筑前国左文字は、大左と通称され、実阿の子と伝え、銘文の左は、左衛門三郎の略という。相州正宗十哲の一人に数えられ、それまでの古典的な九州物の作域から大いに脱皮し、地刃共に明るく冴え、地景や金筋の目立つ新作風を確立した。現存する在銘の太刀は、国宝の「江雪左文字」のみであるが、短刀の作例は比較的多く残されている。左一門は、南北朝期に大いに栄えたが、大左の子と伝える貞吉・安吉を始め弘行・国弘などがいて、これら左一門を末左と呼称する。貞吉は、大左の子で、南北朝時代文和元年の年紀作がある。この刀は、身幅広く、鋒大きく延びる延文・貞治頃の姿で、地沸が厚くつき、湯走り・飛び焼きなどが明るく輝き現れる黒く冴えた鍛に、直刃調に、小互の目交じり、湯走り・飛び焼き・二十刃掛り、足よく入り、沸深くつき、金筋が幾重にも頻りに掛り、頗る健全で覇気溢れる左の名品である。


Sa (Samonji) school, Chikuzen · 筑前 · 1345-1350頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在1点販売中
貞吉は筑前左文字、すなわち左文字(左一類)の流れを汲む刀工で、南北朝時代の中頃に活躍した。説明書はこれを末左、大左の後に一派を継いだ第二世代の門人に数え、「貞吉は安吉の子で、文和頃の刀工と伝えており」[[c:1]]と記す。安吉自身が左文字の子であるから、貞吉は祖から二代を下った位置に立ち、説明書が繰り返し併せ挙げる安吉・行弘・吉貞・国弘・弘行・弘安・貞吉らの中にある。筑前左文字は南北朝初期に出現し、それまでの古典的な九州物の作域から大きく脱皮して、地刃ともに明るく冴え、地景や金筋の目立つ新作風を確立したが、貞吉はその作風を受け継いだ一人である。
その記録の核心は、ほぼ全てを極めに負うという点にある。説明書は「現存する在銘作は極めて少ない」[[c:2]]と明言し、本工の名で遺るものはほとんどが大磨上無銘で貞吉と極められた刀である。一派の中から本工を選び出す拠りどころは一つで、説明書はそれを躊躇なく挙げる。すなわち穏やかな直刃を基調とした刃文である。判者は「無銘極めの刀には、左一類と見えて直刃を基調とした刃取りのものがよく見受けられる」[[c:3]]と観察し、古来本工極めの見どころとされてきたこの抑えた手こそが、左一類の刀をとりわけ貞吉に極めさせる。ある刀ではその極めが端的に、「比較的におだやかにおとなしい点からであろう貞吉と極めているが妥当である」[[c:4]]と記される。
地鉄は左一類全体に共有される相州由来の地である。板目に杢・流れ肌を交えて肌立ち、その上に地沸厚くつき地景頻りに入り、かねはやや黒みがかり、作によって鎬寄りに淡く白け風の映りが立つ。その地の上に焼かれる刃は、広直刃あるいは中直刃を浅くのたれさせ、少しの互の目・小互の目を交えたもので、足・葉入り、金筋・砂流しかかり、沸厚くつき、匂口は処々沈みごころとなる。帽子は一派共通にして本工の最も確かな見どころで、突き上げ風に立ち上がって先尖り、掃きかける。これを判者は繰り返し左一類の特色とする。彫物は概ね棒樋を掻き通す。
その直刃主体の一様の中で、極めはより静かな手とやや働く手とに分かれる。最も穏やかな場合、刃は広直刃がわずかに揺れる程度で、働きは高い房ではなく足・葉と細かな金筋に托される。少なからぬ作では同じ基調を開いて、焼幅広く、小のたれに互の目・角がかる刃を交え、沸厚く処々荒めの沸を交えてむら立ち、ほつれ・打のけ・二重刃風を見せ、物打辺に湯走りや小さな飛焼を交える。最も働く場合でも刃の本体は直刃を保ち、先尖って掃きかける帽子が崩れないため、左一類の貞吉極めとして読まれる。説明書はこれらのうち数口を同工極めの中でも出来優れたものとし、広い焼幅と豊富な沸が、豪壮な南北朝の姿と相俟って力強く華麗な趣を伝えるとする。作は身幅広く元先の幅差の目立たぬ大鋒・中鋒延びごころの刀で、薙刀を直したものも幾口かあり、後刻の截断金象嵌銘や、一口には茎に朱書の一字を有するものがある。判者はその一字を左文字の意に狭く解さず、大きく左一類と解する。
