日本刀 銘 菊池延寿来源国俊(大正三年二月日) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、大正三年(1914年)二月に「菊池延寿来源国俊」と銘打たれた一振りです。 「菊池延寿」とは、肥後国菊池郡隈府(現在の熊本県菊池市)で栄えた延寿派を指します。延寿派は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて隆盛を極めました。伝承によれば、開祖である太郎国村は、大和千手院派の弘村の子であり、山城来国行の孫にあたるとされています。その系譜から、延寿派の作風は山城伝の「来派」の影響を強く受けた気品あるものとして知られています。 延寿派の刀工は、本作の銘にも見られるように、代々「国」の字を冠することを伝統としていました。また、この系統の末流からは、後に実戦本位の剛健な作風で名を馳せた「同田貫」が誕生しています。延寿の伝統は江戸時代まで脈々と受け継がれ、その歴史は五百年以上に及びます。 延寿派が最も栄えた南北朝時代は、北朝と南朝が対立する激動の時代でした。日本各地で戦火が絶えず、多くの武士が戦場へと赴きました。延寿の刀工たちは、その過酷な実戦に耐えうる、強靭で信頼のおける刀剣の作刀に心血を注いだといわれています。 また、「延寿」という名は文字通り「寿(ことぶき)を延ばす」ことを意味し、武士や諸大名の間で非常に縁起の良いものとして珍重されました。その瑞祥に満ちた名から、延寿の刀は贈答品としても高い価値を認められてきました。 本作は大正時代の作ではありますが、その銘には鎌倉時代から続く来派および延寿派の正統な血脈と伝統が反映されています。まさに、古典的な日本刀文化の遺産を近代へと継承した一振りといえるでしょう。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に鑑定されています。これは、美術品として価値が高く、保存状態の良い真作の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身に一部、黒錆の跡と小さな毀れ(こぼれ)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):60.6 cm 反り(Sori):1.4 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎に見られる黒錆は、内部の赤錆を防ぐ役割を果たします。また、経年による茎の色調の変化は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭には「松に鶴」の意匠が施されています。 日本の伝統文化において、松と鶴の組み合わせは「松鶴長春」とも呼ばれる最高級の吉祥文様であり、長寿と繁栄を象徴しています。常緑の松と、長寿の象徴である鶴は、共に不老長寿への願いが込められた意匠です。

























山城伝 · 肥後
現在19点販売中
肥後国菊池郡隈府の地に興った延寿派は、京の来の作風を九州へ移した一門である。その祖を太郎国村とし、通説に大和千手院派の弘村の子で来国行の娘聟となり、その外孫として来の工房に学んだと伝える。延寿の名はその来の一字に通うとされ、一門の出自を山城の血脈に結ぶ。国村のまわりには国時・国泰・国資・国吉・国信・国友・国綱らの上手がほぼ時を同じくして輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡の地に大いに繁栄した。延寿の工は南朝に忠なる菊池氏に属し、年紀ある作には正平・延元など南朝の年号を刻むものがあって、一門の活動とその歴史を地に結びつけている。 延寿の作は概ね来派に類似し、各工に際立った個性が少ないため、一門は個々の手よりも一団として読まれる。その共通の語法は地鉄に最もよく現れる。鍛えは小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れて柾ごころを帯び、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。その上に立つのが一門第一の見どころたる白け映りで、明るく冴える来の地鉄とは異なる、冷たく霞んだ映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃を本体とし、小互の目・小足を交え、しばしば二重刃を見せ、匂口は幾分沈みごころとなって穏やかに焼く。帽子は来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となって返り浅く、先に掃きかけるものが多い。これらの柾ごころ・白け映り・沈みごころの匂口・穏やかな刃中の働き・丸味の大きい大丸帽子が、来に似てやや異なる延寿の見どころであり、真の来から一門を分かつ要となる。本間は延寿を「来に似てやや異なる」[[c:2]]とし、その直刃の刃中の働きを来一派の直刃よりも淋しいと記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目である。 延寿の鑑定の勘所は、なべてこの来との別にある。輪反りや京風が一見来を想わせても、地の流れ・白け映り・沈む匂口より延寿と看取し、来に比して地刃やや弱しとされる。一門に個性が少ないがゆえに、主要工はその一様の中から程度の差によって絞られる。祖国村は細身で元先の幅差が顕著、反り高く小鋒に結ぶ独特の姿態をもって無銘の延寿を己に引き寄せる。国時は遺例が比較的多く作柄の平均点も高い代表工で、一門の抑えた直刃を誰よりも賑やかに働かせる。国泰は地刃の沸が一門の中で最も強くつき、佳作は明るく冴える。国資は刃中の働きが最も豊かで、寸延びの作に火焰風の帽子という一門に類のない働きを示す。国吉は地刃の冴えにおいて延寿の弱点を脱した垢抜けた手を遺し、国信は遺例こそ少ないが刃に沿う二重刃を殊に鮮明に見せる。これらの諸工はいずれも国の字を冠し、その「国」構の右半を耳形に切る銘振りを共有して他派にまぎれず、藤代に上々作以上の格を得る。伝来も地方工としては厚く、来歴の確かな作が黒田家・徳川家・伊達家・上杉家・細川家などの旧家を経、林原美術館・出光美術館・徳川美術館・佐野美術館をはじめとする機関に蔵される。在銘生ぶの太刀や身幅広い在銘の短刀は遺るものが少なく、多くは大磨上無銘の極めとして伝わるため、肥後の山城風を手に取りうる機会はおのずから限られている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 銘 菊池延寿来源国俊(大正三年二月日) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、大正三年(1914年)二月に「菊池延寿来源国俊」と銘打たれた一振りです。 「菊池延寿」とは、肥後国菊池郡隈府(現在の熊本県菊池市)で栄えた延寿派を指します。延寿派は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて隆盛を極めました。伝承によれば、開祖である太郎国村は、大和千手院派の弘村の子であり、山城来国行の孫にあたるとされています。その系譜から、延寿派の作風は山城伝の「来派」の影響を強く受けた気品あるものとして知られています。 延寿派の刀工は、本作の銘にも見られるように、代々「国」の字を冠することを伝統としていました。また、この系統の末流からは、後に実戦本位の剛健な作風で名を馳せた「同田貫」が誕生しています。延寿の伝統は江戸時代まで脈々と受け継がれ、その歴史は五百年以上に及びます。 延寿派が最も栄えた南北朝時代は、北朝と南朝が対立する激動の時代でした。日本各地で戦火が絶えず、多くの武士が戦場へと赴きました。延寿の刀工たちは、その過酷な実戦に耐えうる、強靭で信頼のおける刀剣の作刀に心血を注いだといわれています。 また、「延寿」という名は文字通り「寿(ことぶき)を延ばす」ことを意味し、武士や諸大名の間で非常に縁起の良いものとして珍重されました。その瑞祥に満ちた名から、延寿の刀は贈答品としても高い価値を認められてきました。 本作は大正時代の作ではありますが、その銘には鎌倉時代から続く来派および延寿派の正統な血脈と伝統が反映されています。まさに、古典的な日本刀文化の遺産を近代へと継承した一振りといえるでしょう。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に鑑定されています。これは、美術品として価値が高く、保存状態の良い真作の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身に一部、黒錆の跡と小さな毀れ(こぼれ)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):60.6 cm 反り(Sori):1.4 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎に見られる黒錆は、内部の赤錆を防ぐ役割を果たします。また、経年による茎の色調の変化は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭には「松に鶴」の意匠が施されています。 日本の伝統文化において、松と鶴の組み合わせは「松鶴長春」とも呼ばれる最高級の吉祥文様であり、長寿と繁栄を象徴しています。常緑の松と、長寿の象徴である鶴は、共に不老長寿への願いが込められた意匠です。

























山城伝 · 肥後
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肥後国菊池郡隈府の地に興った延寿派は、京の来の作風を九州へ移した一門である。その祖を太郎国村とし、通説に大和千手院派の弘村の子で来国行の娘聟となり、その外孫として来の工房に学んだと伝える。延寿の名はその来の一字に通うとされ、一門の出自を山城の血脈に結ぶ。国村のまわりには国時・国泰・国資・国吉・国信・国友・国綱らの上手がほぼ時を同じくして輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡の地に大いに繁栄した。延寿の工は南朝に忠なる菊池氏に属し、年紀ある作には正平・延元など南朝の年号を刻むものがあって、一門の活動とその歴史を地に結びつけている。 延寿の作は概ね来派に類似し、各工に際立った個性が少ないため、一門は個々の手よりも一団として読まれる。その共通の語法は地鉄に最もよく現れる。鍛えは小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れて柾ごころを帯び、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。その上に立つのが一門第一の見どころたる白け映りで、明るく冴える来の地鉄とは異なる、冷たく霞んだ映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃を本体とし、小互の目・小足を交え、しばしば二重刃を見せ、匂口は幾分沈みごころとなって穏やかに焼く。帽子は来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となって返り浅く、先に掃きかけるものが多い。これらの柾ごころ・白け映り・沈みごころの匂口・穏やかな刃中の働き・丸味の大きい大丸帽子が、来に似てやや異なる延寿の見どころであり、真の来から一門を分かつ要となる。本間は延寿を「来に似てやや異なる」[[c:2]]とし、その直刃の刃中の働きを来一派の直刃よりも淋しいと記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目である。 延寿の鑑定の勘所は、なべてこの来との別にある。輪反りや京風が一見来を想わせても、地の流れ・白け映り・沈む匂口より延寿と看取し、来に比して地刃やや弱しとされる。一門に個性が少ないがゆえに、主要工はその一様の中から程度の差によって絞られる。祖国村は細身で元先の幅差が顕著、反り高く小鋒に結ぶ独特の姿態をもって無銘の延寿を己に引き寄せる。国時は遺例が比較的多く作柄の平均点も高い代表工で、一門の抑えた直刃を誰よりも賑やかに働かせる。国泰は地刃の沸が一門の中で最も強くつき、佳作は明るく冴える。国資は刃中の働きが最も豊かで、寸延びの作に火焰風の帽子という一門に類のない働きを示す。国吉は地刃の冴えにおいて延寿の弱点を脱した垢抜けた手を遺し、国信は遺例こそ少ないが刃に沿う二重刃を殊に鮮明に見せる。これらの諸工はいずれも国の字を冠し、その「国」構の右半を耳形に切る銘振りを共有して他派にまぎれず、藤代に上々作以上の格を得る。伝来も地方工としては厚く、来歴の確かな作が黒田家・徳川家・伊達家・上杉家・細川家などの旧家を経、林原美術館・出光美術館・徳川美術館・佐野美術館をはじめとする機関に蔵される。在銘生ぶの太刀や身幅広い在銘の短刀は遺るものが少なく、多くは大磨上無銘の極めとして伝わるため、肥後の山城風を手に取りうる機会はおのずから限られている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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