国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
刀剣小町 短刀 守光(銘 表 守光) 拵入り (Tanto, Morimitsu) )、反り 0.05cm(1厘強)、元幅 1.85cm、元重ね 0.87cm、目釘孔 2個、刀身重量 131.2g フクラの枯れた、身幅狭く、重ねの厚い、断面が三角形のようになる鎧通しです。茎が、全体のバランスに比して、長く作られている事も特徴です。守光は天文頃、豊後で作刀した刀工です。「豊後国高田住平守光」と切るものや、本作のように「守光」と二字銘に切るものなどがあります。 拵は古いもので、擦れや小傷がありますが経年の落ち着いた色合となり、よく保存されています。 素銅地金着紗綾形文一重ハバキ、拵、拵袋、登録証(大阪府 第127690号 平成弐拾八年六月拾四日交付)





備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の備前
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお届けした商品の状態が、当サイトの写真や説明と著しく異なると、お客様が判断された場合は返品が可能です。但し、返品にかかる送料はお客様のご負担でお願いします。クーリングオフを希望される場合は、商品の到着後1週間以内に書面の郵送にてお申し出ください。商品の返送代金はお客様のご負担となります。

¥380,000
刀剣小町 短刀 守光(銘 表 守光) 拵入り (Tanto, Morimitsu) )、反り 0.05cm(1厘強)、元幅 1.85cm、元重ね 0.87cm、目釘孔 2個、刀身重量 131.2g フクラの枯れた、身幅狭く、重ねの厚い、断面が三角形のようになる鎧通しです。茎が、全体のバランスに比して、長く作られている事も特徴です。守光は天文頃、豊後で作刀した刀工です。「豊後国高田住平守光」と切るものや、本作のように「守光」と二字銘に切るものなどがあります。 拵は古いもので、擦れや小傷がありますが経年の落ち着いた色合となり、よく保存されています。 素銅地金着紗綾形文一重ハバキ、拵、拵袋、登録証(大阪府 第127690号 平成弐拾八年六月拾四日交付)





備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の備前
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお届けした商品の状態が、当サイトの写真や説明と著しく異なると、お客様が判断された場合は返品が可能です。但し、返品にかかる送料はお客様のご負担でお願いします。クーリングオフを希望される場合は、商品の到着後1週間以内に書面の郵送にてお申し出ください。商品の返送代金はお客様のご負担となります。

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