一派の中で貞吉を分かつものは、まさに本工を見出しにくくしているその点である。説明書は左一類を個々の特色が比較的少ない一派と読み、無銘作を相互に分かつことは容易でないが、それに対し穏やかな直刃と先尖って掃きかける帽子こそが、一口を兄弟弟子ではなく本工の名へ運ぶ拠りどころとなる。地景に富んだ明るい地鉄と直刃調の刃は、左一類のより華やかな互の目・のたれとは分かたれ、本工は末左の静かで古典的な一面、相州伝の継承を抑えて示す手として読まれる。
藤代は貞吉を上々作とし、刀工大鑑の位列も中位に記す。国宝はなく、その記録はもっぱら現代の指定級を通じる。本工に極められた刀は二十口を超え、十数回の審査にわたって重要刀剣に及び、数口は同工極めの中でも特に出来優れたものとされる。来歴は記録に乏しく、所在の知られる一口は黒川古文化研究所が蔵し、他は私蔵を経てきた。在銘確実な貞吉は末左の記録のうちでも頗る稀であるから、収集家が本工に出会うのはほとんどこの無銘・磨上の刀を通じてであり、それも時折、根気をもってのことである。左貞吉と確かに極められた一口は、国宝のように手の届かぬものではないが、著名な銘ゆえにではなく、判者が今なお本工を知る穏やかな直刃の手ゆえに選ばれる、静かで思慮深い一振りである。
貞吉の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 筑前
時期区分: 末左· 1338–1450
現在12点販売中
末左とは、大左の後を承けた左文字派の後代を総称する呼び名である。説明文がたびたび繰り返すように、筑前国左文字は南北朝時代初期に出現し、それまでの古典的な九州物の作域から脱皮して地刃の明るく冴えた作風を確立したが、その一門は末左と汎称され、安吉・行弘・吉貞・国弘・弘行・弘安・貞吉らが師風をよく受け継いで活躍した。これらの諸工は大左の子あるいは門人と伝えられる。安吉は大左の子で、後に筑前から長州へ移住したと伝え、その移住は正平十七年紀の「長州住安吉」の銘振りが常々の安吉銘と一致することから首肯される。弘安は行弘の子と伝え、現存作に正平二十年紀、『埋忠押形』所載のものに正平十三年紀がある。国弘は吉弘の子とも定行の子とも伝え、貞国は左国弘の子で時代を応安頃とする。世代は南北朝盛期から末期、降って室町初期の応永にまで及び、安吉の作には永和・応永年紀のものが遺って代替りの存在も窺われる。 作風の上では、末左は大左が確立した相州伝を一代隔てて受け継いでいる。鍛えは板目に小板目・杢を交え、肌立ちごころとなって地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入り、淡く沸映りが立つ。刃文はのたれを基調に互の目・小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉が入り、匂が深く小沸が厚くついて、金筋・砂流しが細かにかかる。帽子は乱れ込んで突き上げ、先が尖りごころとなって掃きかけ、長く返る。これらは左一類の特徴であり、無銘の刀を左一類と鑑る拠りどころとなる。ただし大左の地刃に見られる際立った冴えに対し、末左ではその度合いがやや劣り、匂口が沈みごころとなる作も少なくない。作柄は一門の諸工に比して特に際立った個性を見出し難く、定型化の傾きをもつ。なかには安吉のように刃沸が弱く匂勝ちで、刃近くに棒映りを現して備前気質を交える手もあり、大左の純然たる相州伝からの隔たりを示している。 末左を大左と分かつ鑑定の要点は、地刃の冴えの度合いと、作風の定型化の度合いにある。明るく冴えた地と突き上げて尖る帽子という見どころは共有しつつも、末左ではその冴えが一段退く。無銘極めにおいては、互の目の目立つものは弘安に、最も華やかに大模様へ乱れたものは国弘に擬する、というのが本阿弥家以来の見方である。主要工としては、行弘が大左に最も接近する弟子として一群の頭に立ち、安吉・国弘・弘安・貞国らが続く。在銘作は一様に頗る稀で、太刀の弘安在銘や安吉の生ぶ在銘短刀のごときは資料的価値が極めて高く、その多くは大磨上無銘の同工極めを通じて世に伝わる。伝来も豊かで、弘安の刀には黒田家・高須松平家・久松家に伝わったものがあり、本阿弥光忠・光温らの折紙を伴う。貞国の短刀は毛利家に伝わり、吉弘の太刀は備前池田家に伝来して、八代将軍吉宗より池田継政が拝領したと考えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
