Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 生ぶ茎無銘の山城守国包、即ち仙台国包二代の作と極められた刀。山城守国包は山城大掾国包の子として慶長十七年に生まれ、名を本郷吉左衛門という。正保二年に家督を継ぎ、寛文七年に山城守を受領。長く父の作刀を援けて大和伝の技術を修めており、詰み澄んだ柾目肌に直刃の冴えた刀は父同様に刃味も抜群に優れ、良業物に列せられている。


Sendai Kunikane, Mutsu (Sendai Shinto) · Rikuzen · 1644-1670頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在2点販売中
二代山城守藤原国包は仙台国包の二代で、慶長十七年(一六一二)に生まれ、正保二年(一六四五)三十四歳で家督を相続し、寛文七年(一六六七)に山城守を受領、同十二年(一六七二)六十一歳で歿した。本工は初代山城大掘国包の嫡子で、初代は大和保昌の末流を称し、仙台の伊達政宗に仕え、その命によって上洛して越中守正俊の門に学び、寛永三年(一六二六)に山城大掘を受領した。国包の名は伊達家お抱えの鍈冶であり、両代を通じてその作域は一つの相伝の手に拠る。すなわち大和保昌伝の柾目鍛えを直刃に焼くもので、説明書はこれを家伝の得意とし、二代を父につぐ直刃の上手とする。
本工の手はまず地鉄に読まれる。頶造・庵棟、反り浅く寛文の中鐶となる刀に、刃長を通して柾目背をよくつめて整え、地沸つき、地景が柾に沿って入る。この柾目の地鉄が保昌の第一の見どころで、他の新刀の一派がほとんど常態としない地鉄であり、その上に第二の見どころが焼かれる。即ち刃縁ほつれて喰違刃を交え二重刃ごころとなる中直刃で、砂流し・金筋が柾目に沿って頻りにかかり、匂深く小沸つき匂口明るく冴える。直刃と柾目が本録のすべての作に現れ、両者の併せが本工を見る最も確かな手である。
帽子は直ぐに掃きかけて、小丸と同程度に返りのない焼詰めで結ぶ。この相伝の核に加えて、説明書は国包の手に固有の見どころを名指す。即ち区下より立つ水影で、幅広でやや長寸の作では繋がって下半に映り風となる。一口の寛文の刀について説明書は「区下より水影が立っているが、初代同様二代にも見る手くせであり」[[c:1]]と記し、併せて茶鈴が単純な化粧になるものもまま見られ、これも彼の見どころとする。同じ幅広の作では裏の柾がやや背立ち、地沸微塵に厚くつき、地景細かに入る。
静かな直刃に対し、説明書は二代に互の目乱れの出来も見られるとする。これらでは中直刃を基調に小互の目と浅いのたれを交え、足が入り刃縁がほつれる。幅広で長寸の一口は直刃が浅く大きく湾れごころとなり、小沸・荒沸を交え二重刃ごころとなる。説明書はこれを直刃を本領とする手の中の例外とし、「家伝の保昌流の柾目鍛を得意とし」[[c:2]]、直刃を得意として加えて僅かに互の目乱れも示すとする。本録の小さな作域は二代ではなく初代自身の銘を持ち、号用恵・受領山城大掘を示す。すなわち山城大掘藤原用恵国包と銘する作で、一口は慶安元年(一六四八)の年紀を持ち、同じ保昌の作域ながら初代の調子で読まれ、腰反り高く踏張りつき、柾が背立ちごころに、直刃は小沸出来の中直刃が濡れほつれて砂流しかかる。
寛文新刀の広い世界の中で本工を際立たせるのは一つの派手さではなく、保昌の読みの一貫性である。即ち刃長を通す柾目、その上に焼いた静かな直刃、掃きかける焼詰めの帽子、そして区下の水影である。説明書は本工の位置を初代に対して正直に保つ。一口の二代の刀を実に迫力に富み「殆んど初代に劣らない」[[c:3]]出来とし、その柾目の上作には初代に迫るものもあるが、平素の技量は初代に及ばないとする。銘そのものも鑑定の地で、二代の銘字は横に引いた字画が皆打ちおさめが強く「一」の様に引き、「包の字」の中が特有の形となることを説明書は見どころとする。
