肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
This handsome katana was forged by nidai (second generation) Tadakuni of Hizen province. Born Hashimoto Danzaemon, he apprenticed under his father shodai Tadakuni, who had himself trained under the grandmaster swordsmith shodai Tadayoshi. He first signed under the name Harukuni, then stepped up to Tadakuni after his father retired. During the Tenna era (1681-1684) he bore the prestigious honorary title Harima no Kami – Lord of Harima province – and it is this signature that graces the nakago of this sword. A subtle yet significant key to identifying generational work: shodai signed the radical “Hi” of Hizen with one chisel stroke, while nidai signed it with two. What makes this katana particularly collectible is its hamon. The overwhelming majority of Hizen-to carry either suguha or gunome with choji variations – here, nidai Tadakuni has produced a gorgeous, bright notare hamon that flows along the blade with elegance and grace, wrought in nie-deki consistent with the finest Hizen tradition. The steel itself is quintessentially Hizen: a tightly forged ko-mokume that resolves into the fine, rice-grain texture known as konuka-hada. On the ura side of the ubu nakago sits a crisp 16-petal kiku-mon – a mark of Imperial permission granted via the Mishima family of Kyoto, who served as liaison between the sword world and the Imperial court. The koshirae is a classy uchigatana-koshirae lacquered in glossy black, crafted during the Modern period. Its polished omodaka (three-leaf arrowhead) tsuba is attributed to Masafusa of the Ito school, Mid-Edo period. The fuchi-kashira, attributed to the prized Yoshioka school (1700-1780), is decorated with kiri-mon paulownia designs in gold on shakudo-nanako. The menuki depict a scene from the beloved Noh play Takasago, which speaks to the virtues of a loving and long-married couple. Nidai Tadakuni is ranked chûjo-saku – above average – and rated wazamono for the sharpness of his blades.

販売店の記載のまま
新刀 · 肥前 · 1673-1681頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位31%
肥前の二代播磨守忠国は、昭和三十九年・平成四年・平成七年に重要刀剣に指定された在銘の刀三口によって知られる。説明は「二代播磨守忠国は、初代忠国の子で、弾左衛門と称し、初銘を治国ときり、父初代の隠居後に忠国を襲名した」[[c:1]]と記し、年紀作は延宝五年八月日紀から貞享二年二月日紀まで見られ、元禄・貞享の頃をその活躍期とし、現存する作刀は稀れであるとする。作刀の殆どに表に菊紋・裏に蟹牡丹紋をきり、説明はこれを「恐らく近衛家と深い関係があったものであろう」[[c:2]]と推している。一口には「以南蛮鍛作」の銘もある。
作風は初代同様、互の目に丁子を交えた乱れ刃と直刃の両様があり、指定の三口にも両者がみられる。鍛えはいずれも小板目肌よくつみ、地沸微塵に厚くつき、地景細かに入る。平成七年指定の刀は直ぐに焼き出して、その上は互の目に小のたれ・丁子風の刃・小互の目などを交え、足よく入り、葉を交え、匂深く、沸厚くつき、金筋入り、匂口明るい。説明は焼刃の匂深く沸厚く匂口の明るい点にこの工の技術の高さを見、「また刃中総体に砂流しのかかった態には、忠国一派の伝統的な特色が察知される」[[c:3]]と述べ、元の直ぐの焼出しは肥前の諸工にまま見受けられるとする。
昭和三十九年指定の刀は浅く湾れ調に互の目・丁子交り、匂深く小沸よくつき、砂流しかかる。説明は「ところがこの作刀に見る技術は、父に優るものがあり、この時代の肥前刀工中でも屈指の一人であることがわかる」[[c:4]]とし、乱出来の他に直刃も上手であると記す。
直刃の作としては平成四年指定の刀があり、身幅やや広く、元に踏張りごころがあり、重ね厚く、反り深くつく姿に、中直刃を焼き、小沸よくつき、細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るい。説明は上品な作柄とし、「作品の少ない同作の中でも白眉であり」[[c:5]]、二代忠国の卓抜した技量の高さが窺える一口と評している。
忠國の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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新刀 · 肥前
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肥前派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。 詳しく見る →
肥前 藩営の刀
肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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