新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
商品詳細 保存刀剣 兼道(関) ご成約御礼 登録証 東京 平成28年11月8日 時代 室町末期 法量 刃長:28.7cm(九寸五分) 反り:約0.2cm(七厘) 目釘孔:2 元幅:25.3cm 先幅:20.3mm 元重:4.5mm 先重:3.6mm 裸身重量:156g 兼道は美濃の刀工。三品派の祖。志津三郎兼氏九代孫と銘切りした作もある。天文頃(1532~)から作刀が見られ、武田信玄のお抱え鍛冶となる。甲斐武田家滅亡後の文禄二年(1593)に上京し西洞院で鍛刀。その後、子の伊賀守金道や丹波守吉道らが活躍し三品派は大いに栄えた。 本刀は在銘の短刀。刃文は互の目。帽子は地蔵風に湾れこむ。地鉄は板目に柾交じる。茎健全で檜垣鑢も良く見えます。古刀ながら鍛え割れもほとんどなく、兼道の会心の一振りと言って語弊ないと思います。 短刀拵が付属します。素銅の縁頭を中心に落ち着いた配色でまとめられていますが、差裏に隠された小柄は変り形で、不動明王が睨みを利かせるこのセンスが素晴らしい。鎺は銀着せと素銅。 白鞘に面白い鞘書があります。「河野工兵の〇〇〇 濃州関住兼道作~ 明治三十七年七月吉日 工兵大尉懐? 小熊雄〇」 河野工兵とは気球隊隊長・河野長敏のことでしょうか? 鞘書をしたのは部下?の小熊氏ということなのか...?明治三十七年と言えば日露戦争の年ですから、真偽は定かではないですがロマンは十分です。 ヒケも僅かで、拵も目立ったキズ破損ありません。継木に合わせて切羽を二重にしてあります。ただし、刀身を拵に入れると目釘孔が合いませんので、切羽を+1枚付属致します。用途に合わせてお使いください。 特注の白鞘袋や名札を見ると前所有者の愛を感じます。こういう大切にされてきた刀を見ると少し心が安らぐような温かい嬉しい気持ちになりますね。大切にして頂ける方にお譲り出来ればこれに勝る喜びはありません。
























































新刀 · 美濃 · 1558-1570頃
兼道の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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新刀 · 山城
現在54点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト