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概要·鑑定·栄誉·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定栄誉指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 青江
  3. 古青江
  4. 恒次

Aoe Tsunetsugu

恒次

特重
巻 12, 番 42 · 太刀

Aoe Tsunetsugu

恒次

評価作品13点

御番鍛冶享保名物帳天下五剣
国備中時代Jogen (1207–1211)時代区分鎌倉流派Aoe伝法備前伝代1st師匠Moritsugu藤代Jo-jo saku刀工大鑑2,000(上位2%)種別刀工コードTSU433
3重要文化財
2重要美術品
1御物
1特別重要刀剣6重要刀剣

概要

恒次は備中古青江派を代表する刀工の一人である。古青江は備前に隣る備中の高梁川下流に栄えた古き青江の鍛冶で、平安末以来、その国は刀剣の地として記されてきた。説明書はこれを率直に記す。「恒次は古青江の代表工」であり、一説に守次の子・貞次の弟と伝え、同じ説明は「貞次・次家と共に後鳥羽院番鍛冶に数えられている」と書く。その名は一人の手のものではない。銘振りから見て「古青江にも二、三の同名」があったと鑑せられ、別の説明は「鎌倉期を通じて数工」がこの名を負ったと記すから、公の記録は恒次を一個の伝記ではなく、鎌倉の初めから南北朝へと青江鍛冶の主流として継承された代表的な名跡として扱う。恒次の名を負う名物には、天下五剣の一・日蓮上人護法の太刀として名高い「数珠丸」があり、説明書はこれによってその名が一段と高まると記す。

その直刃は初期青江中もっとも穏やかである。在銘の太刀はひとつの作風に読める。説明書のいう「直刃調に浅く濡れごころ」となる直刃基調の刃で、浅く湾れ、小乱れを、時に小丁子を交える。足・葉が頻りに入り、沸強くよくつき、砂流しがかかって処々金筋を交える。帽子は刃に応じて直ぐに小丸へ返る。静かで均された焼刃であり、青江四工のうちもっとも華やかならぬもので、まずその抑制が手を分かつ。青江の兄弟が乱れを奔らせるところを、彼の刃は焼頭近くに留まり、働きは刃中の足・葉、時の小丁子として収められる。

地鉄は備中の鋼であり、説明書はこれに筆を費やす。在銘のある太刀について、刃中の働きもさることながら「特に地がねが見事である」と書く。やや肌立つ小板目に杢を交え、同派の称する縮緬肌へと詰む(同じ太刀は「縮緬風を呈し」と記される)。細かな地沸が地に厚くつき、地景が入る。多くの作で地は地斑と、一派の澄肌の冴えた部分とに破られ、淡い映りが立つ。大磨上のものでは沸映り、幅広の後代作では鎬寄りに筋状の映りが立つ。少数の作には逆がかりが現れ、裏に逆足や逆丁子をも交えるが、その逆ごころは青江の同族より彼において静かである。総じて、NBTHKが青江の趣と呼ぶ斑なる味わい深い地、「地味ながら味わいの深い同派の作風」である。

その作は、説明書が分けて記す二つの様式に分かれる。第一は在銘の核である。比較的小振りの生ぶあるいは僅かに磨り上げた太刀で、鎬造・腰反り・小鋒に、太鏨の二字銘を負い、その鏨はこれほど太きものは稀と評されるほど大振りである。銘の位置自体が鑑定点であり、説明は銘を佩表に、また佩裏に切る両様があると記し、参考までに、古青江でも正恒を祖とする一門は太刀銘に佩表へ、貞次の一門は佩裏に切ると述べる。第二は大磨上無銘および朱銘の作で、後代の恒次と読まれる。寛文期本阿弥光常の折紙を添えて「青江恒次」と朱書する刀、また二口の無銘重要美術品で、一は鎌倉末期、一は南北朝青江と鑑せられ、名跡の後の端を画す。これに対し説明書は手の多さゆえの疑義に率直で、ある在銘の太刀には「銘文に若干の疑問があり、研究の余地がのこされている」と認める。

説明書はまた、同名との別をも注意深く保つ。その地鉄を称えた同じ説明は「古備前派に同名があり」、共に上手であると記し、古青江の極めは名のみならずその証拠に拠って定まる。NBTHKが青江の掟と呼ぶ大筋違の鑢目、太き二字銘、地斑と澄肌なる地、逆がかる足を交えた均された直刃――これらである。彼の太刀は、他派との対比によってではなく、こうした拠るべき特徴によって広く青江の中に位置づけられる。焼刃の静けさ、縮緬なす備中の地、太き銘が彼の古青江作を分かち、記録は名の覆う鎌倉前期から南北朝に至る同じ手を読む。

