大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
重量刀身のみ670gr 出ました出ました大和尻懸則長の刀が出ました。鎌倉時代の大和鍛冶の5派と言われる、千手院、当麻、尻懸、保昌、手掻、の内の尻懸則長は尻懸派の代表刀工としてあまりにも有名です。本刀は尻懸則長の4代目位に当たる室町時代永正頃(1504年)(522年前)の則 長であれば良いなと今は希望銘としておいて下さい。本刀は元に踏ん張りが有り元身幅と先身幅との差の有る反りの有る刀姿を現し、地金は小板目肌良く詰み力強い明るい地金を鍛え、地には元から先まで淡く映りを現し、刃紋は匂い出来に小沸の付いた頭の丸い互の目刃、頭の尖った互の目刃、頭が割れ二つになった互の目刃を交え帽子は直ぐに小丸に返っています。大和尻懸則長の在銘の刀は大和国自体の刀鍛冶が寺院に属し殆どの刀に銘を入れずに出していた為に在銘作は初から少なく本刀は貴重な刀ですがあくまでも希望銘としておいて下さい。この度古い御数寄者のお医者様から自分は則長の刀と信じ大切してきましたが審査にも出しておりませんのでお望みの方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別に超格安にて御提供いたします是非お楽しみ下さいませ。





















大和伝 · 大和
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尻懸派は大和五派の一つであり、則長を事実上の祖として鎌倉時代末期から室町時代にかけて栄えた。則長には文保三年四十八歳、暦応三年六十九歳と行年を切った短刀が現存し、それによって逆算すると文永九年の生まれであることが分かる。同銘の継承は鎌倉末期より室町時代にわたって見られ、『鍛冶銘早見出』は三代を応永、四代を永亨頃としている。同派の祖は則弘と伝えるが、確実な作を見ず、則長が実質的な流派の祖と見做されている。僧兵を抱えた有力寺院が位置する大和鍛冶に薙刀の作が多いのは当然であるが、その中でも尻懸派と鑑せられる薙刀が最も多く、南北朝期の長大な薙刀が生ぶ茎で伝来している例は極めて稀である。 作風は大和物一般に共通する様式を示すが、鎬幅広く鎬筋の高い造込みに、板目が目立って流れる鍛えを見せ、地沸厚くつき、地景頻りに入り、沸映り立つものもある。刃文は直刃基調であるが、直刃調に小互の目が頻りに連れて交じる点に大きな見処と個性がある。刃縁には頻りにほつれ、二重刃・喰違刃・湯走り・打のけ・砂流し・金筋などの働きが見られ、匂口明るく冴える。帽子は乱れ込み、さかんに掃きかけて火炎状となるものや焼詰め風となるものがある。『紛寄論』には「是も多分すぐ焼刃にて当麻とたがひの出来ふできにて紛るる作也、併当麻ほどは地つまらずしてしほ相うすく、位のおとるを以て尻懸と知べし」[[c:1]]とあり、その見方をよく言い尽している。 尻懸派の作は在銘作が少なく、無銘極めとなるものが大半を占めるが、本阿弥家の鑑定によって伝世してきたものが多い。地鉄は板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、総じてよく錬れてつみ、地沸微塵に厚くつき、地景太く頻りに入る。刃文は中直刃調に小互の目が元から先まで連れ、足・葉繁く入り、小沸よくつき、刃縁にほつれ・二重刃・喰違刃・湯走り現われ、金筋・砂流し細かにかかり、光の強い沸が厚くついて明るく冴える。特に小互の目の連れた刃縁に光の強い沸をあしらった喰違刃のかかる状には、徳川本家に伝来し重要美術品の則長在銘作を思わせるものがあり、尻懸派の特色と美点を十二分に現わした作が多く残されている。 詳しく見る →
鎌倉時代の大和
大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
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