室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
名工による傑作、至高の拵に包まれた逸品。











Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1490-1529頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位14%
現在1点販売中
永正九年紀の刀の長銘の下、次郎左衛門尉藤原勝光は自ら一句を添えた。「心の及ぶところ此の上の者あるべからざる也」[[c:1]]、すなわち本作が同工快心の出来であることを述べている。この銘を切った工こそ、ひしめく同名のうち最も技倆すぐれた者である。説明書は、末備前と総称される室町末期の長船鍛冶に勝光の名を用いた数代・十数工があり、そのなかで右京亮勝光の子たる次郎左衛門尉を冠する系が特に技術すぐれ、与三左衛門尉祐定・五郎左衛門尉清光と並ぶ末備前を代表する刀工に数えられると記す。
説明書がその個性とするところは、共有の作域のなかの程度の差である。末備前の工はいずれも腰の開いた複式互の目、すなわち末備前を診断する刃文を焼く。勝光もまた同じ基調に典型を築き、小板目のよくつんだ地に地沸つき地景細かに入り、その上に焼の高い明るい刃を焼いて、足・葉さかんに入り、匂口冴えて締まりごころ、小さな飛焼を交える。極めが引く区別は、彼が諸工より丁子を多く交えて一段と華やかな出来とする点である。説明書は「勝光は祐定に比して丁子の刃文が目立ち」[[c:2]]、いわゆる蟹の爪と呼ばれる乱が比較的少いとする。その最上の年紀脇指では同じ点を肯定的に、「乱れの中に丁子を多く交えた一段と華やかな出来を得意としている」[[c:3]]と評する。
その華やかさの下、地鉄は終始変わらぬところである。末長船の小板目のよくつんだ地に地沸つき、地景細かに織りなし、処々やや肌立ちあるいは流れごころとなり、優品では地沸が微塵につく。古来の備前の乱れ映りはこの末の地鉄から概ね失われ、わずかの作に淡く残るのみで、永正二年紀の一刀は地沸が強いために映りが目立たず、かえって地鉄が強く見えると読まれる。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸あるいは尖りごころに、先掃きかけて返る。表裏には末備前の彫物、倶利迦羅・梵字に素剣・八幡大菩薩や天照皇太神といった神号が施され、説明書はこれを鍛冶自身の彫ではなく協力者の彫物師の手と注意する。
勝光はなにより一門の合作の名手で、その記録は大半が合作である。弟左京進宗光とは古く「宗勝合作」として珍重された刀を切り、両名を連銘した片手打の打刀・脇指がある。ある永正七年紀の脇指には明らかに「弟左京進宗光」と切られ、説明書はこれを長船一門の系図再検討を促す大変重要な資料とする。最も著名なのは与三左衛門尉祐定との合作薙刀で、永正十八年紀、大振りで豪壮な薙刀造に破軍之剣・三身節一体の陰刻があり、宇喜多能家の注文になり、「末備前の薙刀中の傑作である」[[c:5]]と評される。大永三年紀の刀は子の次郎兵衛尉治光との合作である。説明書は本工の作刀期間をほぼ明応より享禄に亘るとし、その末年、享禄二年紀には、いま一人の子息修理亮勝光との父子合作刀を打って資料的に貴重とされる。華やかな互の目の傍ら、穏やかな広直刃・直刃をも等しく能くし、説明書は、重美「朝嵐」によって乱れ刃の名手と高名な本工が叔父の協力を得て直刃にも高い技術を示すと評する。
一派のうちで勝光を分かつのは、したがって一つの見どころではなく手の幅である。明るく丁子を交えた互の目は素朴な祐定の手から本工の典型を分かち、冴えた直刃の技倆と標準の作域を外れる野心は、末備前の作域の上限を画す。その野心の最も明らかな証が、在銘文亀二年紀の太刀で、細身に先反りつき、当代の打刀を離れて、小板目に乱れ映りの立つ地へ直刃調の小乱れ・小丁子を焼く。これは「鎌倉末期の長船景光などをねらいとしたものであろう」[[c:7]]と読まれ、一般末備前物とは異なる非常な力作と称すべきものとされつつ、技術は遠く及ばないとも記される。対する端の大永六年紀の短刀は、刃を棟へ駆け上げて飛焼を伴う皆焼風の棟焼とし、常にも増して変化に富む。これらの端の作が、末備前勝光の手を見分けうる幅を画す。
勝光は多作の工で在銘年紀の作も相応に残るが、世に出るものは少ない。藤代の極めは最上作。国宝はなく、その記録は重要文化財一口、すなわち子治光との合作で一期一腰と添銘し東京の乃木神社に蔵する刀と、御物として伝わる備州長船勝光銘の刀を通る。来歴は大名家や旧家にも続き、宇喜多能家のための合作薙刀は仙台伊達家伝来の重宝、ほかに宇山飛弾守や北村行直らの所持銘を記す作があり、重美の刀「朝嵐」はかつて松下昌俊が所持した。これらの外、指定を受けた作およそ二十数口のうち特別重要刀剣・重要刀剣の級にあるのは僅かで、在銘の次郎左衛門尉勝光が市場に出るのは折にふれてのことであり、年紀を有し丁寧な彫物をもつ一口、かつて工がこれに過ぐるものなしと書きつけたたぐいの作は、末備前を集める者にとって出会う価値のあるものである。
勝光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在18点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
室町時代の備前
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトIf the item fails to meet the description, it may be eligible for a return (at the seller's discretion). Item(s) must be shipped back only via FedEx or UPS within 48 hours of receipt, in original undamaged state. Costs are the purchaser's responsibility.

