新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
特別貴重刀剣鑑定書附、二代越中守正俊 銘 菊紋入 刀 【解説】 本作は、日本美術刀剣保存協会(日刀保)の鑑定により、二代越中守正俊の真作と認められた一振りです。銘にはその名と共に、誇り高き菊紋が刻まれています。 記録によれば、二代正俊は寛永年間(1624-1645)に越中守を受領し、正保年間(1645-1648)より菊紋を切り始めたとされています。その作風は師であり父でもある初代正俊に酷似しており、本作は二代正俊が最も円熟し、その技量が頂点に達した晩年期の傑作と推察されます。 初代正俊は、美濃より出た名工・関兼道の四男です。兼道はかつて名将・武田信玄の抱え鍛冶として腕を振るい、文禄二年(1593)に四人の息子(伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊)を連れて京へ上りました。彼らは江戸時代初期に京都で最も権威ある流派の一つ「三品派」を確立しました。 中でも初代正俊は「京都五鍛冶」の一人に数えられる名工であり、朝廷より菊紋を切ることを許されるという、刀工として最高の名誉を授かりました。兄弟の中でも随一の技量を持っていたと伝えられ、その卓越した技術は二代正俊へと見事に継承されています。 二代正俊もまた、江戸初期(17世紀中頃から後半)の京都において菊紋を冠することを許され、その名跡は江戸中期まで四代にわたって受け継がれました。 刀身の片面には不動明王を意味する梵字の彫物があり、古来より武士が守護神として、また戦勝祈願として武具に施した信仰の証が刻まれています。 【刀身】 長さ(Nagasa):71.59 cm(二尺三寸六分) 反り(Sori):3.03 cm(一寸) 刃文(Hamon):焼入れによって生じる刃先の結晶構造 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。時の経過とともに付着した黒錆は、赤錆を防ぐとともに、刀剣鑑定において製作年代を特定する重要な指標となります。 彫物(Horimono):刀身に施された意匠。本作には梵字が刻まれています。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭には、銀色を交えた蜻蛉(とんぼ)の図が施されています。蜻蛉は古来より日本に生息し、素早く獲物を捕らえる勇猛な姿から信仰の対象ともなりました。戦国時代には「決して後ろに退かず、前進のみする」という性質から「勝ち虫」と呼ばれ、武士の間で非常に珍重されました。特に菖蒲(しょうぶ)や矢と組み合わせた意匠は、武運長久を願う「勝負」の験担ぎとして、侍たちに深く愛された意匠です。
取扱店 サムライミュージアム



















新刀 · 山城 · 1624-1644頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
越中守正俊は、関兼道の第四子で、伊賀守金道、来金道、丹波守吉道の三兄を持つ。三品一門の中では特に作域が広く、技術も優れていると評される。活動時期は寛永年間を中心とする。
正俊の作風は、板目肌に特徴があり、「板目に柾ごころの肌交じり、肌立ち、地沸つく」[[c:1]]と表現されることが多い。また、刃文は互の目乱れを基調とし、「互の目、尖り刃、矢筈風の刃、小のたれなど交じり、足入り、飛焼頻りにかかり、沸ムラに処々荒くつき、砂流しかかる」[[c:2]]など、変化に富んだ作風を示す。特に、同派の見どころである帽子は「のたれて先尖って返る三品帽子」[[c:3]]を顕著に打ち出しており、正俊の作柄を特徴づける要素の一つとなっている。作刀姿としては、身幅広く大切先の堂々たる姿のものがみられる。薙刀の作例も現存しており、器用で様々な作風を見せたことが窺える。
重要刀剣の指定品には、寛永2年、3年、4年の年紀銘がみられ、晩年の作も資料価値が高い。総じて、匂口明るく冴えた作風を示し、一門の中でも特に器用で、作域が多様であると評価されている。
正俊の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 山城
現在54点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、現在の日刀保ではほとんど認められていません。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)に再提出し、現行の鑑定を受けることもご検討ください。
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