新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
日本刀 脇差 伝・兼道(日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣認定書付) 【解説】 本作は、日本美術刀剣保存協会(日美刀)の鑑定により、室町時代末期の美濃国の刀工「兼道」と極められた一振りです。弊社にて照会を行い、その情報を確認済みです。 室町末期には兼道を名乗る刀工が数名存在しますが、なかでも最も著名なのが、後に京三品派の祖となった兼道です。 兼道は、南北朝時代の美濃国(現在の岐阜県)を代表する名工、志津三郎兼氏の九代末葉と伝えられています。 その活躍期は永禄から天正年間(1558-1575年頃)にわたり、当初は岐阜県郡上八幡の近郊で作刀し、戦国大名として名高い武田信玄のお抱え鍛冶も務めたとされています。 晩年の文禄二年(1593年)、四人の息子を連れて京へ上り、京三品派を興しました。その息子たち、伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊は、江戸初期の京都を代表する「京都五鍛冶」としてその名を馳せました。 茎(なかご)には彫物の跡が見て取れます。本作は元来より長い太刀、あるいは打刀であったものが磨上げられたものと推測され、この彫物はかつて刀身の一部であったと考えられます。 意匠は「倶利伽羅剣」で、これは仏教における信仰対象である不動明王が右手に持つ剣を表しています。一説には、不動明王は大日如来の化身とも言われます。倶利伽羅龍王が剣に巻き付く姿からその名があり、人間の煩悩である「三毒(貪・瞋・癡)」を断ち切る知恵の象徴とされています。 【刀身】 長さ(Nagasa):38.5 cm 反り(Sori):1.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造 地肌(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 茎(Nakago): 刀身の柄に収まる部分です。日本の鍛冶は、柄内部での赤錆を防ぐために意図的に黒錆を付けます。この茎の朽ち込みや色調の変化は、専門家が製作年代を推定する上での重要な指標となります。 鎺(Habaki): 刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けから守るための金具です。 鑑定書: 日本美術刀剣保存協会(日美刀)発行 特別貴重刀剣認定書 日本美術刀剣保存協会は、日本で最も権威ある鑑定機関の一つです。本作は昭和48年(1973年)3月25日に「特別貴重刀剣」として認定されました。ご購入者様には、この当時の原本をお付けいたします。ご希望があれば、記載内容の英訳PDFを作成することも可能です。 登録証番号: 富山県 第13325号 富山県教育委員会発行の銃砲刀剣類登録証が付随しています。文化庁により、美術品としての価値が認められた日本刀であることを証明するものです。 この登録証は、伝統的な手鍛造により玉鋼を用いて製作された刀剣にのみ交付されるもので、日本国内で合法的に所有するために不可欠な書類です。













新刀 · 美濃 · 1558-1570頃
兼道の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
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三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、現在の日刀保ではほとんど認められていません。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)に再提出し、現行の鑑定を受けることもご検討ください。
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