草紙を画題にしたあたりは少し文化を匂わせる切り口の本小柄。草紙ですから繁栄や富への願いを込めた意味合いではなく、学問や知識、位、品格などを意識した画題だと思われます。まさに安定した時代となった江戸中期頃の作を象徴するかのようです。小柄としては新しい区分に入ります(もちろん当店での区分です)。造も風合いも江戸中期以降を地で行く姿、構造は二枚貼の地板嵌込、紋は鑞付据紋で腰も低いのですが、代わりに保存状態は良く七子地も時代なりの減り具合。本作の画題は草紙が三冊の構成ですが、同じ図柄を用いた五冊のバージョンも現存しており、バリエーションもそれなりにあったはずです。かといって粗雑な数物ではありません。地金の色も黒く七子粒は細かく整然と撒かれています。ここまでの所作と特徴から加賀後藤という鑑定書の極は妥当でしょう。加賀後藤でなければ、構図からして傍後藤か京金工に行くしかありませんが、何と言っても二冊に施された金色絵の象嵌が加賀後藤に極めた決め手だと思われます。草紙の表紙模様を丁寧に彫り込んで金を埋め込んである所作が見所で、表題の文字も彫られていることも面白い(何て書いてあるのか、平仮名? 漢字?)。ここまでやりながらもう一冊の金色絵と銀色絵は蒸着のようで、擦れた風合いが象嵌部分と同居している様は少し違和感を感じます。せめて焼付にでもしていたら、かなり映えた作になっていたと思われるのですが・・・・(後世の私たちが要望するのは筋違いですが)

加賀後藤派
江戸
加賀
無銘
保存 (NBTHK)
家彫 · 加賀
現在26点販売中
加賀後藤は、加賀前田家が京都より後藤家の名工を招いたことに始まる後藤一門の地方分流である。祖となる後藤覚乗光信は天正十七年(一五八九)京都に生まれ、長乗の次男にして祖父光乗の孫にあたる。家康公の上意により、宗家ではない勘兵衛家の覚乗が後藤家一子相伝の秘法を祖父光乗から残らず受け継いだことは特筆すべき事項である。加賀前田家に金工家としては破格の百五十石で召し抱えられ、前田利常公にも重用されて側近くに御供するなど格別に取り立てられた。覚乗の後を受けて加賀後藤を盛り立てたのが後藤悦乗光邦である。悦乗は後藤本家九代目程乗の次男で寛永十九年(一六四二)京都に生まれ、理兵衛家を盛りたて、勘兵衛家の演乗と隔年ごとに加州金沢に住して前田家に出仕し、多くの門人を育成して加州金工の発展に尽力した。宝永五年(一七〇八)六十七歳で歿している。 作風は専ら後藤の御家流を継承し、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を一貫した技法の柱とする。覚乗の倶利伽羅図二所では金魚子地に金銀赤銅の据紋を配し、祐乗以来の意匠を力強く彫出しており、鶴卵孵化図二所では赤銅魚子地に高彫金銀色絵を施し、雛の躍動する姿と卵殻の鋭い質感を見事に表現している。悦乗の鯱図三所物は赤銅波文地に金紋を据え、大振りながら隅々まで細緻な鏨が活きた渾身の一作と評される。葵紋を散らした糸巻太刀拵の総金具では赤銅魚子地に鋤出高彫・金色絵・金小縁を駆使し、式正の仕立に豪華な品格を備える。悦乗の在銘作には父程乗同様の肉置と仕立が認められ、筍図三所物では「笄・小柄の仕立、肉置は全く程乗同様であり、金の色あいもよく、彫技も傑出している」と称される。枝菊文鐔のごとき無銘作にあっても「さすがに格調があり、出来も見事である」と鑑されるなど、一門の技術水準の高さが窺える。 覚乗は前田家の抱え工であったため現存する作品が少なく、光邦の在銘三所物も「非常に少なく」「後藤家研究の好資料」と位置づけられる。その希少さゆえに、指定品の一点一点が後藤家の技術伝承を跡づける学術的価値を有する。悦乗の作風は「父程乗にも劣らず上手」と評され、加賀後藤の発展に寄与した功績は鞘・金具双方の優品を通じて明らかである。覚乗による一子相伝の秘法の継承から、悦乗・演乗の隔年出仕を経て門弟育成に至るまで、加賀後藤は後藤宗家の正統な技法を加賀の地に根付かせ、後藤一門の伝統の中で独自の位置を占める重要な一流である。
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内、商品販売時と状態が変化していない場合適用させて頂きます。商品代金は返品確認後、ご指定口座へ速やかにご返金致します。
