第四十八回の重要刀剣に指定された在銘の太刀は、磨上げて大筋違に鑢をかけた茎の佩裏に太鏨大振りの二字銘「重次」をきり、説明書はこれを古青江の典型と読んで「古青江の特色がよく明示されている」とする。重次は備中国青江派の初期、すなわち古青江の刀工である。説明書は本工を、銘鑑に俊次の子と伝え鎌倉中期の文永(一二六四~七五)頃に置かれる工に該当するとし、ある太刀には「この重次は銘鑑に俊次の子、鎌倉時代中期、文永(一二六四~七五)頃と伝える刀工に該当するであろう」と素直に記す。一派は承安頃の安次を祖と伝え、ほぼ鎌倉中期を降らないものを特に古青江と呼ぶ。説明書はその代表工に守次・為次・次家・恒次・俊次・助次そしてこの重次らを挙げ、その多くが「次」を通字とする。
現存する作は太刀で、細身に姿よく腰反り高く踏張りつき、生ぶ茎を留めるものが数口ある。本工を分かつ手は穏やかなものである。板目に杢を交え、時に小板目つみてやや肌立つ地鉄は、鉄色やや黒く澄肌ごころとなり、青江の地である地斑状の肌合と地斑を交え、地沸細かにつき、最も詳述された作では地中に明瞭な乱れ映りが立つ。その地に対し刃文は穏やかで古調、直刃を基調に浅くのたれ、小互の目・小丁子を交えた小乱れとなる。足・葉よく入り、沸厚く処々一際強くつき、金筋・砂流しが刃中に頻りにかかる。帽子は直ぐに先焼詰め風となって細かに掃きかける。説明書はその出来を古調でよく沸づくとし、働きは大きな丁子の房ではなく小さな逆がかりの刃とその刃中の働きに托されるとする。
地鉄こそ一派の最もよく現われるところである。やや黒い鉄色、澄肌と地斑、縮緬状の肌合は、同時代備前のより明るく澄んだ小板目に対する青江の地であり、説明書はその対比を直に引いて、古青江の作を「総じて同時代の備前物に比べると幾分地味で渋い味わいを醸す」と評する。その地に対し刃文は比較的おだやかにとどまる。説明書は最も詳述された作を「刃文が古調で、よく沸づき」、足・葉や金筋・砂流しの働きを見せると称え、華やかならぬ味わい深い作風とする。
もっとも、その記録のすべてが静かなわけではない。磨上の二字銘の太刀の一口は、匂出来でやや小沸づいた濃密な重花丁子乱れに開き、地鉄は板目やや肌立ちごころに澄肌が現われ映りごころがある。説明書は、穏やかな直刃調の作と引き較べて現存作の銘振りと作風が互いに異なることを指摘し、働きがここではより豊かな丁子乱れに開くとする。この一口は天文十年に福井右京亮惟宗忠能が磨上げた旨の切付銘を留め、初期の手の上に後年の確かな来歴を重ねる。
極めの言うところは、本工を両隣からのみならず、その一派の掟のうちにあっても分かつ。古備前の明るく澄んだ鉄に対し、やや黒い地鉄に澄肌・地斑を交えるのは青江の地と読まれ、また一派の掟に対しても説明書は示唆に富む例外を記す。戦前の重要美術品の三口の太刀はいずれも銘を佩表にきり、説明書はこれを「古青江ながら例外的に太刀銘になっている」とするのに対し、重要刀剣の太刀は通常の古青江の通り銘を佩裏に位置し、茎を大筋違に鑢をかける。銘の位置と鑢目こそ、説明書が古備前と相違する一派の見どころと名指し、極めの拠り所として挙げるところである。本工は青江初期の名工に列し、鎌倉備前の華やかさに対する備中の静かな対極に立つ。
収集の観点では、稀な初期の名であり、藤代の極めは上々作である。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は戦前の重要美術品三口と重要刀剣一口、合わせて四口の指定作を通じ、説明書は現存作を貴重として「現存稀な重次の作例は貴重であり」、しかも「同工を研究する上で資料的価値も高い」とする。その来歴は大名家に確かである。三字「重次作」の太刀は紀州徳川家に伝来して後に本阿弥光遜の所有に帰し、いま一口は徳川家を経て徳川家達に伝わり、さらに一口は神奈川の宮崎富次郎が蔵した。遺例わずかにして在銘の古青江重次が世に出ることは稀であり、私蔵の一口は収集家にとって注目すべきもの、青江一派がその最初期にいかに鍛えたかを語る証として、飾りよりも資料として貴ばれる。