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日本刀 短刀 銘:信秀(筑前守信秀) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作品は、幕末期を代表する名工、信秀(筑前守信秀)の手による短刀です。信秀は文化12年(1815年)、越後国(現在の新潟県)に生まれました。文政12年(1829年)に京都へ上り、鏡師としてその名を馳せますが、嘉永3年(1850年)、刀工を志して江戸へ向かい、幕末四天王の一人と謳われた天才刀工・源清麿の門を叩きました。 当時、信秀は34〜35歳、師となる清麿とはわずか2歳差という異例の入門でしたが、その天賦の才により、わずか3年足らずで清麿の卓越した技術を習得。清麿門下における筆頭弟子として、その地位を確立しました。 嘉永5年(1852年)に独立。慶応元年(1865年)には、孝明天皇より「筑前守」の受領銘を賜る栄誉に浴しています。記録によれば、嘉永6年から安政元年にかけては相模国に、元治元年から慶応3年にかけては大坂に滞在し、精力的に作刀を行いました。 銘振りは、初期の「信秀」から「栗原謙司信秀」、晩年の「平信秀」へと変遷します。嘉永5年から明治10年(1852-1877年)にかけて活躍し、月山貞一、本荘義胤と並び「幕末三名工」の一人に数えられるなど、愛刀家や専門家の間でも極めて高く評価されている名工です。 明治維新後も作刀を続け、明治2年(1869年)には明治天皇より御儀仗刀の製作を拝命。これは刀工として最高の名誉といえます。さらに明治政府より、招魂社(現在の靖国神社)の創建に際し、神鏡三面および神刀の製作を命じられました。幕末の動乱で斃れた志士を祀る招魂社に奉納する品を任されたという事実は、信秀が当時の日本においていかに信頼と尊敬を集めていたかを物語っています。明治7年(1874年)にこの大役を終えた後は、故郷の越後へ戻り再び鏡製作に従事。その後、東京の自宅にて66歳の生涯を閉じました。 【短刀とは】 刃渡り一尺(約30cm)以下のものを指し、多くは鍔を付けない「合口(あいくち)」様式で仕立てられます。携帯性に優れ、接近戦において重宝されました。鎌倉・室町時代には、長槍や太刀を主武器とする騎馬武者の補助兵装として用いられ、鎧の隙間を突くなどの実戦的な役割を担いました。 携行方法により「懐刀(ふところがたな)」や「腰刀(こしがたな)」とも呼ばれます。また、古来より「邪を払い、身を守る」という信仰から、伝統的な婚礼儀式において花嫁に贈られる守り刀としても大切にされてきました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に鑑定された逸品です。その真作としての価値、保存状態の良さ、そして美術品としての格調の高さが公に証明されています。 【法量・形状】 長さ(刃長):24.1 cm(7寸9分5厘) 反り:0.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(地肌):鍛錬によって現れる鋼の表面模様。

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MarketAuctionsEncyclopedia
刀剣›清麿›信秀›日本刀 刀 短刀 銘 信秀 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書付
短刀保存
信秀

日本刀 刀 短刀 銘 信秀 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書付

在銘 · 文久 · 長さ 24.1cm · 反り 0.2cm

売却済
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法量・詳細
刀工
信秀
種別
短刀
流派
Kiyomaro
活動期
1857–1867年頃(Bunkyu)
国
越後
銘
在銘(在銘率 100%)
法量
長さ 24.1cm反り 0.2cm
説明