筑前国左文字は、大左と通称され、実阿の子と伝え、銘文の左は、左衛門三郎の略という。相州正宗十哲の一人に数えられ、それまでの古典的な九州物の作域から大いに脱皮し、地刃共に明るく冴え、地景や金筋の目立つ新作風を確立した。現存する在銘の太刀は、国宝の「江雪左文字」のみであるが、短刀の作例は比較的多く残されている。左一門は、南北朝期に大いに栄えたが、大左の子と伝える貞吉・安吉を始め弘行・国弘などがいて、これら左一門を末左と呼称する。貞吉は、大左の子で、南北朝時代文和元年の年紀作がある。この刀は、身幅広く、鋒大きく延びる延文・貞治頃の姿で、地沸が厚くつき、湯走り・飛び焼きなどが明るく輝き現れる黒く冴えた鍛に、直刃調に、小互の目交じり、湯走り・飛び焼き・二十刃掛り、足よく入り、沸深くつき、金筋が幾重にも頻りに掛り、頗る健全で覇気溢れる左の名品である。


Sa (Samonji) school, Chikuzen · 筑前 · 1345-1350頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在1点販売中
貞吉は筑前左文字、すなわち左文字(左一類)の流れを汲む刀工で、南北朝時代の中頃に活躍した。説明書はこれを末左、大左の後に一派を継いだ第二世代の門人に数え、「貞吉は安吉の子で、文和頃の刀工と伝えており」[[c:1]]と記す。安吉自身が左文字の子であるから、貞吉は祖から二代を下った位置に立ち、説明書が繰り返し併せ挙げる安吉・行弘・吉貞・国弘・弘行・弘安・貞吉らの中にある。筑前左文字は南北朝初期に出現し、それまでの古典的な九州物の作域から大きく脱皮して、地刃ともに明るく冴え、地景や金筋の目立つ新作風を確立したが、貞吉はその作風を受け継いだ一人である。
その記録の核心は、ほぼ全てを極めに負うという点にある。説明書は「現存する在銘作は極めて少ない」[[c:2]]と明言し、本工の名で遺るものはほとんどが大磨上無銘で貞吉と極められた刀である。一派の中から本工を選び出す拠りどころは一つで、説明書はそれを躊躇なく挙げる。すなわち穏やかな直刃を基調とした刃文である。判者は「無銘極めの刀には、左一類と見えて直刃を基調とした刃取りのものがよく見受けられる」[[c:3]]と観察し、古来本工極めの見どころとされてきたこの抑えた手こそが、左一類の刀をとりわけ貞吉に極めさせる。ある刀ではその極めが端的に、「比較的におだやかにおとなしい点からであろう貞吉と極めているが妥当である」[[c:4]]と記される。
地鉄は左一類全体に共有される相州由来の地である。板目に杢・流れ肌を交えて肌立ち、その上に地沸厚くつき地景頻りに入り、かねはやや黒みがかり、作によって鎬寄りに淡く白け風の映りが立つ。その地の上に焼かれる刃は、広直刃あるいは中直刃を浅くのたれさせ、少しの互の目・小互の目を交えたもので、足・葉入り、金筋・砂流しかかり、沸厚くつき、匂口は処々沈みごころとなる。帽子は一派共通にして本工の最も確かな見どころで、突き上げ風に立ち上がって先尖り、掃きかける。これを判者は繰り返し左一類の特色とする。彫物は概ね棒樋を掻き通す。
その直刃主体の一様の中で、極めはより静かな手とやや働く手とに分かれる。最も穏やかな場合、刃は広直刃がわずかに揺れる程度で、働きは高い房ではなく足・葉と細かな金筋に托される。少なからぬ作では同じ基調を開いて、焼幅広く、小のたれに互の目・角がかる刃を交え、沸厚く処々荒めの沸を交えてむら立ち、ほつれ・打のけ・二重刃風を見せ、物打辺に湯走りや小さな飛焼を交える。最も働く場合でも刃の本体は直刃を保ち、先尖って掃きかける帽子が崩れないため、左一類の貞吉極めとして読まれる。説明書はこれらのうち数口を同工極めの中でも出来優れたものとし、広い焼幅と豊富な沸が、豪壮な南北朝の姿と相俟って力強く華麗な趣を伝えるとする。作は身幅広く元先の幅差の目立たぬ大鋒・中鋒延びごころの刀で、薙刀を直したものも幾口かあり、後刻の截断金象嵌銘や、一口には茎に朱書の一字を有するものがある。判者はその一字を左文字の意に狭く解さず、大きく左一類と解する。
