江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣鑑定書付:山城守国包(二代)極め 刀 【解説】 本作は、江戸時代初期に活躍した二代国包(山城守国包)と極められた一振りです。本刀は大磨上げ(おおすりあげ)により茎が短く仕立てられており、銘の大部分が失われていますが、これは時代の変遷に伴う操法や拵の変化、あるいは当時の刀制に合わせて調整されたものです。 二代国包は本郷吉右衛門と称し、「奥州仙台住藤原国包」などと銘を刻みました。奥州は現在の宮城県を含む陸奥国の古称です。 国包家は、大和国(現在の奈良県)の保昌伝を汲む名門です。初代国包は、戦国屈指の名将として名高い伊達政宗公に仕えました。慶長十九年(1614年)、政宗公の命により江戸へ上り、三品派の名工・越中守正俊に師事。元和五年(1619年)に帰郷後は仙台藩の御用鍛冶として腕を振るい、寛永四年(1627年)にはその卓越した技量から「山城大掾」を受領しました。 二代国包は慶長十七年(1612年)に初代の嫡男として生まれ、正保二年(1645年)に家督を継承。寛文七年(1667年)、五十六歳の時に「山城守」を受領し、以降は「山城守藤原国包」と銘じました。この受領銘は、優れた技能を持つ工匠に対して朝廷から与えられた名誉ある称号です。 国包の家系は明治初期まで十三代にわたって続き、代々伊達家に仕え、保昌伝の特色である見事な「柾目肌(まさめはだ)」を現代に伝えました。歴代の中でも、特に初代と二代の作風は白眉とされ、高い評価を得ています。 仙台藩の名門・国包の手による本作は、伊達家や政宗公ゆかりの御刀を愛好される収集家の方にとって、極めて意義深い逸品と言えるでしょう。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定されています。これは、保存状態が良く、美術品としての価値が認められた真作の日本刀にのみ与えられる証です。 ※刀身に僅かな刃零れおよび鍛え傷がございます。詳細な状態については、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):66.7 cm 反り(Sori):1.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 古来、日本の刀工は茎に生じる黒錆をあえて残しました。これは柄内での赤錆の発生を防ぐとともに、その経年による錆色は専門家が製作年代を特定する際の重要な指標となります。 拵(Koshirae):外装一式。鞘、柄、鍔などの諸工作を含みます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端(手元と先端)を保護し、装飾する一対の金具。
無銘 · Hōshō · 新刀 · 長さ 66.7cm · 反り 1.2cm























大和伝 · Rikuzen
現在12点販売中
仙台国包は、奥州仙台、すなわち陸前の地に興った一門で、伊達家の抱え鍛冶を出自とする。初代国包は本郷氏で、初め源蔵、のち吉之允といい、文禄元年、奥州宮城郡国分若林、現在の仙台市に生まれている。説示が伝えるところでは、伊達政宗の抱え鍛冶となったのち、慶長十九年に主命によって上洛し、越中守正俊の門に学んだ。寛永三年に山城大掾を受領し、同十三年に政宗が薨ずると入道して仁沢用恵と称し、正保二年、五十四歳の時に隠居して家督を二代嫡子吉右衛門に譲った後も鍛刀を続け、寛文四年に七十三歳で歿している。みずから大和保昌五郎の末流と称した通り、その志すところは終始大和保昌伝にあり、古保昌の作域に迫る域へと達した。家は二代へと継がれ、二代国包は本郷吉右衛門といい、慶長十七年に生まれ、正保二年に家督を相続して、初代歿後の寛文七年に山城守を受領し、寛文十二年、六十一歳で歿している。 説示が一門の作に共通して挙げる語法は、鎬が高く、鎬幅が身幅の割に広い造込みに、柾目を鍛え、直刃を主調とする一点に収斂する。地鉄は柾目肌がよくつみ、ときに流れごころとなって、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、かねが冴える。刃文は中直刃あるいは広直刃を基調に浅くのたれ、小互の目や小足を交え、匂深く沸がよくつき、刃縁には打のけ・ほつれ・喰違刃・二重刃が交じり、金筋・砂流しがよくかかって、帽子は直ぐに焼き詰める。これらは初代が理想とした古作大和保昌の作域を仙台の地に再現したものであり、刀身に施された素剣や二筋違の彫物にも、古作大和物の特色がうかがわれる。代の判別については、二代もまた家伝の大和保昌伝を得意として中には初代に迫るものもあるが、互の目乱れの出来が見られる点が説示に記される。なお、区下より水影の立つ態は初代・二代ともに見られる手くせであり、二代には茎鑢が単純な化粧になるものもまま見受けられると説示は伝える。 鑑定の要点は、柾目の強い鍛えと、直刃に絡むほつれ・喰違刃・二重刃、そして焼き詰める帽子という大和保昌風の総体にあり、区下の水影や、銘字の「藤」の草冠が寛永九年二月以降に離れて切られるといった銘振りの変化が、製作期を測る手掛かりとして説示に示される。代表作としては、宇和島伊達家に伝来した山城大掾藤原国包銘の一口があり、伊達家の家紋たる九曜紋を茎に切った脇指も伝わって、伊達家との縁の深さを物語る。受領銘に比して作の少ない用恵銘や、山野加右衛門の截断銘を有する作は、資料的に貴重なものとして扱われている。仙台国包は、相州伝の盛行した新刀初期にあって、あえて柾目鍛えの大和保昌伝を一貫して追い、古保昌に優るとも劣らぬ作域を東北の地に確立した一門として位置づけられる。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