本工は藤代に上作とされる。その記録は一括して重要刀剣にあり、二代の刀十口が所載され、さらに初代用恵銘の二口が戦前の重要美術品に達する。国宝も重要文化財もなく、出会うことのできるのは指定の重要刀剣の刀であり、それも時を隔てて探しればというもの、全く手の届かぬ名ではない。説明書はよく鍛えて作域に適った作を二代の典型・代表作とし、その一つ、寛新兵衛の差領には寛文十一年(一六七一)の截断金象嵌銘があり、資料的な代表作として貴ぶ。最も静かな柾目の刀を説明書は「上品に静温に仕上げている」[[c:4]]と記す。所載の所持者には黒川福三郎と黒川古文化研究所(用恵銘の重要美術品二口を蔵する)、そして板屋胤雄がある。
國包の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
大和伝 · Rikuzen
現在12点販売中
仙台国包は、奥州仙台、すなわち陸前の地に興った一門で、伊達家の抱え鍛冶を出自とする。初代国包は本郷氏で、初め源蔵、のち吉之允といい、文禄元年、奥州宮城郡国分若林、現在の仙台市に生まれている。説示が伝えるところでは、伊達政宗の抱え鍛冶となったのち、慶長十九年に主命によって上洛し、越中守正俊の門に学んだ。寛永三年に山城大掾を受領し、同十三年に政宗が薨ずると入道して仁沢用恵と称し、正保二年、五十四歳の時に隠居して家督を二代嫡子吉右衛門に譲った後も鍛刀を続け、寛文四年に七十三歳で歿している。みずから大和保昌五郎の末流と称した通り、その志すところは終始大和保昌伝にあり、古保昌の作域に迫る域へと達した。家は二代へと継がれ、二代国包は本郷吉右衛門といい、慶長十七年に生まれ、正保二年に家督を相続して、初代歿後の寛文七年に山城守を受領し、寛文十二年、六十一歳で歿している。 説示が一門の作に共通して挙げる語法は、鎬が高く、鎬幅が身幅の割に広い造込みに、柾目を鍛え、直刃を主調とする一点に収斂する。地鉄は柾目肌がよくつみ、ときに流れごころとなって、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、かねが冴える。刃文は中直刃あるいは広直刃を基調に浅くのたれ、小互の目や小足を交え、匂深く沸がよくつき、刃縁には打のけ・ほつれ・喰違刃・二重刃が交じり、金筋・砂流しがよくかかって、帽子は直ぐに焼き詰める。これらは初代が理想とした古作大和保昌の作域を仙台の地に再現したものであり、刀身に施された素剣や二筋違の彫物にも、古作大和物の特色がうかがわれる。代の判別については、二代もまた家伝の大和保昌伝を得意として中には初代に迫るものもあるが、互の目乱れの出来が見られる点が説示に記される。なお、区下より水影の立つ態は初代・二代ともに見られる手くせであり、二代には茎鑢が単純な化粧になるものもまま見受けられると説示は伝える。 鑑定の要点は、柾目の強い鍛えと、直刃に絡むほつれ・喰違刃・二重刃、そして焼き詰める帽子という大和保昌風の総体にあり、区下の水影や、銘字の「藤」の草冠が寛永九年二月以降に離れて切られるといった銘振りの変化が、製作期を測る手掛かりとして説示に示される。代表作としては、宇和島伊達家に伝来した山城大掾藤原国包銘の一口があり、伊達家の家紋たる九曜紋を茎に切った脇指も伝わって、伊達家との縁の深さを物語る。受領銘に比して作の少ない用恵銘や、山野加右衛門の截断銘を有する作は、資料的に貴重なものとして扱われている。仙台国包は、相州伝の盛行した新刀初期にあって、あえて柾目鍛えの大和保昌伝を一貫して追い、古保昌に優るとも劣らぬ作域を東北の地に確立した一門として位置づけられる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 生ぶ茎無銘の山城守国包、即ち仙台国包二代の作と極められた刀。山城守国包は山城大掾国包の子として慶長十七年に生まれ、名を本郷吉左衛門という。正保二年に家督を継ぎ、寛文七年に山城守を受領。長く父の作刀を援けて大和伝の技術を修めており、詰み澄んだ柾目肌に直刃の冴えた刀は父同様に刃味も抜群に優れ、良業物に列せられている。