一派の中で貞吉を分かつものは、まさに本工を見出しにくくしているその点である。説明書は左一類を個々の特色が比較的少ない一派と読み、無銘作を相互に分かつことは容易でないが、それに対し穏やかな直刃と先尖って掃きかける帽子こそが、一口を兄弟弟子ではなく本工の名へ運ぶ拠りどころとなる。地景に富んだ明るい地鉄と直刃調の刃は、左一類のより華やかな互の目・のたれとは分かたれ、本工は末左の静かで古典的な一面、相州伝の継承を抑えて示す手として読まれる。
藤代は貞吉を上々作とし、刀工大鑑の位列も中位に記す。国宝はなく、その記録はもっぱら現代の指定級を通じる。本工に極められた刀は二十口を超え、十数回の審査にわたって重要刀剣に及び、数口は同工極めの中でも特に出来優れたものとされる。来歴は記録に乏しく、所在の知られる一口は黒川古文化研究所が蔵し、他は私蔵を経てきた。在銘確実な貞吉は末左の記録のうちでも頗る稀であるから、収集家が本工に出会うのはほとんどこの無銘・磨上の刀を通じてであり、それも時折、根気をもってのことである。左貞吉と確かに極められた一口は、国宝のように手の届かぬものではないが、著名な銘ゆえにではなく、判者が今なお本工を知る穏やかな直刃の手ゆえに選ばれる、静かで思慮深い一振りである。
貞吉の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 筑前
時期区分: 末左· 1338–1450
現在12点販売中
末左とは、大左の後を承けた左文字派の後代を総称する呼び名である。説明文がたびたび繰り返すように、筑前国左文字は南北朝時代初期に出現し、それまでの古典的な九州物の作域から脱皮して地刃の明るく冴えた作風を確立したが、その一門は末左と汎称され、安吉・行弘・吉貞・国弘・弘行・弘安・貞吉らが師風をよく受け継いで活躍した。これらの諸工は大左の子あるいは門人と伝えられる。安吉は大左の子で、後に筑前から長州へ移住したと伝え、その移住は正平十七年紀の「長州住安吉」の銘振りが常々の安吉銘と一致することから首肯される。弘安は行弘の子と伝え、現存作に正平二十年紀、『埋忠押形』所載のものに正平十三年紀がある。国弘は吉弘の子とも定行の子とも伝え、貞国は左国弘の子で時代を応安頃とする。世代は南北朝盛期から末期、降って室町初期の応永にまで及び、安吉の作には永和・応永年紀のものが遺って代替りの存在も窺われる。 作風の上では、末左は大左が確立した相州伝を一代隔てて受け継いでいる。鍛えは板目に小板目・杢を交え、肌立ちごころとなって地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入り、淡く沸映りが立つ。刃文はのたれを基調に互の目・小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉が入り、匂が深く小沸が厚くついて、金筋・砂流しが細かにかかる。帽子は乱れ込んで突き上げ、先が尖りごころとなって掃きかけ、長く返る。これらは左一類の特徴であり、無銘の刀を左一類と鑑る拠りどころとなる。ただし大左の地刃に見られる際立った冴えに対し、末左ではその度合いがやや劣り、匂口が沈みごころとなる作も少なくない。作柄は一門の諸工に比して特に際立った個性を見出し難く、定型化の傾きをもつ。なかには安吉のように刃沸が弱く匂勝ちで、刃近くに棒映りを現して備前気質を交える手もあり、大左の純然たる相州伝からの隔たりを示している。 末左を大左と分かつ鑑定の要点は、地刃の冴えの度合いと、作風の定型化の度合いにある。明るく冴えた地と突き上げて尖る帽子という見どころは共有しつつも、末左ではその冴えが一段退く。無銘極めにおいては、互の目の目立つものは弘安に、最も華やかに大模様へ乱れたものは国弘に擬する、というのが本阿弥家以来の見方である。主要工としては、行弘が大左に最も接近する弟子として一群の頭に立ち、安吉・国弘・弘安・貞国らが続く。在銘作は一様に頗る稀で、太刀の弘安在銘や安吉の生ぶ在銘短刀のごときは資料的価値が極めて高く、その多くは大磨上無銘の同工極めを通じて世に伝わる。伝来も豊かで、弘安の刀には黒田家・高須松平家・久松家に伝わったものがあり、本阿弥光忠・光温らの折紙を伴う。貞国の短刀は毛利家に伝わり、吉弘の太刀は備前池田家に伝来して、八代将軍吉宗より池田継政が拝領したと考えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。