日本刀 短刀 銘:信秀(筑前守信秀) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作品は、幕末期を代表する名工、信秀(筑前守信秀)の手による短刀です。信秀は文化12年(1815年)、越後国(現在の新潟県)に生まれました。文政12年(1829年)に京都へ上り、鏡師としてその名を馳せますが、嘉永3年(1850年)、刀工を志して江戸へ向かい、幕末四天王の一人と謳われた天才刀工・源清麿の門を叩きました。 当時、信秀は34〜35歳、師となる清麿とはわずか2歳差という異例の入門でしたが、その天賦の才により、わずか3年足らずで清麿の卓越した技術を習得。清麿門下における筆頭弟子として、その地位を確立しました。 嘉永5年(1852年)に独立。慶応元年(1865年)には、孝明天皇より「筑前守」の受領銘を賜る栄誉に浴しています。記録によれば、嘉永6年から安政元年にかけては相模国に、元治元年から慶応3年にかけては大坂に滞在し、精力的に作刀を行いました。 銘振りは、初期の「信秀」から「栗原謙司信秀」、晩年の「平信秀」へと変遷します。嘉永5年から明治10年(1852-1877年)にかけて活躍し、月山貞一、本荘義胤と並び「幕末三名工」の一人に数えられるなど、愛刀家や専門家の間でも極めて高く評価されている名工です。 明治維新後も作刀を続け、明治2年(1869年)には明治天皇より御儀仗刀の製作を拝命。これは刀工として最高の名誉といえます。さらに明治政府より、招魂社(現在の靖国神社)の創建に際し、神鏡三面および神刀の製作を命じられました。幕末の動乱で斃れた志士を祀る招魂社に奉納する品を任されたという事実は、信秀が当時の日本においていかに信頼と尊敬を集めていたかを物語っています。明治7年(1874年)にこの大役を終えた後は、故郷の越後へ戻り再び鏡製作に従事。その後、東京の自宅にて66歳の生涯を閉じました。 【短刀とは】 刃渡り一尺(約30cm)以下のものを指し、多くは鍔を付けない「合口(あいくち)」様式で仕立てられます。携帯性に優れ、接近戦において重宝されました。鎌倉・室町時代には、長槍や太刀を主武器とする騎馬武者の補助兵装として用いられ、鎧の隙間を突くなどの実戦的な役割を担いました。 携行方法により「懐刀(ふところがたな)」や「腰刀(こしがたな)」とも呼ばれます。また、古来より「邪を払い、身を守る」という信仰から、伝統的な婚礼儀式において花嫁に贈られる守り刀としても大切にされてきました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に鑑定された逸品です。その真作としての価値、保存状態の良さ、そして美術品としての格調の高さが公に証明されています。 【法量・形状】 長さ(刃長):24.1 cm(7寸9分5厘) 反り:0.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(地肌):鍛錬によって現れる鋼の表面模様。

作者について

信秀

Kurihara Nobuhide, Yamaura Kiyomaro school (shinshinto) · 武蔵 · 1857-1867頃

藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位10%

現在3点販売中

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栗原謙司信秀は越後三条に生まれ、初め鏡師を業とし、嘉永三年頃に至って江戸四谷の山浦清麿の門に入り、刀の道に転じた。師の門人のうち、説明書が最も源に近く置くのが彼である。受領以前の作を評して、説明書は「その技術は一門中、最も師に迫るものであり」[[c:1]]と記す。慶応元年五月に筑前守を受領し、大坂に三年住して江戸に戻り、廃刀令の後は故郷の越後に帰って僅かに鍛刀し、明治十三年に歿した。信秀、多くは平信秀、受領後は栗原筑前守平信秀と銘した。清人と並んで、嘉永の四谷正宗の相州復古を幕末・明治初年に伝えた二人の手の一人である。

狙うところは師の作風、その中でも清麿が最も得意とした志津の調子である。説明書は端的に、その作が「師に似て志津伝を得意としている」[[c:2]]と述べる。刃文は互の目乱れに尖り刃・角がかった角互の目を交え、丁子ごころが入り時に交じり、足・葉よく入る。働きは沸の深い刃のそれで、小沸よくつき、砂流しかかり、長い金筋が頻りに入り、匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込んで尖りごころに返り、しばしば掃きかけ、時に先突き上げて小丸となる。身幅の広い平造の脇指に、この手が全き力で読まれる。説明書はある一口を「覇気あふれる出来で、砂流し、金筋頻りに働いて力強い」[[c:3]]とする。

