説明

日本刀 脇差 銘 仙台住藤原国包(慶応三年八月日) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は慶応三年(1867年)八月、幕末期に仙台住藤原国包によって制作された一振りです。国包の名は初代から十三代まで続きましたが、その制作年より、本作は「栄助」と称された十三代国包の作と推測されます。十三代は幕末から明治初期にかけて活躍し、明治十三年(1880年)六月に没したと伝えられています。銘にある「仙台」は現在の宮城県仙台市を指し、国包が同地で作刀に励んでいたことを示しています。 初代国包は、大和国(現在の奈良県)の保昌派の末裔です。独眼竜として名高い名将・伊達政宗公に仕えたことで知られ、慶長十九年(1614年)、政宗公の命により京都の三品派の名工・越中守正俊に師事しました。その後、元和五年(1619年)に奥州へ戻り、寛永三年(1626年)にはその卓越した技量から山城大掾を受領しています。 国包家は明治初期に至るまで十三代にわたり伊達家の抱え工として、一貫して家伝である大和保昌伝の作風を守り抜き、格調高い名刀を世に送り出し続けました。伊達家ゆかりの御刀をお探しの方にとって、本作はコレクションに加えるに相応しい自信の一振りです。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に指定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身には僅かな鍛え傷と極小の零れ(こぼれ)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):33.1 cm 反り(Sori):0.3 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に生じる黒錆をあえて残します。この錆色は時の経過とともに変化し、作刀年代を特定する重要な指標となります。 【外装(Koshirae)】 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭は、魚子地(ななこじ)に柘榴(ざくろ)の図が施されています。 魚子地とは、小さな粒を一つずつ打ち込むことで魚の卵が並んだような質感を出す技法です。モチーフの柘榴は、多くの種を持つことから、日本では古来より子孫繁栄や豊穣の象徴として親しまれてきました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 目貫は杜若(かきつばた)の図です。すらりとした葉の造形が美しく表現されています。

Antique Japanese Sword Wakizashi Signed by Kunikane NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate
Tokuho

Antique Japanese Sword Wakizashi Signed by Kunikane NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate

脇差

$5,953

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

33.1 cm

反り

0.3 cm

流派について

Sendai Kunikane School仙台國包派

仙台国包は、奥州仙台、すなわち陸前の地に興った一門で、伊達家の抱え鍛冶を出自とする。初代国包は本郷氏で、初め源蔵、のち吉之允といい、文禄元年、奥州宮城郡国分若林、現在の仙台市に生まれている。説示が伝えるところでは、伊達政宗の抱え鍛冶となったのち、慶長十九年に主命によって上洛し、越中守正俊の門に学んだ。寛永三年に山城大掾を受領し、同十三年に政宗が薨ずると入道して仁沢用恵と称し、正保二年、五十四歳の時に隠居して家督を二代嫡子吉右衛門に譲った後も鍛刀を続け、寛文四年に七十三歳で歿している。みずから大和保昌五郎の末流と称した通り、その志すところは終始大和保昌伝にあり、古保昌の作域に迫る域へと達した。家は二代へと継がれ、二代国包は本郷吉右衛門といい、慶長十七年に生まれ、正保二年に家督を相続して、初代歿後の寛文七年に山城守を受領し、寛文十二年、六十一歳で歿している。 説示が一門の作に共通して挙げる語法は、鎬が高く、鎬幅が身幅の割に広い造込みに、柾目を鍛え、直刃を主調とする一点に収斂する。地鉄は柾目肌がよくつみ、ときに流れごころとなって、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、かねが冴える。刃文は中直刃あるいは広直刃を基調に浅くのたれ、小互の目や小足を交え、匂深く沸がよくつき、刃縁には打のけ・ほつれ・喰違刃・二重刃が交じり、金筋・砂流しがよくかかって、帽子は直ぐに焼き詰める。これらは初代が理想とした古作大和保昌の作域を仙台の地に再現したものであり、刀身に施された素剣や二筋違の彫物にも、古作大和物の特色がうかがわれる。代の判別については、二代もまた家伝の大和保昌伝を得意として中には初代に迫るものもあるが、互の目乱れの出来が見られる点が説示に記される。なお、区下より水影の立つ態は初代・二代ともに見られる手くせであり、二代には茎鑢が単純な化粧になるものもまま見受けられると説示は伝える。 鑑定の要点は、柾目の強い鍛えと、直刃に絡むほつれ・喰違刃・二重刃、そして焼き詰める帽子という大和保昌風の総体にあり、区下の水影や、銘字の「藤」の草冠が寛永九年二月以降に離れて切られるといった銘振りの変化が、製作期を測る手掛かりとして説示に示される。代表作としては、宇和島伊達家に伝来した山城大掾藤原国包銘の一口があり、伊達家の家紋たる九曜紋を茎に切った脇指も伝わって、伊達家との縁の深さを物語る。受領銘に比して作の少ない用恵銘や、山野加右衛門の截断銘を有する作は、資料的に貴重なものとして扱われている。仙台国包は、相州伝の盛行した新刀初期にあって、あえて柾目鍛えの大和保昌伝を一貫して追い、古保昌に優るとも劣らぬ作域を東北の地に確立した一門として位置づけられる。

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