肥前の二代播磨守忠国は、昭和三十九年・平成四年・平成七年に重要刀剣に指定された在銘の刀三口によって知られる。説明は「二代播磨守忠国は、初代忠国の子で、弾左衛門と称し、初銘を治国ときり、父初代の隠居後に忠国を襲名した」と記し、年紀作は延宝五年八月日紀から貞享二年二月日紀まで見られ、元禄・貞享の頃をその活躍期とし、現存する作刀は稀れであるとする。作刀の殆どに表に菊紋・裏に蟹牡丹紋をきり、説明はこれを「恐らく近衛家と深い関係があったものであろう」と推している。一口には「以南蛮鍛作」の銘もある。
作風は初代同様、互の目に丁子を交えた乱れ刃と直刃の両様があり、指定の三口にも両者がみられる。鍛えはいずれも小板目肌よくつみ、地沸微塵に厚くつき、地景細かに入る。平成七年指定の刀は直ぐに焼き出して、その上は互の目に小のたれ・丁子風の刃・小互の目などを交え、足よく入り、葉を交え、匂深く、沸厚くつき、金筋入り、匂口明るい。説明は焼刃の匂深く沸厚く匂口の明るい点にこの工の技術の高さを見、「また刃中総体に砂流しのかかった態には、忠国一派の伝統的な特色が察知される」と述べ、元の直ぐの焼出しは肥前の諸工にまま見受けられるとする。
昭和三十九年指定の刀は浅く湾れ調に互の目・丁子交り、匂深く小沸よくつき、砂流しかかる。説明は「ところがこの作刀に見る技術は、父に優るものがあり、この時代の肥前刀工中でも屈指の一人であることがわかる」とし、乱出来の他に直刃も上手であると記す。
直刃の作としては平成四年指定の刀があり、身幅やや広く、元に踏張りごころがあり、重ね厚く、反り深くつく姿に、中直刃を焼き、小沸よくつき、細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るい。説明は上品な作柄とし、「作品の少ない同作の中でも白眉であり」、二代忠国の卓抜した技量の高さが窺える一口と評している。