地鉄こそ清麿への近さが最もよくあらわれるところである。流れてやや肌立つ板目に時に柾・杢を交え、地沸厚くつき地景頻りに入り、かね冴える。映りはない。これは志津を経て相州に遡る新々刀の手であって備前の手ではなく、その明るさは地刃の沸に宿り、映りには宿らない。姿は堂々として身幅広く、重ね薄きものあり、反り浅く、切先延びあるいは大鋒となり、先反ごころのものも見る。この強さに対し、説明書は継承の限りについて率直である。その覇気と迫力は師に遠く及ばないと一再ならず記し、しかも作の器用さは異論がないとする。

彼ひとりの見どころ、一派中で彼だけの手は彫物である。鏡師の修業が他工にない金属の手を与え、説明書は山浦一派において「山浦一派では彼の刀以外に彫物がない」[[c:4]]と記す。図柄は多彩で取題に独特のものがある。草の倶利迦羅、珠追竜、竜乗り観音、腰元の天鈿女命・山桜花、二筋樋・棒樋の下の梵字・素剣。明治元年以降は金工加納夏雄に学んで彫法著しく変じ、浅い肉合彫風となる。彫物に伴う造込みが片切刃造で、説明書は信秀に片切刃造がまま見受けられるとし、身幅の広い平造の寸延び脇指と併せ見る。彫物こそ彼の作の眼目であって、ある彫物のない刀について、説明書はその不在を讃に転ずる。彫物がないだけに、かえって「却って師清麿に見紛う程の出来」[[c:5]]と評するのである。

師と彼とを分かつものは説明書自身が名指すところであり、それは種ではなく程度の差である。同じく流れる板目に地沸厚く地景入り、同じく沸深い互の目乱れに砂流し・金筋、同じく尖る帽子を焼く。されど清麿の手が覇気において圧倒すると読まれるのに対し、信秀の手はそれに最もよく迫った手、一門が達した最も近い手と読まれる。清麿門の中で彼は彫物の手であり、大坂・越後流浪の手であり、銘と受領によって年代と所在の知れる手である。すなわち彼は、短く激しい生涯ゆえに一層神話化された開祖を持つ一派の、開かれた知り得る面である。

収集の観点では、確かな質を備えた手に入れ得る清麿一派の名である。藤代の極めは上々作、刀剣美術の評価も新々刀中で高い。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は重要刀剣の級を通り、在銘の刀・脇指・薙刀が三十口余り指定されている。来歴は広汎というより、確かで歴史に響くものである。慶応元年の片切刃の脇指一口は、説明書によれば「将軍慶喜に献上のものである」[[c:6]]とし、また一口は故郷越後三条の八幡社に伝わる。指定の作の多くは伝えられて商われることなく、商い得る級はわずかであるから、在銘の信秀が世に出ることは時折に限られる。世に出たそのとき、それは収集家が清麿相州の手を、在銘・年紀を備え、しばしば自らの彫物を伴って手にし得る、最も報いある道の一つである。

歴史的重要度

信秀の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
著名

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指定の実績
指定34口
重要刀剣
34
信秀の作 3点が現在販売中→
信秀 — 詳細Kurihara Nobuhide, Yamaura Kiyomaro school (shinshinto)派

