南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
古三原の重要刀剣、寸法二尺四寸八分弱、良く錬られた地鉄、上品な焼き刃等々、伸びやかで健全な逸品です。 古三原とは、三原一派の中でも、南北朝中期から室町最初期に掛けて活躍した鍛冶の総称で、右衛門尉正家、その子と伝わる左衛門尉正廣をその双璧とし、一派には正信らがいます。 作風としては、直刃基調の焼き刃で、大和伝を色濃く示すもの、隣国の備中青江気質を示すものが多く見られます。 代表工の年紀作に見る活躍期は、正家は文和(一三五二~五六)から永和(一三七五~七九)、正廣は至徳(一三八四~八七)から応永(一三九四~一四二八)、正信は永和から明徳(一三九〇~九二)となっています。 本作は、古三原正廣の希少な在銘短刀、昭和四十四年(一九六九)、第十八回の重要刀剣に指定された名品です。 寸法二尺四寸八分弱、身幅しっかりとした伸びやかなスタイルで、刃は元から先まで至って健全です。 板目に杢目、刃寄り流れ肌を交えて上品に肌立つ地鉄は、地景繁く入り、細直刃調で僅かに湾れ心のある刃は、刃縁小沸付いて締まり気味となり、僅かにほつれ、刃中小足、葉入るなど、大和気質と青江気質が混在する上品で味わい深い一振りです。 図譜にも、『この刀は、古三原の典型作であり、地刃共に健全である。』とあるように、南北朝盛期に於ける古三原らしい作域が存分に示されてた逸品、寸法も十分で、姿良く、末永く楽しめる古三原です。
大磨上げ無銘の刀で、 古三原と鑑せられるものである。 の作を古三原と汎称する。 三原派は、備後国三原に居住した一派で、鎌倉末期に始り、室町末期にわたって繁栄し、鎌倉末期から南北朝期 同派の作は、各時代を通じて大和物の影響を多く受け、直刃を得意として、個性が少い。 この刀は古三原派の典型作であり、地刃ともに健全である。







大磨上げ無銘の刀で、 古三原と鑑せられるものである。 の作を古三原と汎称する。 三原派は、備後国三原に居住した一派で、鎌倉末期に始り、室町末期にわたって繁栄し、鎌倉末期から南北朝期 同派の作は、各時代を通じて大和物の影響を多く受け、直刃を得意として、個性が少い。 この刀は古三原派の典型作であり、地刃ともに健全である。
大和伝 · 備後
現在8点販売中
古三原は、備後国三原の地に鎌倉時代末期から南北朝期にかけて栄えた刀工群の総称である。三原を含む備後には、東寺や蓮華王院など畿内中央の社寺の荘園が多く営まれ、大和との往来が絶えなかった。一派の作に色濃くあらわれる大和気質は、この交流を介して備後の地に根づいたものと説かれる。同派は鎌倉末期に興って室町時代末期に至るまで続き、そのうち鎌倉末より南北朝期にかけての初期のものを取り分けて古三原と呼ぶ。正家を祖、正広をその子とする所伝があるが、作刀の上からは在銘の多い正広の方がむしろ古調を示すとされ、いずれの名も一代限りの手ではない。隣国備中の国分寺に拠った助国や、葦田郡の法華一乗派に連なる兼安のごとく、三原本流とは系統を分かちつつ大和気質を共有する近隣の工も、この圏内に並んで読まれる。 作風は、備後の地鉄にあらわれた大和の気質という一語に尽きる。鍛えは板目に杢と流れ肌を交えて平らに臥さず立ち、刃寄りでしばしば柾がかって肌立ち、地沸が微塵につき、地景が入る。地の決め手は淡い白け映りで、現存作の半ばを越えて立ち、かな色はやや黒みを帯びる。刃文は匂口の締まりごころな中直刃を基調とし、小互の目・小乱れを僅かに交えて小足・葉がよく入り、刃縁は細かにほつれて喰違刃・二重刃風がかかり、金筋・砂流しが刃中を走る。匂口は冴え立つよりは沈みごころとなるが、上出来の一口では明るく冴える。