第四十一回重要刀剣の一刀は、茎裏に「丹後守兼道」の大振りな五字銘を切り、「元禄十四年二月日」の年紀を添えており、年紀作の僅少なこの工にあって、その活躍期を辛うじて定める数少ない一口である。これが丹後守兼道の二代、通称喜平次であり、大阪に住して元禄・宝永頃に活躍し、江戸でも作刀したと伝えられる。説明書はこれを初代丹後守兼道の子とし、初代は通説に京二代丹波守吉道の二男といわれ、すなわち美濃関の兼道が京に伝えた三品派の一支であって、金道・吉道らの兄弟が新刀初期の京に大いに枝を張った一門である。初代丹後守は三品吉兵衛と称し初銘を直道とし、大阪に住して、御家芸の簾刃や丁子ごころを交えた互の目で知られた。その子が意図して異なる道を取ったこと、その分かれ目こそが、作の上のこの工の核である。
初代が御家芸ともいうべき簾刃や丁子ごころを交えた互の目を焼いたのに対し、二代は丁子を離れ、当時の大坂新刀の流行を映す華やかな濤瀾風の大互の目に転ずる。その最も特徴的な見どころは、装飾ではなく構成にある。彼は刃の上半と下半にわたって、互の目の二つ連れた刃と三つ連れた刃とを交互に組み、相互に繰り返して濤瀾そのものに変化を生む。ある一刀について説明書は「互の目の二つ連れた刃と三つ連れた刃とが相互に交じる点に大きな特色が見られる」と記し、また刀と脇指で連れ刃の組み方を反対にした大小揃については、その変化に「彼の工夫の跡」が窺われるとする。この焼刃に足太くよく入り、匂深く、沸厚く処々荒く、砂流し・金筋かかり、飛焼を交えて棟を焼き、匂口は明るい。
この華やかな焼刃の下の地鉄は、静かで清い、まさに大坂の鉄である。小板目をよくつめ、地沸が微塵につき、地景が細かに入り、肌は立つよりむしろつむ。美濃に発する古い三品の肌立つ板目に対して二代を分かつ地である。焼刃は常に区元の直ぐの焼出しから起こり、濤瀾へと開く。これは二様いずれもが立ち上がる大坂新刀の基調である。帽子は刃に応じて小丸に、やや深めに返り、掃きかけ、幅広の作では僅かに尖りごころをおびる。彫物は、ある場合には丸留めの棒樋に添樋を添える。姿は元禄の気風を映して豪壮で、身幅広く、重ね厚く、身幅の割に鎬幅広く、踏張りごころがあり、反り深く、中鋒延びる。説明書はこの種の体配が貞享・元禄頃の刀工によく経眼するものと記す。
説明書はその作を二様に分かつ。主調は右に述べた濤瀾風の大互の目であり、この工の見どころが最もよく現れ、当時の大坂の作風に直結する手である。第二は静かな貌、しかも説明書が初代作には見られないと注意して記す、匂の深い直刃調である。直ぐの焼出しが焼幅広い直刃調に開き、浅くのたれ、足さかんに入り、匂深く、沸厚くやや荒めの沸を交え、上半に二段刃風を呈し、金筋・砂流しよくかかる。この貌の一口について説明書は「真改風の作柄をあらわしている」と記し、その擬えは的確である。すなわちこの静かな面が最も近づくのは、大坂の大家・井上真改の匂深く沸のよくついた直刃なのである。二様は時代の前後ではなく一つの幅であり、同じ大坂の手が一度は華やかに、一度は抑えて述べられたものである。
この工を位置づけるのは、説明書が両代の間に慎重に引く区別であり、その区別自体が鑑定そのものである。初代丹後守は作の多くに区下に菊紋と「一」の字を切り、御家芸の簾刃や丁子ごころを交えた互の目に傾く。二代は菊紋も「一」の字も切らず、匂深の直刃調や、時代の流行を映す濤瀾風の大互の目に転ずる。ゆえにその特色は父の作によってではなく、彼自身の確かな手によって引くのがよい。交互に連れる濤瀾の互の目、真改に擬えられる匂深く明るい焼刃、清く微塵に締まった小板目、そして大坂の直ぐの焼出しが、三品の系の中でも、また彼自身の家の中でも、この工を分かつ。大互の目の作について説明書は端的に「この工の特徴」がその刃形に現れると説く。彼は当時の大坂の語法に忠実でありながら、紛れもなく彼自身の構成上の工夫を営む、堅実にして個性ある二代として立つ。
兼道は藤代の格付で中上作とされ、七口が重要刀剣に列し、いずれも在銘で、国宝・重要文化財はない。その記録は、国を代表する大名というより、堅実にして個性ある大坂新刀の上手のものである。この指定の格に現存する一群は小さく、ほぼ全てが在銘で、これは新刀工にとってそれ自体が資料的な美点であり、極めではなく銘によって名が定まっている。一刀は大坂城代青山家の伝来で、説明書はこれを「大坂城代青山家伝来の一口」とし、同家舊蔵の新刀にこの種の長寸のものをまま経眼するとして、おそらく同家からの注文によるものと推する。彼が仕えた都市に作を結ぶ大名伝来の一筋である。二代の大小揃もまた現存し、説明書はこれを極めて珍しく資料的にも貴重とする。蒐集の上では、その作は大坂新刀の上手の中ではむしろ求めやすい部類に属し、指定作の多くは重要刀剣の格にとどまって秘蔵されるわけではない。手とその年を共に定める元禄十四年紀の在銘の一刀のような作こそ、より稀で望ましく、時折世に現れて、辛抱に応える一口である。