年紀作

在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代

活動期間
1857–1867
指定品34点のうち23点に年紀あり
1850
1860
1870
流派について

清麿

新々刀 · 武蔵

現在13点販売中

›

清麿一門は、十九世紀中頃の江戸に興った新々刀の一派で、相州伝の豪壮な復興をその核に据える。中心に立つのは山浦清麿で、文化十年信濃小諸赤岩村に郷士信風の次男として生まれ、はじめ内蔵助環と称した。上田藩工河村寿隆に鍛刀を学び、初銘を正行とし、一時師より贈られた秀寿と銘したのち同年のうちに正行へ復している。天保六年、兵法家として名高い幕臣窪田清音の後援を得て江戸に出で、天保十三年から一年を長州萩で送り、弘化二年に再び江戸へ戻って、翌三年秋に四谷伊賀町に住して銘を清麿と改めた。相州伝を得意とすること甚だしく、世に四谷正宗と称せられた。その糾合した門には、信濃以来の同じ道を歩んだ兄真雄、越後三条より鏡師を廃して入門した栗原信秀、羽州庄内より出府して師の刀債を後に完済した斎藤清人らが連なり、嘉永七年の清麿自刃の後も、その相州復古の手は幕末から明治初年へと伝えられた。 一門を貫く語法は、五百年を遡って相州に通う沸本位の作風にある。やや肌立つ流れごころの板目をよくつめ、地沸を微塵に厚く敷き、地景頻りに入って鉄が冴え、映りはない。その上に互の目乱れに小のたれを交え、沸厚く処々荒めに叢立ち、長い金筋と盛んな砂流しが頻りにかかる覇気ある刃を焼く。帽子は乱れ込み、尖りごころに掃きかけて返る。この共通の地刃の内に、各工の手が分かれる。清麿は志津三郎兼氏を仰いだ志津伝を得意中の得意とし、その地沸・地景の厚さと荒沸の富みにおいて一門を圧して、菖蒲造・冠落造の脇指や短刀に華やかな乱れを見せる。信秀はその志津の調子に最もよく迫った手で、説明書はその技を一門中最も師に迫るものとし、互の目に尖り刃・角互の目を交えて砂流し・金筋を頻りにかけるが、覇気と迫力は師に遠く及ばないとも率直に記す。彼ひとりの見どころは鏡師の修業に発する彫物で、草の倶利迦羅・珠追竜・竜乗り観音など多彩な図柄を刻み、一派中で彫物を伴うのは彼の刀のみである。真雄は寿隆風の丁子に始まって相州伝に転じた弟と同じ展開を辿るが、説明書は地景・砂流し・金筋がやや少なく出来が清麿に及ばないとし、なお優作では地沸厚く強い鍛えを称える。清人は頭の丸い互の目を主調に長い足と豊かな沸を保って師風を忠実に継ぐ一方、清麿には見られぬ大和伝の直刃を独り保ち、よくつんだ小板目に微塵の地沸を敷いて地刃の冴えた直刃を焼く。 鑑定の勘所は、まずこの相州への遡りにある。同時代の新々刀工が備前の丁子や虎徹の詰んだ地鉄を写したのに対し、本一門は地沸・地景厚く荒沸に富み金筋・砂流し頻りなる地刃を、借りものの模様によらずその力強さと明るさによって示す。姿もまた手がかりで、身幅広く元先の幅差少なく、鎬幅狭く平肉つかず、大鋒の延びてふくらの枯れた豪壮な体配が一門独特のものとされる。位列にあって清麿は晩年のあらゆる刀工の中でも最も人気の高い一人で、藤代はこれを最上作とし、真雄を上作、信秀・清人をこれに次ぐ手とする。国宝・重要文化財はなく、その地位は今日の指定の級と僅かな来歴に拠る。来歴は広汎というより確かで歴史に響くもので、清麿の作は岩崎家と静嘉堂文庫、後援者窪田清音、大小を註文した松代藩士、剣客中条金之助の手を経、信秀の片切刃の脇指は将軍慶喜への献上と伝え越後三条の八幡社にも伝わり、清人の一口は亡師の遺志を託されて稜威尾羽張の神号を刻む。多くは伝えられて市場には出ず、在銘の作が世に現れるのは時折に限られるが、年紀を備えたその一口は、相州が江戸に甦った瞬間を語る証として、新々刀を集める者の前に立つ最も報いある手の一つである。

12名の刀工指定132口
主要刀工
刀工時代指定
清麿1839-185452
信秀1857-186734
清人1848-18688
真雄1844-18666
正直1865-18683
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NBTHK鑑定書
Hozon Tōken保存刀剣
Sword Worthy of Preservation
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銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。

