守利は古青江、すなわち高梁川下流域の子位・万寿の地に作刀した備中初期の一派の工で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍し、銘鑑はその年代を鎌倉前期の元仁、すなわち一二二四年頃とする。説明書はその一派における枢要の位置を与え、本工を「守利は、康次・貞次・恒次等と共に古青江を代表する刀工である」と記す。国宝の太刀が本工の二字銘を負い、重要文化財および現代のより高い級もまた之を負うが、現存の在銘作は少なく、その記録は殆ど在銘の太刀であって、生ぶ茎を留めるものが数口あり、本工を知る礎となっている。
その特色ある手は静かなものである。板目に杢を交え、多くは小板目につまってやや肌立ち、説明書がこれを細かに肌立つとする地に、直刃を基調として小乱れ・小丁子・小互の目を交え、時に角がかった刃を交える。足・葉よく入り、小沸つき、細かに金筋・砂流しがかかる。刃文は同時代の備前の華やかな丁子乱れではなく、穏やかな小乱れであって、地味な作では匂口が沈みごころとなる。説明書はこれを隣国古備前に類似するとしつつ、「総じて古備前に比してやや地味ではあるものの、独特の渋い味わいを有する」と評する。
地鉄こそ一派の最もよく語るところである。鍛えはやや肌立って地肌が黒味がかり、古き備中の縮緬肌を呈し、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入り、地面には地斑と澄肌が交じる。暗帯部には不規則な地斑映りが立ち、最上の作では区際より水影が現われる。これは備前の明るい乱れ映りではなく、青江の地斑状の渋い映りであって、説明書はこれを、類似する古備前と本工の作を分かつ地鉄とする。帽子は直ぐに小丸となり、時にやや掃きかける。
その作はほぼ一様式、すなわち在銘の太刀に存し、身幅は細身から幅広に及び、小鋒あるいは詰まり気味の中鋒に結び、腰反り高く踏張りが強い。生ぶ茎の小太刀一口が腰元に梵字を刻して残る。その一様式の中に説明書は最上の一群を画する。最上手の太刀・小太刀では、その言葉に「同派の常以上に鍛えが錬れ」、地沸が微塵に厚くつき、地刃ともに豊かに働き、直刃は地味な作のごとく沈むのではなく匂深く沸厚くつく。ある特別重要刀剣の太刀はこれを出色の出来とし、幅広く姿勇壮にして健体とする。茎は一派の習いを留め、鑢目を大筋違にかけ、銘を佩裏に切り、「利」の字が「守」の字よりやや棟方へ寄る本工自身の鏨を見せる。
その隣国の工と分かつところを説明書は直に挙げる。備前にも守利と切る一派があるが、ある神奈川の太刀はこう極められる。「守利は備前にも同銘があるが、本作は古青江の守利と鑑せられるものである」。その拠り所はまさに本工自身の特徴、すなわち肌立つ縮緬肌、沈みごころの匂口を伴う穏やかな直刃、大筋違の鑢目、佩裏の銘である。冴えた地景と地斑映りを地味な直刃の上に置く点が本工を安次・貞次・恒次らと並ぶ古青江の中に据え、その静かな作風が同時代の華やかな備前と分かつ。説明書は本工の作が一派の見どころをよく示すとし、ある特別重要刀剣の太刀を「古青江の見どころがよく示されている」一口とする。
収集の観点では、稀な初期の名であり、藤代の極めは上作である。その最上の一口は国宝であり、重要文化財・特別重要刀剣・重要刀剣とともに、市場に出るものではなく伝来として守られている。国宝の太刀は橘小次郎友包・大河内家・吉川家を経て伝わり、その作は来歴の確かな旧家・機関に蔵され、熱田神宮・静嘉堂文庫がこれを蔵し、一口は蓮台寺の寺伝を負う。特別重要刀剣・重要刀剣の級は僅かで、保護された作を除けば指定を受けた作はおよそ八口に過ぎず、説明書は現存の在銘作を稀とし、生ぶ茎在銘の作を「現存稀な同作中にあって、生ぶ在銘は資料的にも貴重」とする。私蔵の在銘古青江守利が世に出ることは稀で、その一口に出会うことは注目すべきもの、備中がより輝かしき備前の傍らにいかに鍛えたかを語る静かな証である。