草紙を画題にしたあたりは少し文化を匂わせる切り口の本小柄。草紙ですから繁栄や富への願いを込めた意味合いではなく、学問や知識、位、品格などを意識した画題だと思われます。まさに安定した時代となった江戸中期頃の作を象徴するかのようです。小柄としては新しい区分に入ります(もちろん当店での区分です)。造も風合いも江戸中期以降を地で行く姿、構造は二枚貼の地板嵌込、紋は鑞付据紋で腰も低いのですが、代わりに保存状態は良く七子地も時代なりの減り具合。本作の画題は草紙が三冊の構成ですが、同じ図柄を用いた五冊のバージョンも現存しており、バリエーションもそれなりにあったはずです。かといって粗雑な数物ではありません。地金の色も黒く七子粒は細かく整然と撒かれています。ここまでの所作と特徴から加賀後藤という鑑定書の極は妥当でしょう。加賀後藤でなければ、構図からして傍後藤か京金工に行くしかありませんが、何と言っても二冊に施された金色絵の象嵌が加賀後藤に極めた決め手だと思われます。草紙の表紙模様を丁寧に彫り込んで金を埋め込んである所作が見所で、表題の文字も彫られていることも面白い(何て書いてあるのか、平仮名? 漢字?)。ここまでやりながらもう一冊の金色絵と銀色絵は蒸着のようで、擦れた風合いが象嵌部分と同居している様は少し違和感を感じます。せめて焼付にでもしていたら、かなり映えた作になっていたと思われるのですが・・・・(後世の私たちが要望するのは筋違いですが)

加賀後藤派
江戸
加賀
無銘
保存 (NBTHK)
家彫 · 加賀
現在26点販売中
加賀後藤は、加賀前田家が京都より後藤家の名工を招いたことに始まる後藤一門の地方分流である。祖となる後藤覚乗光信は天正十七年(一五八九)京都に生まれ、長乗の次男にして祖父光乗の孫にあたる。家康公の上意により、宗家ではない勘兵衛家の覚乗が後藤家一子相伝の秘法を祖父光乗から残らず受け継いだことは特筆すべき事項である。加賀前田家に金工家としては破格の百五十石で召し抱えられ、前田利常公にも重用されて側近くに御供するなど格別に取り立てられた。覚乗の後を受けて加賀後藤を盛り立てたのが後藤悦乗光邦である。悦乗は後藤本家九代目程乗の次男で寛永十九年(一六四二)京都に生まれ、理兵衛家を盛りたて、勘兵衛家の演乗と隔年ごとに加州金沢に住して前田家に出仕し、多くの門人を育成して加州金工の発展に尽力した。宝永五年(一七〇八)六十七歳で歿している。 作風は専ら後藤の御家流を継承し、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を一貫した技法の柱とする。覚乗の倶利伽羅図二所では金魚子地に金銀赤銅の据紋を配し、祐乗以来の意匠を力強く彫出しており、鶴卵孵化図二所では赤銅魚子地に高彫金銀色絵を施し、雛の躍動する姿と卵殻の鋭い質感を見事に表現している。悦乗の鯱図三所物は赤銅波文地に金紋を据え、大振りながら隅々まで細緻な鏨が活きた渾身の一作と評される。葵紋を散らした糸巻太刀拵の総金具では赤銅魚子地に鋤出高彫・金色絵・金小縁を駆使し、式正の仕立に豪華な品格を備える。悦乗の在銘作には父程乗同様の肉置と仕立が認められ、筍図三所物では「笄・小柄の仕立、肉置は全く程乗同様であり、金の色あいもよく、彫技も傑出している」と称される。枝菊文鐔のごとき無銘作にあっても「さすがに格調があり、出来も見事である」と鑑されるなど、一門の技術水準の高さが窺える。 覚乗は前田家の抱え工であったため現存する作品が少なく、光邦の在銘三所物も「非常に少なく」「後藤家研究の好資料」と位置づけられる。その希少さゆえに、指定品の一点一点が後藤家の技術伝承を跡づける学術的価値を有する。悦乗の作風は「父程乗にも劣らず上手」と評され、加賀後藤の発展に寄与した功績は鞘・金具双方の優品を通じて明らかである。覚乗による一子相伝の秘法の継承から、悦乗・演乗の隔年出仕を経て門弟育成に至るまで、加賀後藤は後藤宗家の正統な技法を加賀の地に根付かせ、後藤一門の伝統の中で独自の位置を占める重要な一流である。
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内、商品販売時と状態が変化していない場合適用させて頂きます。商品代金は返品確認後、ご指定口座へ速やかにご返金致します。