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日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。

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日本刀 短刀 銘:信秀(筑前守信秀) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作品は、幕末期を代表する名工、信秀(筑前守信秀)の手による短刀です。信秀は文化12年(1815年)、越後国(現在の新潟県)に生まれました。文政12年(1829年)に京都へ上り、鏡師としてその名を馳せますが、嘉永3年(1850年)、刀工を志して江戸へ向かい、幕末四天王の一人と謳われた天才刀工・源清麿の門を叩きました。 当時、信秀は34〜35歳、師となる清麿とはわずか2歳差という異例の入門でしたが、その天賦の才により、わずか3年足らずで清麿の卓越した技術を習得。清麿門下における筆頭弟子として、その地位を確立しました。 嘉永5年(1852年)に独立。慶応元年(1865年)には、孝明天皇より「筑前守」の受領銘を賜る栄誉に浴しています。記録によれば、嘉永6年から安政元年にかけては相模国に、元治元年から慶応3年にかけては大坂に滞在し、精力的に作刀を行いました。 銘振りは、初期の「信秀」から「栗原謙司信秀」、晩年の「平信秀」へと変遷します。嘉永5年から明治10年(1852-1877年)にかけて活躍し、月山貞一、本荘義胤と並び「幕末三名工」の一人に数えられるなど、愛刀家や専門家の間でも極めて高く評価されている名工です。 明治維新後も作刀を続け、明治2年(1869年)には明治天皇より御儀仗刀の製作を拝命。これは刀工として最高の名誉といえます。さらに明治政府より、招魂社(現在の靖国神社)の創建に際し、神鏡三面および神刀の製作を命じられました。幕末の動乱で斃れた志士を祀る招魂社に奉納する品を任されたという事実は、信秀が当時の日本においていかに信頼と尊敬を集めていたかを物語っています。明治7年(1874年)にこの大役を終えた後は、故郷の越後へ戻り再び鏡製作に従事。その後、東京の自宅にて66歳の生涯を閉じました。 【短刀とは】 刃渡り一尺(約30cm)以下のものを指し、多くは鍔を付けない「合口(あいくち)」様式で仕立てられます。携帯性に優れ、接近戦において重宝されました。鎌倉・室町時代には、長槍や太刀を主武器とする騎馬武者の補助兵装として用いられ、鎧の隙間を突くなどの実戦的な役割を担いました。 携行方法により「懐刀(ふところがたな)」や「腰刀(こしがたな)」とも呼ばれます。また、古来より「邪を払い、身を守る」という信仰から、伝統的な婚礼儀式において花嫁に贈られる守り刀としても大切にされてきました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に鑑定された逸品です。その真作としての価値、保存状態の良さ、そして美術品としての格調の高さが公に証明されています。 【法量・形状】 長さ(刃長):24.1 cm(7寸9分5厘) 反り:0.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(地肌):鍛錬によって現れる鋼の表面模様。

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刀剣›清麿›信秀›日本刀 刀 短刀 銘 信秀 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書付
短刀保存
信秀

日本刀 刀 短刀 銘 信秀 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書付

在銘 · 文久 · 長さ 24.1cm · 反り 0.2cm

売却済
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法量・詳細
刀工
信秀
種別
短刀
流派
Kiyomaro
活動期
1857–1867年頃(Bunkyu)
国
越後
銘
在銘(在銘率 100%)
法量
長さ 24.1cm反り 0.2cm
説明

