説明

Yoshioka Ichimonji - J uyo #49 JT0012 SOLD Yoshioka Ichimonji katana o-suriage, mumei. Hawatare: 2 shaku 3 sun 3 bu 9.8 rin (70.9 cm / 27.91 inches). The hamon is nioi deki choji gunome togare midare, hataraki, kinsuji, inazuma, nado. The habuchi is tighter on Yoshioka than those of Fukaoka Ichimonji. The jigane is itame nagare with areas of mokume and masame with chikei and a very strong choji midare utsure. There are gifu. There is sayagaki by Tanobe Michihiro stating that this blade is chinchinchocho. Chincho is an especially precious treasure, and the doubling is for emphasis. When I asked him what it means, he said, "If there is a fire, this is what you save". The Yoshioka Ichimonji ran from around Sho-o (1288 - 1293) to around Shohei (1346 - 1370). They were descendants of the Fukaoka Ichimonji, and were named for their location. It is believed that the founder of the school, Yoshioka Sukeyoshi, was the grandson of Fukaoka Ichimonji Sukemune. This example is from later Kamakura. Gunome Choji Midare Hamon With Togare. Kinsuji and Hataraki Mokume Nagare Hada Kinsuji & Mokume Nagare Jigane Juyo Token Nado Zufu #49 Sayagaki which in part reads o-suriage mumei, end of Kamakura, chinchinchocho (chincho means an especially precious treasure - doubling is for emphasis) Sayagaki by Tanobe Michihiro 192

Yoshioka Ichimonji - Juyo #49
売切れ
Jūyō売切れ

Yoshioka Ichimonji - Juyo #49

売却済

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

70.9 cm

流派について

Yoshioka Ichimonji School吉岡一文字派

3 重要文化財2 重要美術品2 御物13 特別重要刀剣127 重要刀剣

吉岡一文字派は、備前国吉岡の地に興った一文字の一門である。福岡一文字が最盛をきわめた後、鎌倉時代の最末期から南北朝時代にかけて、その手を継いでこの地に栄えた後期一文字の流れにあたる。一派の名は太刀の茎頭に切る「一」の字に由来し、その下にそれぞれの個銘を加えるのを常とした。代表工はいずれも「助」を通字とし、助光をはじめ、助義・助茂・助吉・助秀らが知られる。現存する在銘作の年紀は永仁・元応・元亨・元徳から延慶・嘉暦を経て貞和の頃に及び、鎌倉終焉前後のおよそ数十年にわたって、長銘の今なお読めるものが数口残されている。なかでも左近将監に任じた助光は、「一」の一字の下に備前国吉岡住左近将監紀助光と長く銘を切り、年紀作・在銘作によって一派の基準を定めた工とされる。 作風には吉岡に通じる一筋の語法がある。地鉄はよく鍛えた板目で、時に小板目につみ、杢目や流れ肌を交えて地沸つき、最上手には地景が細かに頻りに入り、在銘・極めのいずれにも鮮明な乱れ映りが立つ。ある太刀では下半に直ぐ状の映りが立ち、上半でこれが乱れ映りに転じるなど、一派が共有する地鉄である。刃文は焼にさまで高低を見せず、丁子乱れに小丁子・小互の目あるいは頭の丸い互の目を交え、直刃調の中に小足・葉を托し、匂口は明るく冴えて匂勝ちに小沸づく。棒樋を掻き通すものが多い。これらの常の手は、福岡一文字の聳えるような重花丁子に対して、より穏やかに、より緻密に揃えた一線をなす。両派は種ではなく規模によって分かれるのであって、大模様の丁子を焼いて一見福岡に紛れる作も稀にはあるが、吉岡の通例はむしろ乱れの中に互の目が目立ち、やや小出来となるところにある。物打辺で直刃調となり焼幅のやや狭まるものも見られ、時に逆がかる刃を交える。 鑑定の勘所は、明るい乱れ映りの立つ精緻な地鉄と、小模様の互の目を交えた揃った丁子乱れにあり、これを母体たる福岡の大模様から分かつ。刃中の足・葉、淡い二重刃風、細かな金筋・砂流しといった働きも見どころとなる。一派のうちでは助光が年紀作・在銘作に恵まれて格別に重んじられ、その作は指定制度の最上位にまで及んでいる。元応二年紀の在銘薙刀は生ぶのまま加賀前田家に伝来し、後世の大磨上無銘ながら本阿弥家が助光と鑑して金象嵌を加えた刀には、徳川家光・阿部忠秋・前田家といった名を伝える来歴を留めるものもある。助茂・助義は生ぶの太刀姿と年紀を残して資料的価値が高く、助秀は数少ない脇指の作例を伝える。在銘の確実な遺作は総じて少なく、長銘と年紀を備えたものは一派研究の好資料として珍重される。これらの作は、吉岡が鎌倉の終焉まで一文字の手を保ち伝えたことを今に語り継いでいる。

刀剣商

Nihonto US

nihonto.us

売切れ