Sendai Kunikane, Mutsu (Sendai Shinto) · Rikuzen · 1644-1670頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在2点販売中
二代山城守藤原国包は仙台国包の二代で、慶長十七年(一六一二)に生まれ、正保二年(一六四五)三十四歳で家督を相続し、寛文七年(一六六七)に山城守を受領、同十二年(一六七二)六十一歳で歿した。本工は初代山城大掘国包の嫡子で、初代は大和保昌の末流を称し、仙台の伊達政宗に仕え、その命によって上洛して越中守正俊の門に学び、寛永三年(一六二六)に山城大掘を受領した。国包の名は伊達家お抱えの鍈冶であり、両代を通じてその作域は一つの相伝の手に拠る。すなわち大和保昌伝の柾目鍛えを直刃に焼くもので、説明書はこれを家伝の得意とし、二代を父につぐ直刃の上手とする。
本工の手はまず地鉄に読まれる。頶造・庵棟、反り浅く寛文の中鐶となる刀に、刃長を通して柾目背をよくつめて整え、地沸つき、地景が柾に沿って入る。この柾目の地鉄が保昌の第一の見どころで、他の新刀の一派がほとんど常態としない地鉄であり、その上に第二の見どころが焼かれる。即ち刃縁ほつれて喰違刃を交え二重刃ごころとなる中直刃で、砂流し・金筋が柾目に沿って頻りにかかり、匂深く小沸つき匂口明るく冴える。直刃と柾目が本録のすべての作に現れ、両者の併せが本工を見る最も確かな手である。
帽子は直ぐに掃きかけて、小丸と同程度に返りのない焼詰めで結ぶ。この相伝の核に加えて、説明書は国包の手に固有の見どころを名指す。即ち区下より立つ水影で、幅広でやや長寸の作では繋がって下半に映り風となる。一口の寛文の刀について説明書は「区下より水影が立っているが、初代同様二代にも見る手くせであり」[[c:1]]と記し、併せて茶鈴が単純な化粧になるものもまま見られ、これも彼の見どころとする。同じ幅広の作では裏の柾がやや背立ち、地沸微塵に厚くつき、地景細かに入る。
静かな直刃に対し、説明書は二代に互の目乱れの出来も見られるとする。これらでは中直刃を基調に小互の目と浅いのたれを交え、足が入り刃縁がほつれる。幅広で長寸の一口は直刃が浅く大きく湾れごころとなり、小沸・荒沸を交え二重刃ごころとなる。説明書はこれを直刃を本領とする手の中の例外とし、「家伝の保昌流の柾目鍛を得意とし」[[c:2]]、直刃を得意として加えて僅かに互の目乱れも示すとする。本録の小さな作域は二代ではなく初代自身の銘を持ち、号用恵・受領山城大掘を示す。すなわち山城大掘藤原用恵国包と銘する作で、一口は慶安元年(一六四八)の年紀を持ち、同じ保昌の作域ながら初代の調子で読まれ、腰反り高く踏張りつき、柾が背立ちごころに、直刃は小沸出来の中直刃が濡れほつれて砂流しかかる。
寛文新刀の広い世界の中で本工を際立たせるのは一つの派手さではなく、保昌の読みの一貫性である。即ち刃長を通す柾目、その上に焼いた静かな直刃、掃きかける焼詰めの帽子、そして区下の水影である。説明書は本工の位置を初代に対して正直に保つ。一口の二代の刀を実に迫力に富み「殆んど初代に劣らない」[[c:3]]出来とし、その柾目の上作には初代に迫るものもあるが、平素の技量は初代に及ばないとする。銘そのものも鑑定の地で、二代の銘字は横に引いた字画が皆打ちおさめが強く「一」の様に引き、「包の字」の中が特有の形となることを説明書は見どころとする。