保存刀剣鑑定書付:山城守国包(二代)極め 刀 【解説】 本作は、江戸時代初期に活躍した二代国包(山城守国包)と極められた一振りです。本刀は大磨上げ(おおすりあげ)により茎が短く仕立てられており、銘の大部分が失われていますが、これは時代の変遷に伴う操法や拵の変化、あるいは当時の刀制に合わせて調整されたものです。 二代国包は本郷吉右衛門と称し、「奥州仙台住藤原国包」などと銘を刻みました。奥州は現在の宮城県を含む陸奥国の古称です。 国包家は、大和国(現在の奈良県)の保昌伝を汲む名門です。初代国包は、戦国屈指の名将として名高い伊達政宗公に仕えました。慶長十九年(1614年)、政宗公の命により江戸へ上り、三品派の名工・越中守正俊に師事。元和五年(1619年)に帰郷後は仙台藩の御用鍛冶として腕を振るい、寛永四年(1627年)にはその卓越した技量から「山城大掾」を受領しました。 二代国包は慶長十七年(1612年)に初代の嫡男として生まれ、正保二年(1645年)に家督を継承。寛文七年(1667年)、五十六歳の時に「山城守」を受領し、以降は「山城守藤原国包」と銘じました。この受領銘は、優れた技能を持つ工匠に対して朝廷から与えられた名誉ある称号です。 国包の家系は明治初期まで十三代にわたって続き、代々伊達家に仕え、保昌伝の特色である見事な「柾目肌(まさめはだ)」を現代に伝えました。歴代の中でも、特に初代と二代の作風は白眉とされ、高い評価を得ています。 仙台藩の名門・国包の手による本作は、伊達家や政宗公ゆかりの御刀を愛好される収集家の方にとって、極めて意義深い逸品と言えるでしょう。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定されています。これは、保存状態が良く、美術品としての価値が認められた真作の日本刀にのみ与えられる証です。 ※刀身に僅かな刃零れおよび鍛え傷がございます。詳細な状態については、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):66.7 cm 反り(Sori):1.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 古来、日本の刀工は茎に生じる黒錆をあえて残しました。これは柄内での赤錆の発生を防ぐとともに、その経年による錆色は専門家が製作年代を特定する際の重要な指標となります。 拵(Koshirae):外装一式。鞘、柄、鍔などの諸工作を含みます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端(手元と先端)を保護し、装飾する一対の金具。
無銘 · Hōshō · 新刀 · 長さ 66.7cm · 反り 1.2cm























大和伝 · Rikuzen
現在12点販売中
仙台国包は、奥州仙台、すなわち陸前の地に興った一門で、伊達家の抱え鍛冶を出自とする。初代国包は本郷氏で、初め源蔵、のち吉之允といい、文禄元年、奥州宮城郡国分若林、現在の仙台市に生まれている。説示が伝えるところでは、伊達政宗の抱え鍛冶となったのち、慶長十九年に主命によって上洛し、越中守正俊の門に学んだ。寛永三年に山城大掾を受領し、同十三年に政宗が薨ずると入道して仁沢用恵と称し、正保二年、五十四歳の時に隠居して家督を二代嫡子吉右衛門に譲った後も鍛刀を続け、寛文四年に七十三歳で歿している。みずから大和保昌五郎の末流と称した通り、その志すところは終始大和保昌伝にあり、古保昌の作域に迫る域へと達した。家は二代へと継がれ、二代国包は本郷吉右衛門といい、慶長十七年に生まれ、正保二年に家督を相続して、初代歿後の寛文七年に山城守を受領し、寛文十二年、六十一歳で歿している。 説示が一門の作に共通して挙げる語法は、鎬が高く、鎬幅が身幅の割に広い造込みに、柾目を鍛え、直刃を主調とする一点に収斂する。地鉄は柾目肌がよくつみ、ときに流れごころとなって、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、かねが冴える。刃文は中直刃あるいは広直刃を基調に浅くのたれ、小互の目や小足を交え、匂深く沸がよくつき、刃縁には打のけ・ほつれ・喰違刃・二重刃が交じり、金筋・砂流しがよくかかって、帽子は直ぐに焼き詰める。これらは初代が理想とした古作大和保昌の作域を仙台の地に再現したものであり、刀身に施された素剣や二筋違の彫物にも、古作大和物の特色がうかがわれる。代の判別については、二代もまた家伝の大和保昌伝を得意として中には初代に迫るものもあるが、互の目乱れの出来が見られる点が説示に記される。なお、区下より水影の立つ態は初代・二代ともに見られる手くせであり、二代には茎鑢が単純な化粧になるものもまま見受けられると説示は伝える。 鑑定の要点は、柾目の強い鍛えと、直刃に絡むほつれ・喰違刃・二重刃、そして焼き詰める帽子という大和保昌風の総体にあり、区下の水影や、銘字の「藤」の草冠が寛永九年二月以降に離れて切られるといった銘振りの変化が、製作期を測る手掛かりとして説示に示される。代表作としては、宇和島伊達家に伝来した山城大掾藤原国包銘の一口があり、伊達家の家紋たる九曜紋を茎に切った脇指も伝わって、伊達家との縁の深さを物語る。受領銘に比して作の少ない用恵銘や、山野加右衛門の截断銘を有する作は、資料的に貴重なものとして扱われている。仙台国包は、相州伝の盛行した新刀初期にあって、あえて柾目鍛えの大和保昌伝を一貫して追い、古保昌に優るとも劣らぬ作域を東北の地に確立した一門として位置づけられる。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.