帽子は焼詰めとならず、直ぐに掃きかけて小丸に穏やかに返るのを常とする。大和本国の作に比べて地刃の沸が弱く、鍛えが杢立ち、白け映りが目立つ点が、本国大和の諸派から一派を分かつ目印である。双璧の二工はこの基調の内で姿により分かれ、正広に中鋒の尋常な作が多く刃中の働きや乱ごころが目立つのに対し、正家には豪壮な大鋒の作例が多い。一派の流れの末を飾る正信や、同派に伝わる正宗の名がこれに続く。古三原に対し、室町期に下る末三原は概して直刃が単調に流れて覇気を減じ、初期の沸づいた静かな上品さを欠く。 鑑定の勘所もまた、この地刃の大和気質に置かれる。鎬の高く鎬幅の広い造込み、地に一際目立って流れる杢、白け映り、刃縁のほつれと喰違刃が、見どころの核をなす。大和本国の奈良諸派とは、地刃の沸の弱さと白け映りの立つ備後の地鉄によって分かたれ、隣国備中の青江物と一見紛れる作も、鎬高の造込みと白け映り、刃中の二重刃によって三原へ引き戻される。古い剣書もこの似通いを早く認め、面ぶりが備中の太刀に似ると記している。在銘の太刀は細鏨で大振りに長銘を切り、初代正広は必ず備州住と切って備後国住とは切らず、稀に正広作の三字銘もある。これらの年紀作は数が乏しいだけに一派の編年の拠り所そのものとなる。一方で同派の作には大磨上無銘のものがすこぶる多く、後世の鑑識によって三原の各工へ極められ、金象嵌で定まるものもある。返りの深い帽子は名物大三原に拠り所をもつ。伝来の知られるものには、近衛家を経て陽明文庫に伝わる太刀や、前田家・井伊家など大名家の旧蔵があり、無銘の極め物を含めて、市にあらわれることは多くない。古三原は、華やかな乱れよりも静かで上品な直刃の手によって判ぜられる、備後における大和の影響を確かに語る一派である。 詳しく見る →
南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。
古三原の重要刀剣、寸法二尺四寸八分弱、良く錬られた地鉄、上品な焼き刃等々、伸びやかで健全な逸品です。 古三原とは、三原一派の中でも、南北朝中期から室町最初期に掛けて活躍した鍛冶の総称で、右衛門尉正家、その子と伝わる左衛門尉正廣をその双璧とし、一派には正信らがいます。 作風としては、直刃基調の焼き刃で、大和伝を色濃く示すもの、隣国の備中青江気質を示すものが多く見られます。 代表工の年紀作に見る活躍期は、正家は文和(一三五二~五六)から永和(一三七五~七九)、正廣は至徳(一三八四~八七)から応永(一三九四~一四二八)、正信は永和から明徳(一三九〇~九二)となっています。 本作は、古三原正廣の希少な在銘短刀、昭和四十四年(一九六九)、第十八回の重要刀剣に指定された名品です。 寸法二尺四寸八分弱、身幅しっかりとした伸びやかなスタイルで、刃は元から先まで至って健全です。 板目に杢目、刃寄り流れ肌を交えて上品に肌立つ地鉄は、地景繁く入り、細直刃調で僅かに湾れ心のある刃は、刃縁小沸付いて締まり気味となり、僅かにほつれ、刃中小足、葉入るなど、大和気質と青江気質が混在する上品で味わい深い一振りです。 図譜にも、『この刀は、古三原の典型作であり、地刃共に健全である。』とあるように、南北朝盛期に於ける古三原らしい作域が存分に示されてた逸品、寸法も十分で、姿良く、末永く楽しめる古三原です。
大磨上げ無銘の刀で、 古三原と鑑せられるものである。 の作を古三原と汎称する。 三原派は、備後国三原に居住した一派で、鎌倉末期に始り、室町末期にわたって繁栄し、鎌倉末期から南北朝期 同派の作は、各時代を通じて大和物の影響を多く受け、直刃を得意として、個性が少い。 この刀は古三原派の典型作であり、地刃ともに健全である。