藤代の極めでは上々作、刀工大鑑もその作を初期青江の名の上位に位置づける。名に負う指定は高く、太刀一口が特別重要刀剣、ほかに重要刀剣七口、重要文化財三口、戦前の重要美術品二口を無銘の作のうちに数え、加えて朱銘の刀がある。国宝はないから、託して守られる文化財は重要文化財三口であり、取引に関わる評価はその特別重要刀剣と重要の級に拠る。来歴の連なりはかくも古き名に相応しい。諸刀は紀州徳川家・上杉家・土屋家・有馬家、さらに皇室から明治天皇に至る伝来を帯び、寛文八年本阿弥光常の折紙が朱銘の刀の極めを十七世紀に定める。所在の知られるもののうち数口は公の博物館や神社に蔵され、他は永く私蔵される。在銘の古青江恒次が市に現れることは稀で、その特別重要刀剣や重要の一口が現れる時は、古き備中の諸派を慕う者にとって一個の里程標であり、求めるよりは待つべきもの、そして数珠丸そのものは託された文化財として、その中に数えられることはない。

鑑定

古青江の直刃一様の作域を二つの作域で示す。太鏨の二字銘の太刀(生ぶ・磨上、佩表銘と佩裏銘の両様)を中核とし、(伝)青江恒次と極められる大磨上無銘・朱書の刀がその一方をなす。後者は記録が鎌倉末期から南北朝期にかけての名跡の継続と読む

恒次は備中古青江派を代表する刀工の一人で、諸記録に守次の子・貞次の弟と伝え、貞次・次家と共に後鳥羽院番鍛冶に数えられる。その名跡は鎌倉初期より南北朝期にかけて青江鍛冶の主流として続いたとされ、記録は古青江に同名の工が数代存在したと記すので、単一の工ではなく代表的な名跡として扱われる。日蓮上人護法の太刀「名物数珠丸恒次」によってその名は一段と高い。作風は古青江の中で最も穏やかな直刃で、直刃調に浅く濡れごころとなって小乱れ・小丁子を交え、足・葉が頻りに入り、沸がよくつき、鍛えは小板目がやや肌立って杢を交え縮緬風を呈し、地沸・地斑・澄肌に淡い映りの立つ備中の地鉄である。銘は太鏨の二字銘で、佩表に切るものと佩裏に切るものの両様があり、鑢目は大筋違を掟とする。

鑑定の決め手

直刃は一派の基調ながら、恒次のそれは最も穏やかで一貫し、自作の100%が直刃調(直次88%、次直68%、吉次76%)、浅く濡れごころにのたれて小乱れを交え、沸が強くつく

作品の27% ・ 直次(青江)比 0.4倍

作品の27%

銘の作域。二字を殊に太い鏨で切り、特重の太刀は中でも特に鏨太に切られた例とされ、これ程までに鏨の太いものは稀れと記される。位置は佩表に切るものと佩裏に切るものの両様、書体も多様である

作風の変遷

古青江の直刃(縮緬風の地に穏やかで沸づいた直刃調)

太刀は細身で、腰反りが時に深くつき、小鋒で、磨上のものと生ぶのものがある。鍛えは小板目がやや肌立ち、杢を交えて縮緬風を呈し、時に大肌交じりの板目となり、地沸が細かにつき、地斑・澄肌を交え、淡く映りが立つ。地鉄が殊に見事と特筆されるものもある。刃文は直刃調に浅く濡れごころとなって時にのたれ、小乱れに僅かの小丁子を交え、足・葉が頻りに入り、沸が強くよくつき、金筋・砂流しがかかり、下半に打ちのけがかかり、匂口が締まるものもある。帽子は直ぐに小丸。銘は太鏨の二字銘で、鏨が殊に太く、佩表の茎先棟寄りに切るものと佩裏の目釘孔の下に切るものとがあり、鑢目は一派の掟の大筋違である。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
大磨上無銘・朱書の(伝)青江恒次極めの刀— 大磨上無銘の刀(佩表に「御拝領」の金象嵌のもの、寛文八年本阿弥光常折紙に「青江恒次」と朱書のもの)は同じ直刃と備中の地鉄を保ちつつ身幅広く逆がかった匂勝ちの刃を見せる。朱書の刀は鎌倉末期の恒次と極められ、二口の重美無銘(鎌倉後期と南北朝の青江)が名跡の末を画する
在銘の中核(太鏨の二字銘、佩表銘・佩裏銘の両様)— 在銘作は太鏨の二字銘を、佩表の茎先棟寄りに切るもの(特重12-42、重24-283)と佩裏の目釘孔の下に切るもの(重24-284、31-138)の両様がある。記録は古青江でも正恒を祖とするものは太刀銘、貞次一門は佩裏銘を見どころとすると記す
研究

