好む点に加え、本家と異なる筋違の鑢目、刀を常に指裏に銘する習いによって分かたれる。説明書はその作を「本家忠吉家の作よりも自然、覇気のある作が多く」[[c:4]]と読み、ある代表作については「彼が得意とした乱れ刃を焼いて、その本領を遺憾なく発揮している」[[c:5]]と評する。かくして本工は肥前の分家の手の中で最も技量に富み、傍肥前にあってその出来が最も本家の質に迫りながら、なお独自の作域を保つ工である。

収集の観点では、正廣は得難くも手の届く肥前の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は重要刀剣の各位を通じ、およそ三十口が指定を受けて、説明書はその最上を地刃ともに力強く放胆で動勢に富む作と評する。資料的興味も高く、ある重要刀剣の脇指は腰樋の中に吉長の手になる指月布袋の浮彫を帯び、説明書はその図柄を肥前刀中極めて珍しく、同国の彫物を研究する上で資料的価値が高いとする。来歴は一部しか記録されておらず、ゆえに静かに述べるのがよい。その作は名家の連なりとしてではなく、所在の知られる私蔵の中に伝わる。在銘の正廣は、本家最上の肥前刀のように手の届かぬものではなく、時を得て折々その重要刀剣の一口が世に現れ、傍肥前最も技量に優れた工の華やかな乱れ刃に接する機会となる。

歴史的重要度

正廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
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指定の実績
指定32口
重要刀剣
32
正廣の作 4点が現在販売中→
正廣 — 詳細Hizen Tadayoshi, waki-Hizen (Saga)派

年紀作

在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代

活動期間
1632–1664推定期間:1624–1655
指定品32点のうち11点に年紀あり
1630
1640
1650
1660
1670
流派について

肥前忠吉

新刀 · 肥前

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肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。 詳しく見る →

27名の刀工指定510口
主要刀工
刀工時代指定
忠吉1596-1632123
忠吉1662-168158
忠廣1624-1693169
正廣1624-165532
忠國1648-165232
肥前忠吉流派を見る →

歴史的背景

肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。

肥前 藩営の刀 →

NBTHK鑑定書
Tokubetsu Hozon Tōken特別保存刀剣
Sword Especially Worthy of Preservation
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保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。

NBTHKについて›

日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。

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草
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銀座長州屋
重要
Katana - Jūyō - by Hizen Masahiro - 刀 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)Katana - Jūyō - by Hizen Masahiro - 刀 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)

刀

作正廣
70.3cm·Kanei (1624-1644)
¥7,500,000
サムライ商会
保存
Katana - Hozon - by Hizen Masahiro - 刀 肥前国佐賀住正広(初代)Katana - Hozon - by Hizen Masahiro - 刀 肥前国佐賀住正広(初代)

刀

作正廣
69.9cm·Kanei (1624-1644)
¥680,000
銀座長州屋
Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)

刀

作正廣
Kanei (1624-1644)
お問い合わせ
安東貿易
太刀写真非公開
Tachi - by Hizen Masahiro - 太刀 肥前國河内守藤原正廣

太刀

作正廣
75cm
¥1,400,000

正廣の売約済み

十拳
特別保存
Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差/肥前国河内大掾藤原正広Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差/肥前国河内大掾藤原正広
売切れ

脇差

作正廣
48.6cm·Kanei (1624-1644)
売却済
銀座誠友堂
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Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 刀 [肥前国河内守正広(初代)][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 刀 [肥前国河内守正広(初代)][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣
売切れ

刀

作正廣
74.6cm·Kanei (1624-1644)
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Daisho - Tokuho - by Hizen Masahiro - 特別保存刀剣 肥前国河内守藤原正広 二尺三寸二分、一尺八寸二分 赤銅金具拵付、白鞘付Daisho - Tokuho - by Hizen Masahiro - 特別保存刀剣 肥前国河内守藤原正広 二尺三寸二分、一尺八寸二分 赤銅金具拵付、白鞘付
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大小

作正廣
70.36cm·Kanei (1624-1644)
売却済
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特別保存
Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 日本刀 脇差 銘 藤原正広 NBTHK 特別保存刀剣鑑定書付Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 日本刀 脇差 銘 藤原正広 NBTHK 特別保存刀剣鑑定書付
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54.6cm·Kanei (1624-1644)
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Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差[肥前国河内守藤原正広][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 脇差[肥前国河内守藤原正広][日本美術刀剣保存協会]特別保存刀剣
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脇差

作正廣
51.2cm·新刀
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作正廣
67.3cm·新刀
売却済
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Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)Katana - by Hizen Masahiro - 銘 肥前国河内大掾藤原正広(業物)
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作正廣
Kanei (1624-1644)
売却済
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Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前國河内大掾藤原正広 (肥前)(西海道)Wakizashi - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前國河内大掾藤原正広 (肥前)(西海道)
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作正廣
Kanei (1624-1644)
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葵美術
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Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 刀:肥前国住近江大掾藤原忠広(特別保存刀剣鑑定書付)Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 刀:肥前国住近江大掾藤原忠広(特別保存刀剣鑑定書付)

刀

作忠廣
74.55cm·Kanei (1624-1644)
開始価格¥2,000,000
銀座長州屋
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Katana - Jūyō - by Hizen Tadahiro - 日本刀販売 - 忠広 - NBTHK重要刀剣指定品 - 新刀期 刀 | 東山堂Katana - Jūyō - by Hizen Tadahiro - 日本刀販売 - 忠広 - NBTHK重要刀剣指定品 - 新刀期 刀 | 東山堂

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71cm·Kanei (1624-1644)
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Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 肥前国住近江大掾藤原忠広 刀Katana - Tokuho - by Hizen Tadahiro - 肥前国住近江大掾藤原忠広 刀

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70.1cm·Kanei (1624-1644)
¥1,800,000
Supein Nihonto
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Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前国正広(二代) 刀 特別保存刀剣Katana - Tokuho - by Hizen Masahiro - 肥前国正広(二代) 刀 特別保存刀剣

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Manji (1658-1661)
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Katana - Tokuho - by Hizen Tadayoshi - 刀 銘 肥前国住人忠吉作 特別保存刀剣鑑定書Katana - Tokuho - by Hizen Tadayoshi - 刀 銘 肥前国住人忠吉作 特別保存刀剣鑑定書

刀

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69.4cm·新刀
¥4,800,000
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Katana - Tokuho - by Hizen Yukihiro - (02-1756)特別保存刀剣新刀上作 肥前国出羽守行廣 二尺三寸一分 半太刀拵入、白鞘付Katana - Tokuho - by Hizen Yukihiro - (02-1756)特別保存刀剣新刀上作 肥前国出羽守行廣 二尺三寸一分 半太刀拵入、白鞘付

刀

作行廣
70cm·Shoho (1644-1648)
¥2,500,000

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