名工による傑作、至高の拵に包まれた逸品。











Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1490-1529頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位14%
現在1点販売中
永正九年紀の刀の長銘の下、次郎左衛門尉藤原勝光は自ら一句を添えた。「心の及ぶところ此の上の者あるべからざる也」[[c:1]]、すなわち本作が同工快心の出来であることを述べている。この銘を切った工こそ、ひしめく同名のうち最も技倆すぐれた者である。説明書は、末備前と総称される室町末期の長船鍛冶に勝光の名を用いた数代・十数工があり、そのなかで右京亮勝光の子たる次郎左衛門尉を冠する系が特に技術すぐれ、与三左衛門尉祐定・五郎左衛門尉清光と並ぶ末備前を代表する刀工に数えられると記す。
説明書がその個性とするところは、共有の作域のなかの程度の差である。末備前の工はいずれも腰の開いた複式互の目、すなわち末備前を診断する刃文を焼く。勝光もまた同じ基調に典型を築き、小板目のよくつんだ地に地沸つき地景細かに入り、その上に焼の高い明るい刃を焼いて、足・葉さかんに入り、匂口冴えて締まりごころ、小さな飛焼を交える。極めが引く区別は、彼が諸工より丁子を多く交えて一段と華やかな出来とする点である。説明書は「勝光は祐定に比して丁子の刃文が目立ち」[[c:2]]、いわゆる蟹の爪と呼ばれる乱が比較的少いとする。その最上の年紀脇指では同じ点を肯定的に、「乱れの中に丁子を多く交えた一段と華やかな出来を得意としている」[[c:3]]と評する。
その華やかさの下、地鉄は終始変わらぬところである。末長船の小板目のよくつんだ地に地沸つき、地景細かに織りなし、処々やや肌立ちあるいは流れごころとなり、優品では地沸が微塵につく。古来の備前の乱れ映りはこの末の地鉄から概ね失われ、わずかの作に淡く残るのみで、永正二年紀の一刀は地沸が強いために映りが目立たず、かえって地鉄が強く見えると読まれる。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸あるいは尖りごころに、先掃きかけて返る。表裏には末備前の彫物、倶利迦羅・梵字に素剣・八幡大菩薩や天照皇太神といった神号が施され、説明書はこれを鍛冶自身の彫ではなく協力者の彫物師の手と注意する。
勝光はなにより一門の合作の名手で、その記録は大半が合作である。弟左京進宗光とは古く「宗勝合作」として珍重された刀を切り、両名を連銘した片手打の打刀・脇指がある。ある永正七年紀の脇指には明らかに「弟左京進宗光」と切られ、説明書はこれを長船一門の系図再検討を促す大変重要な資料とする。最も著名なのは与三左衛門尉祐定との合作薙刀で、永正十八年紀、大振りで豪壮な薙刀造に破軍之剣・三身節一体の陰刻があり、宇喜多能家の注文になり、「末備前の薙刀中の傑作である」[[c:5]]と評される。大永三年紀の刀は子の次郎兵衛尉治光との合作である。説明書は本工の作刀期間をほぼ明応より享禄に亘るとし、その末年、享禄二年紀には、いま一人の子息修理亮勝光との父子合作刀を打って資料的に貴重とされる。華やかな互の目の傍ら、穏やかな広直刃・直刃をも等しく能くし、説明書は、重美「朝嵐」によって乱れ刃の名手と高名な本工が叔父の協力を得て直刃にも高い技術を示すと評する。
一派のうちで勝光を分かつのは、したがって一つの見どころではなく手の幅である。明るく丁子を交えた互の目は素朴な祐定の手から本工の典型を分かち、冴えた直刃の技倆と標準の作域を外れる野心は、末備前の作域の上限を画す。その野心の最も明らかな証が、在銘文亀二年紀の太刀で、細身に先反りつき、当代の打刀を離れて、小板目に乱れ映りの立つ地へ直刃調の小乱れ・小丁子を焼く。これは「鎌倉末期の長船景光などをねらいとしたものであろう」[[c:7]]と読まれ、一般末備前物とは異なる非常な力作と称すべきものとされつつ、技術は遠く及ばないとも記される。対する端の大永六年紀の短刀は、刃を棟へ駆け上げて飛焼を伴う皆焼風の棟焼とし、常にも増して変化に富む。これらの端の作が、末備前勝光の手を見分けうる幅を画す。
勝光は多作の工で在銘年紀の作も相応に残るが、世に出るものは少ない。藤代の極めは最上作。国宝はなく、その記録は重要文化財一口、すなわち子治光との合作で一期一腰と添銘し東京の乃木神社に蔵する刀と、御物として伝わる備州長船勝光銘の刀を通る。来歴は大名家や旧家にも続き、宇喜多能家のための合作薙刀は仙台伊達家伝来の重宝、ほかに宇山飛弾守や北村行直らの所持銘を記す作があり、重美の刀「朝嵐」はかつて松下昌俊が所持した。これらの外、指定を受けた作およそ二十数口のうち特別重要刀剣・重要刀剣の級にあるのは僅かで、在銘の次郎左衛門尉勝光が市場に出るのは折にふれてのことであり、年紀を有し丁寧な彫物をもつ一口、かつて工がこれに過ぐるものなしと書きつけたたぐいの作は、末備前を集める者にとって出会う価値のあるものである。
勝光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在18点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
室町時代の備前
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトIf the item fails to meet the description, it may be eligible for a return (at the seller's discretion). Item(s) must be shipped back only via FedEx or UPS within 48 hours of receipt, in original undamaged state. Costs are the purchaser's responsibility.
