新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
刃長60.6センチ 反り1.6センチ 元幅31.7ミリ 元重ね7.2ミリ 物打幅24.6ミリ 物打重ね5.3ミリ 横手位置幅20.8ミリ 松葉先重ね4.6ミリ 裸身重量548グラム 拵に納めて鞘を払った重量805グラム 江戸前期慶安頃(1648~) The early period of Edo era 昭和51年10月7日 東京都登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、茶印籠刻鞘打刀拵、素銅はばき、白鞘、継木 初代・伊賀守金道の実弟にあたる来栄泉(らいえいせん/越後守来金道)を来金道二代とし、来家が「来」の号をもって山城の名門・来派を再興し、初代伊賀守金道から五代にわたり繁栄した由緒ある刀工一派です。 二代目来金道は、寛永十三年(1636)頃にはすでに初期作が見られ、銘は主に「大法師法橋来栄泉」と切り、ほかに「和泉守来金道」「大法師法橋来金道」など数種を用いています。三代・和泉守来金道とは晩年に合作も多く、代々の作域をよく伝えています。 来金道家は、もとは美濃から来住した一族で、伊賀守金道家・丹波守吉道家・越中守正俊家・近江守久道家とともに「京五鍛冶」に数えられる名門。さらに三品派の祖・兼道を棟領とし、桃山から江戸初期にかけて京・大坂で大いに繁栄した刀工集団です。 来金道(二代)の作風は、兄・二代伊賀守金道に近い、冴えた匂口の互ノ目乱れを得意とし、華やかさの中にも品位を失わない点に特徴があり、銘に見える「法橋(ほっきょう)」は本来僧位の一つで、「法印・法眼・法橋」を三綱とし、僧侶の中でも高位の称号とされます。 この刀は元先の幅差が開いて中切先気持ち延びごころ。表裏に刀樋を丸留にし、添樋を掻いています。頑健にして迫力が感ぜられる体配で、地鉄は、三品鍛冶特有の板目が柾がかり、部分的に流れて、肌立ちごころを帯び、地沸が厚くつき、地景入り、ザングリとした肌合いを呈し、淡く映りごころも見られ、刃文は、匂口極めて明るく冴え、直ぐに長く焼きだし、その上は湾れ交じりの互ノ目を巧みに焼き上げ、刃縁には大粒の沸によって砂流しが幾重にもかかり、肌に絡んで様々な景色を見せ、鋩子は直ぐに先丸く返っています。 うぶ品だけに一部に薄錆が見られますが、地刃共に出来に優れており、見る者を飽きさせません。 附属の拵は、鞘を印籠刻とし、その上に品よい茶漆を施した上質な作。柄は色濃い卯の花色で端正に巻き上げられており、全体として気品ある風合いを醸し出しています。鐔鳴りこそ見られますが、柄にガタつきはなく、しっかりとした堅牢な状態を保っています。
Certificate reading — 銘 大法師法橋来金道





















新刀 · 山城 · 1604-1660頃
現在2点販売中
来金道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在71点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
刃長60.6センチ 反り1.6センチ 元幅31.7ミリ 元重ね7.2ミリ 物打幅24.6ミリ 物打重ね5.3ミリ 横手位置幅20.8ミリ 松葉先重ね4.6ミリ 裸身重量548グラム 拵に納めて鞘を払った重量805グラム 江戸前期慶安頃(1648~) The early period of Edo era 昭和51年10月7日 東京都登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、茶印籠刻鞘打刀拵、素銅はばき、白鞘、継木 初代・伊賀守金道の実弟にあたる来栄泉(らいえいせん/越後守来金道)を来金道二代とし、来家が「来」の号をもって山城の名門・来派を再興し、初代伊賀守金道から五代にわたり繁栄した由緒ある刀工一派です。 二代目来金道は、寛永十三年(1636)頃にはすでに初期作が見られ、銘は主に「大法師法橋来栄泉」と切り、ほかに「和泉守来金道」「大法師法橋来金道」など数種を用いています。三代・和泉守来金道とは晩年に合作も多く、代々の作域をよく伝えています。 来金道家は、もとは美濃から来住した一族で、伊賀守金道家・丹波守吉道家・越中守正俊家・近江守久道家とともに「京五鍛冶」に数えられる名門。さらに三品派の祖・兼道を棟領とし、桃山から江戸初期にかけて京・大坂で大いに繁栄した刀工集団です。 来金道(二代)の作風は、兄・二代伊賀守金道に近い、冴えた匂口の互ノ目乱れを得意とし、華やかさの中にも品位を失わない点に特徴があり、銘に見える「法橋(ほっきょう)」は本来僧位の一つで、「法印・法眼・法橋」を三綱とし、僧侶の中でも高位の称号とされます。 この刀は元先の幅差が開いて中切先気持ち延びごころ。表裏に刀樋を丸留にし、添樋を掻いています。頑健にして迫力が感ぜられる体配で、地鉄は、三品鍛冶特有の板目が柾がかり、部分的に流れて、肌立ちごころを帯び、地沸が厚くつき、地景入り、ザングリとした肌合いを呈し、淡く映りごころも見られ、刃文は、匂口極めて明るく冴え、直ぐに長く焼きだし、その上は湾れ交じりの互ノ目を巧みに焼き上げ、刃縁には大粒の沸によって砂流しが幾重にもかかり、肌に絡んで様々な景色を見せ、鋩子は直ぐに先丸く返っています。 うぶ品だけに一部に薄錆が見られますが、地刃共に出来に優れており、見る者を飽きさせません。 附属の拵は、鞘を印籠刻とし、その上に品よい茶漆を施した上質な作。柄は色濃い卯の花色で端正に巻き上げられており、全体として気品ある風合いを醸し出しています。鐔鳴りこそ見られますが、柄にガタつきはなく、しっかりとした堅牢な状態を保っています。
Certificate reading — 銘 大法師法橋来金道





















新刀 · 山城 · 1604-1660頃
現在2点販売中
来金道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在71点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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