本工は藤代に上作とされる。その記録は一括して重要刀剣にあり、二代の刀十口が所載され、さらに初代用恵銘の二口が戦前の重要美術品に達する。国宝も重要文化財もなく、出会うことのできるのは指定の重要刀剣の刀であり、それも時を隔てて探しればというもの、全く手の届かぬ名ではない。説明書はよく鍛えて作域に適った作を二代の典型・代表作とし、その一つ、寛新兵衛の差領には寛文十一年(一六七一)の截断金象嵌銘があり、資料的な代表作として貴ぶ。最も静かな柾目の刀を説明書は「上品に静温に仕上げている」[[c:4]]と記す。所載の所持者には黒川福三郎と黒川古文化研究所(用恵銘の重要美術品二口を蔵する)、そして板屋胤雄がある。
國包の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
大和伝 · Rikuzen
現在12点販売中
仙台国包は、奥州仙台、すなわち陸前の地に興った一門で、伊達家の抱え鍛冶を出自とする。初代国包は本郷氏で、初め源蔵、のち吉之允といい、文禄元年、奥州宮城郡国分若林、現在の仙台市に生まれている。説示が伝えるところでは、伊達政宗の抱え鍛冶となったのち、慶長十九年に主命によって上洛し、越中守正俊の門に学んだ。寛永三年に山城大掾を受領し、同十三年に政宗が薨ずると入道して仁沢用恵と称し、正保二年、五十四歳の時に隠居して家督を二代嫡子吉右衛門に譲った後も鍛刀を続け、寛文四年に七十三歳で歿している。みずから大和保昌五郎の末流と称した通り、その志すところは終始大和保昌伝にあり、古保昌の作域に迫る域へと達した。家は二代へと継がれ、二代国包は本郷吉右衛門といい、慶長十七年に生まれ、正保二年に家督を相続して、初代歿後の寛文七年に山城守を受領し、寛文十二年、六十一歳で歿している。 説示が一門の作に共通して挙げる語法は、鎬が高く、鎬幅が身幅の割に広い造込みに、柾目を鍛え、直刃を主調とする一点に収斂する。地鉄は柾目肌がよくつみ、ときに流れごころとなって、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、かねが冴える。刃文は中直刃あるいは広直刃を基調に浅くのたれ、小互の目や小足を交え、匂深く沸がよくつき、刃縁には打のけ・ほつれ・喰違刃・二重刃が交じり、金筋・砂流しがよくかかって、帽子は直ぐに焼き詰める。これらは初代が理想とした古作大和保昌の作域を仙台の地に再現したものであり、刀身に施された素剣や二筋違の彫物にも、古作大和物の特色がうかがわれる。代の判別については、二代もまた家伝の大和保昌伝を得意として中には初代に迫るものもあるが、互の目乱れの出来が見られる点が説示に記される。なお、区下より水影の立つ態は初代・二代ともに見られる手くせであり、二代には茎鑢が単純な化粧になるものもまま見受けられると説示は伝える。 鑑定の要点は、柾目の強い鍛えと、直刃に絡むほつれ・喰違刃・二重刃、そして焼き詰める帽子という大和保昌風の総体にあり、区下の水影や、銘字の「藤」の草冠が寛永九年二月以降に離れて切られるといった銘振りの変化が、製作期を測る手掛かりとして説示に示される。代表作としては、宇和島伊達家に伝来した山城大掾藤原国包銘の一口があり、伊達家の家紋たる九曜紋を茎に切った脇指も伝わって、伊達家との縁の深さを物語る。受領銘に比して作の少ない用恵銘や、山野加右衛門の截断銘を有する作は、資料的に貴重なものとして扱われている。仙台国包は、相州伝の盛行した新刀初期にあって、あえて柾目鍛えの大和保昌伝を一貫して追い、古保昌に優るとも劣らぬ作域を東北の地に確立した一門として位置づけられる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。