記録の定型の評は、恒次を古青江の代表工とし、守次の子・貞次の弟、貞次・次家と共に後鳥羽院番鍛冶に数え、その名跡が青江鍛冶の主流として南北朝期まで続いたとする。

記録は名跡を数代に読み、銘振りから見て古青江に二、三の同名が存在し、書体も多様で、佩表に切るものと佩裏に切るものの両様があるとして、個銘の極めを慎重に扱う。

古青江では、正恒を祖とするものは太刀銘(佩表)、貞次の一門は佩裏に銘を切るのが見どころと記録は記し、恒次の銘は両様に見られる。

在銘の一太刀には留保が付き、地刃と鑢目に古青江の趣は著しいが、銘文に若干の疑問があり、研究の余地が残されていると記される。

栄誉

御番鍛冶Goban Kaji (Go-Toba's Imperial Forging Rotation)

5月番

後鳥羽上皇が月番で召した刀匠の栄誉。承元〜承久年間(1208〜1221年頃)、御所に結番を作り月毎に作刀させた。流派横断の栄誉であり、各刀匠は本来の流派(粟田口・福岡一文字・古青江など)に属したまま本栄誉を持つ。NS-Gobankajiには上皇自身の菊御作のみが属する。

名簿を見る→
享保名物帳Kyōhō Meibutsu Chō (Catalog of Celebrated Blades)

所載(名物数珠丸恒次)

享保4年(1719年)、本阿弥家が八代将軍徳川吉宗に献上した名物刀剣の台帳。平安〜南北朝の刀剣約274口(現存168口+焼失約80口+追記約26口)を刀工別に収載し、号の由来・寸法・代付・伝来を記す。本栄誉は名物帳に作品が所載される刀工に付与され、詳細欄には刊行集計による口数(正確な場合)または所載名物の号を記す。

天下五剣Tenka Goken (Five Swords Under Heaven)

数珠丸恒次(重要文化財・本興寺)― 伝統的・指定上の作者

天下五剣(童子切安綱・鬼丸国綱・三日月宗近・大典太光世・数珠丸恒次)の作者。五剣はいずれも享保名物帳に個別に所載されるが、「五剣」という括りの初出は文政11年(1828年)の写本『諸家名剣集』(「天下出群之名剣五振之内也」)。数珠丸の作者は古青江恒次(伝統的・指定上)と備前左近将監恒次(近年の研究)で見解が分かれ、両工に本栄誉を付して論点を記録する。

指定

国宝—
重要文化財3
重要美術品2
御物1
特別重要刀剣1
重要刀剣6

名工ランク

0.52 (指定作品13点)

刀工の上位5%

伝来

伝来記録6件 の鑑定作品における Tsunetsugu

伝来ランク

名家所蔵3点、伝来記録6件

刀工の上位18%

素点:2.13 / 10

刀姿

評価作品13点の分布

銘

評価作品13点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Moritsugu
Tsunetsugu
弟子(2名)
  1. 1.貞次Sadatsugu4指定
  2. 2.恒次Tsunetsugu1指定

Aoe派

Aoe派の他の刀工

  1. 1.次直Tsugunao27指定
  2. 2.康次Yasutsugu11指定
  3. 3.直次Naotsugu15指定
  4. 4.包次Kanetsugu9指定
  5. 5.吉次Yoshitsugu1 販売中17指定
  6. 6.助次Suketsugu15指定
  7. 7.守次Moritsugu9指定
  8. 8.正恒Masatsune16指定
  9. 9.爲次Tametsugu6指定
  10. 10.俊次Toshitsugu6指定
  11. 11.守利Moritoshi9指定
  12. 12.次吉Tsuguyoshi16指定