日本刀 短刀 銘:信秀(筑前守信秀) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作品は、幕末期を代表する名工、信秀(筑前守信秀)の手による短刀です。信秀は文化12年(1815年)、越後国(現在の新潟県)に生まれました。文政12年(1829年)に京都へ上り、鏡師としてその名を馳せますが、嘉永3年(1850年)、刀工を志して江戸へ向かい、幕末四天王の一人と謳われた天才刀工・源清麿の門を叩きました。 当時、信秀は34〜35歳、師となる清麿とはわずか2歳差という異例の入門でしたが、その天賦の才により、わずか3年足らずで清麿の卓越した技術を習得。清麿門下における筆頭弟子として、その地位を確立しました。 嘉永5年(1852年)に独立。慶応元年(1865年)には、孝明天皇より「筑前守」の受領銘を賜る栄誉に浴しています。記録によれば、嘉永6年から安政元年にかけては相模国に、元治元年から慶応3年にかけては大坂に滞在し、精力的に作刀を行いました。 銘振りは、初期の「信秀」から「栗原謙司信秀」、晩年の「平信秀」へと変遷します。嘉永5年から明治10年(1852-1877年)にかけて活躍し、月山貞一、本荘義胤と並び「幕末三名工」の一人に数えられるなど、愛刀家や専門家の間でも極めて高く評価されている名工です。 明治維新後も作刀を続け、明治2年(1869年)には明治天皇より御儀仗刀の製作を拝命。これは刀工として最高の名誉といえます。さらに明治政府より、招魂社(現在の靖国神社)の創建に際し、神鏡三面および神刀の製作を命じられました。幕末の動乱で斃れた志士を祀る招魂社に奉納する品を任されたという事実は、信秀が当時の日本においていかに信頼と尊敬を集めていたかを物語っています。明治7年(1874年)にこの大役を終えた後は、故郷の越後へ戻り再び鏡製作に従事。その後、東京の自宅にて66歳の生涯を閉じました。 【短刀とは】 刃渡り一尺(約30cm)以下のものを指し、多くは鍔を付けない「合口(あいくち)」様式で仕立てられます。携帯性に優れ、接近戦において重宝されました。鎌倉・室町時代には、長槍や太刀を主武器とする騎馬武者の補助兵装として用いられ、鎧の隙間を突くなどの実戦的な役割を担いました。 携行方法により「懐刀(ふところがたな)」や「腰刀(こしがたな)」とも呼ばれます。また、古来より「邪を払い、身を守る」という信仰から、伝統的な婚礼儀式において花嫁に贈られる守り刀としても大切にされてきました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に鑑定された逸品です。その真作としての価値、保存状態の良さ、そして美術品としての格調の高さが公に証明されています。 【法量・形状】 長さ(刃長):24.1 cm(7寸9分5厘) 反り:0.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(地肌):鍛錬によって現れる鋼の表面模様。

作者について

信秀

Kurihara Nobuhide, Yamaura Kiyomaro school (shinshinto) · 武蔵 · 1857-1867頃

藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位10%

現在3点販売中

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栗原謙司信秀は越後三条に生まれ、初め鏡師を業とし、嘉永三年頃に至って江戸四谷の山浦清麿の門に入り、刀の道に転じた。師の門人のうち、説明書が最も源に近く置くのが彼である。受領以前の作を評して、説明書は「その技術は一門中、最も師に迫るものであり」[[c:1]]と記す。慶応元年五月に筑前守を受領し、大坂に三年住して江戸に戻り、廃刀令の後は故郷の越後に帰って僅かに鍛刀し、明治十三年に歿した。信秀、多くは平信秀、受領後は栗原筑前守平信秀と銘した。清人と並んで、嘉永の四谷正宗の相州復古を幕末・明治初年に伝えた二人の手の一人である。

狙うところは師の作風、その中でも清麿が最も得意とした志津の調子である。説明書は端的に、その作が「師に似て志津伝を得意としている」[[c:2]]と述べる。刃文は互の目乱れに尖り刃・角がかった角互の目を交え、丁子ごころが入り時に交じり、足・葉よく入る。働きは沸の深い刃のそれで、小沸よくつき、砂流しかかり、長い金筋が頻りに入り、匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込んで尖りごころに返り、しばしば掃きかけ、時に先突き上げて小丸となる。身幅の広い平造の脇指に、この手が全き力で読まれる。説明書はある一口を「覇気あふれる出来で、砂流し、金筋頻りに働いて力強い」[[c:3]]とする。