大磨上げ無銘の刀で、 古三原と鑑せられるものである。 の作を古三原と汎称する。 三原派は、備後国三原に居住した一派で、鎌倉末期に始り、室町末期にわたって繁栄し、鎌倉末期から南北朝期 同派の作は、各時代を通じて大和物の影響を多く受け、直刃を得意として、個性が少い。 この刀は古三原派の典型作であり、地刃ともに健全である。
大和伝 · 備後
現在8点販売中
古三原は、備後国三原の地に鎌倉時代末期から南北朝期にかけて栄えた刀工群の総称である。三原を含む備後には、東寺や蓮華王院など畿内中央の社寺の荘園が多く営まれ、大和との往来が絶えなかった。一派の作に色濃くあらわれる大和気質は、この交流を介して備後の地に根づいたものと説かれる。同派は鎌倉末期に興って室町時代末期に至るまで続き、そのうち鎌倉末より南北朝期にかけての初期のものを取り分けて古三原と呼ぶ。正家を祖、正広をその子とする所伝があるが、作刀の上からは在銘の多い正広の方がむしろ古調を示すとされ、いずれの名も一代限りの手ではない。隣国備中の国分寺に拠った助国や、葦田郡の法華一乗派に連なる兼安のごとく、三原本流とは系統を分かちつつ大和気質を共有する近隣の工も、この圏内に並んで読まれる。 作風は、備後の地鉄にあらわれた大和の気質という一語に尽きる。鍛えは板目に杢と流れ肌を交えて平らに臥さず立ち、刃寄りでしばしば柾がかって肌立ち、地沸が微塵につき、地景が入る。地の決め手は淡い白け映りで、現存作の半ばを越えて立ち、かな色はやや黒みを帯びる。刃文は匂口の締まりごころな中直刃を基調とし、小互の目・小乱れを僅かに交えて小足・葉がよく入り、刃縁は細かにほつれて喰違刃・二重刃風がかかり、金筋・砂流しが刃中を走る。匂口は冴え立つよりは沈みごころとなるが、上出来の一口では明るく冴える。帽子は焼詰めとならず、直ぐに掃きかけて小丸に穏やかに返るのを常とする。大和本国の作に比べて地刃の沸が弱く、鍛えが杢立ち、白け映りが目立つ点が、本国大和の諸派から一派を分かつ目印である。双璧の二工はこの基調の内で姿により分かれ、正広に中鋒の尋常な作が多く刃中の働きや乱ごころが目立つのに対し、正家には豪壮な大鋒の作例が多い。一派の流れの末を飾る正信や、同派に伝わる正宗の名がこれに続く。古三原に対し、室町期に下る末三原は概して直刃が単調に流れて覇気を減じ、初期の沸づいた静かな上品さを欠く。 鑑定の勘所もまた、この地刃の大和気質に置かれる。鎬の高く鎬幅の広い造込み、地に一際目立って流れる杢、白け映り、刃縁のほつれと喰違刃が、見どころの核をなす。大和本国の奈良諸派とは、地刃の沸の弱さと白け映りの立つ備後の地鉄によって分かたれ、隣国備中の青江物と一見紛れる作も、鎬高の造込みと白け映り、刃中の二重刃によって三原へ引き戻される。古い剣書もこの似通いを早く認め、面ぶりが備中の太刀に似ると記している。在銘の太刀は細鏨で大振りに長銘を切り、初代正広は必ず備州住と切って備後国住とは切らず、稀に正広作の三字銘もある。これらの年紀作は数が乏しいだけに一派の編年の拠り所そのものとなる。一方で同派の作には大磨上無銘のものがすこぶる多く、後世の鑑識によって三原の各工へ極められ、金象嵌で定まるものもある。返りの深い帽子は名物大三原に拠り所をもつ。伝来の知られるものには、近衛家を経て陽明文庫に伝わる太刀や、前田家・井伊家など大名家の旧蔵があり、無銘の極め物を含めて、市にあらわれることは多くない。古三原は、華やかな乱れよりも静かで上品な直刃の手によって判ぜられる、備後における大和の影響を確かに語る一派である。 詳しく見る →
南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。