肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
播磨大掾藤原忠國(初代) 流派:肥前刀 時代:新刀 慶安頃(1648-1652年) 鑑定/種別:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣(1994年) 銘:播磨大掾藤原忠國 藤代評価:上作 刀工大鑑評価:600万円 形状:脇差 長さ:50.6 cm(一尺六寸七分) 姿:鎬造 反り:鳥居反り 反り寸:1.2 cm 切先:中切先 切先寸:3.6 cm 棟:庵棟 重ね:6.5 mm 元幅:3.0 cm 先幅:2.4 cm 茎状態:生茎 茎形状:僅かにたなご腹、入山形尻 目釘孔:1個 鑢目:筋違 刃文:沸出来、互の目丁子乱れ。匂口は厚く明るく冴える。足・葉が盛んに入り、金筋・稲妻が頻りに掛かる。刃中働き極めて豊富。 帽子:小丸、肥前特有の短く返る形。明るく冴えた金筋を伴う。 鍛え:小木目肌詰まり、地沸細かくつき、地景現れる。 【解説】 肥前忠國(初代)による傑作脇差です。慶安(1648-1652年)頃に活躍した彼は、肥前刀の研究において欠かせない存在であり、新刀上作の名工として知られています。慶長3年(1598年)に肥前吉家の子として生まれ、初代忠吉の門に学びました。橋本一門として鍋島藩の支藩である小城藩の抱え工を務めています。当初は広則と称していましたが、寛永11年(1634年)に播磨大掾を受領した際に忠國と改名しました。本作は「播磨大掾藤原忠國」と銘打たれた円熟期の作です。元禄4年(1691年)に94歳の長寿を全うしました。 本作は研ぎの状態も万全で、極めて健全、欠点は一切ありません。肌は忠國の真骨頂とも言える小木目肌に地沸が厚くついた精緻な地鉄を見せ、刃文は得意とする沸出来の互の目丁子乱れを焼き、匂口は明るく制御され、金筋をはじめとする働きが鮮やかです。 初代忠國は藤代評価で上作、刀工大鑑で600万円の評価を受け、さらに山田浅右衛門による「技物」にも列せられるなど、その切味の良さでも定評があります。 姿は身幅広く反り適度についた力強い造り込みです。茎は特徴的な「たなご腹」状に尻に向かって僅かに細くなる独特の形状を呈しており、こうした個別の特徴は研究対象としても非常に興味深いものです。また、銘字の「忠」の字の右上の「釣り針」状のハネや、「播磨」の「摩」の字の頭に見られる深い鏨運びなど、初代特有の癖が顕著に現れています。 あらゆる面で理想的な、肥前忠國の生茎在銘の優品です。 付属品:NBTHK 特別保存刀剣鑑定書、金着二重ハバキ、白鞘、刀袋。 最高品質の肥前上作刀です。




















新刀 · 肥前
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肥前派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。 詳しく見る →
肥前 藩営の刀
肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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