地鉄こそ清麿への近さが最もよくあらわれるところである。流れてやや肌立つ板目に時に柾・杢を交え、地沸厚くつき地景頻りに入り、かね冴える。映りはない。これは志津を経て相州に遡る新々刀の手であって備前の手ではなく、その明るさは地刃の沸に宿り、映りには宿らない。姿は堂々として身幅広く、重ね薄きものあり、反り浅く、切先延びあるいは大鋒となり、先反ごころのものも見る。この強さに対し、説明書は継承の限りについて率直である。その覇気と迫力は師に遠く及ばないと一再ならず記し、しかも作の器用さは異論がないとする。

彼ひとりの見どころ、一派中で彼だけの手は彫物である。鏡師の修業が他工にない金属の手を与え、説明書は山浦一派において「山浦一派では彼の刀以外に彫物がない」[[c:4]]と記す。図柄は多彩で取題に独特のものがある。草の倶利迦羅、珠追竜、竜乗り観音、腰元の天鈿女命・山桜花、二筋樋・棒樋の下の梵字・素剣。明治元年以降は金工加納夏雄に学んで彫法著しく変じ、浅い肉合彫風となる。彫物に伴う造込みが片切刃造で、説明書は信秀に片切刃造がまま見受けられるとし、身幅の広い平造の寸延び脇指と併せ見る。彫物こそ彼の作の眼目であって、ある彫物のない刀について、説明書はその不在を讃に転ずる。彫物がないだけに、かえって「却って師清麿に見紛う程の出来」[[c:5]]と評するのである。

師と彼とを分かつものは説明書自身が名指すところであり、それは種ではなく程度の差である。同じく流れる板目に地沸厚く地景入り、同じく沸深い互の目乱れに砂流し・金筋、同じく尖る帽子を焼く。されど清麿の手が覇気において圧倒すると読まれるのに対し、信秀の手はそれに最もよく迫った手、一門が達した最も近い手と読まれる。清麿門の中で彼は彫物の手であり、大坂・越後流浪の手であり、銘と受領によって年代と所在の知れる手である。すなわち彼は、短く激しい生涯ゆえに一層神話化された開祖を持つ一派の、開かれた知り得る面である。

収集の観点では、確かな質を備えた手に入れ得る清麿一派の名である。藤代の極めは上々作、刀剣美術の評価も新々刀中で高い。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は重要刀剣の級を通り、在銘の刀・脇指・薙刀が三十口余り指定されている。来歴は広汎というより、確かで歴史に響くものである。慶応元年の片切刃の脇指一口は、説明書によれば「将軍慶喜に献上のものである」[[c:6]]とし、また一口は故郷越後三条の八幡社に伝わる。指定の作の多くは伝えられて商われることなく、商い得る級はわずかであるから、在銘の信秀が世に出ることは時折に限られる。世に出たそのとき、それは収集家が清麿相州の手を、在銘・年紀を備え、しばしば自らの彫物を伴って手にし得る、最も報いある道の一つである。

歴史的重要度

信秀の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
著名

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指定の実績
指定34口
重要刀剣
34
信秀の作 3点が現在販売中→
信秀 — 詳細Kurihara Nobuhide, Yamaura Kiyomaro school (shinshinto)派

年紀作

在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代

活動期間
1857–1867
指定品34点のうち23点に年紀あり
1850
1860
1870
流派について

清麿

新々刀 · 武蔵

現在13点販売中

›

清麿一門は、十九世紀中頃の江戸に興った新々刀の一派で、相州伝の豪壮な復興をその核に据える。中心に立つのは山浦清麿で、文化十年信濃小諸赤岩村に郷士信風の次男として生まれ、はじめ内蔵助環と称した。上田藩工河村寿隆に鍛刀を学び、初銘を正行とし、一時師より贈られた秀寿と銘したのち同年のうちに正行へ復している。天保六年、兵法家として名高い幕臣窪田清音の後援を得て江戸に出で、天保十三年から一年を長州萩で送り、弘化二年に再び江戸へ戻って、翌三年秋に四谷伊賀町に住して銘を清麿と改めた。相州伝を得意とすること甚だしく、世に四谷正宗と称せられた。その糾合した門には、信濃以来の同じ道を歩んだ兄真雄、越後三条より鏡師を廃して入門した栗原信秀、羽州庄内より出府して師の刀債を後に完済した斎藤清人らが連なり、嘉永七年の清麿自刃の後も、その相州復古の手は幕末から明治初年へと伝えられた。 一門を貫く語法は、五百年を遡って相州に通う沸本位の作風にある。やや肌立つ流れごころの板目をよくつめ、地沸を微塵に厚く敷き、地景頻りに入って鉄が冴え、映りはない。その上に互の目乱れに小のたれを交え、沸厚く処々荒めに叢立ち、長い金筋と盛んな砂流しが頻りにかかる覇気ある刃を焼く。帽子は乱れ込み、尖りごころに掃きかけて返る。この共通の地刃の内に、各工の手が分かれる。清麿は志津三郎兼氏を仰いだ志津伝を得意中の得意とし、その地沸・地景の厚さと荒沸の富みにおいて一門を圧して、菖蒲造・冠落造の脇指や短刀に華やかな乱れを見せる。信秀はその志津の調子に最もよく迫った手で、説明書はその技を一門中最も師に迫るものとし、互の目に尖り刃・角互の目を交えて砂流し・金筋を頻りにかけるが、覇気と迫力は師に遠く及ばないとも率直に記す。彼ひとりの見どころは鏡師の修業に発する彫物で、草の倶利迦羅・珠追竜・竜乗り観音など多彩な図柄を刻み、一派中で彫物を伴うのは彼の刀のみである。真雄は寿隆風の丁子に始まって相州伝に転じた弟と同じ展開を辿るが、説明書は地景・砂流し・金筋がやや少なく出来が清麿に及ばないとし、なお優作では地沸厚く強い鍛えを称える。清人は頭の丸い互の目を主調に長い足と豊かな沸を保って師風を忠実に継ぐ一方、清麿には見られぬ大和伝の直刃を独り保ち、よくつんだ小板目に微塵の地沸を敷いて地刃の冴えた直刃を焼く。 鑑定の勘所は、まずこの相州への遡りにある。同時代の新々刀工が備前の丁子や虎徹の詰んだ地鉄を写したのに対し、本一門は地沸・地景厚く荒沸に富み金筋・砂流し頻りなる地刃を、借りものの模様によらずその力強さと明るさによって示す。姿もまた手がかりで、身幅広く元先の幅差少なく、鎬幅狭く平肉つかず、大鋒の延びてふくらの枯れた豪壮な体配が一門独特のものとされる。位列にあって清麿は晩年のあらゆる刀工の中でも最も人気の高い一人で、藤代はこれを最上作とし、真雄を上作、信秀・清人をこれに次ぐ手とする。国宝・重要文化財はなく、その地位は今日の指定の級と僅かな来歴に拠る。来歴は広汎というより確かで歴史に響くもので、清麿の作は岩崎家と静嘉堂文庫、後援者窪田清音、大小を註文した松代藩士、剣客中条金之助の手を経、信秀の片切刃の脇指は将軍慶喜への献上と伝え越後三条の八幡社にも伝わり、清人の一口は亡師の遺志を託されて稜威尾羽張の神号を刻む。多くは伝えられて市場には出ず、在銘の作が世に現れるのは時折に限られるが、年紀を備えたその一口は、相州が江戸に甦った瞬間を語る証として、新々刀を集める者の前に立つ最も報いある手の一つである。

12名の刀工指定132口
主要刀工
刀工時代指定
清麿1839-185452
信秀1857-186734
清人1848-18688
真雄1844-18666
正直1865-18683
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NBTHK鑑定書
Hozon Tōken保存刀剣
Sword Worthy of Preservation
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銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。

NBTHKについて›

日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。

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