応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
直刃で匂口が締まった好短刀で出来が良い。 拵も傷みがなく、鞘と目釘に渡辺紋がある。






脇物 · 越中 · 1469-1487頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位49%
越中宇多派の国次は、文明十七年十二月日の年紀を刻む在銘の槍によって時代が定まる。この槍は二字銘の刀とともに第十四回重要刀剣に指定され、さらにもう一振の刀が第二十八回に指定されている。説明は第十四回の両作において同じく、「宇多派は文保の頃、大和国宇多郡から移住し、古入道国光を祖としたと伝え、越中国宇多郡で栄えた一派である」[[c:1]]と記す。第二十八回の説明は、一派が新刀にまで及び、室町時代に特に栄えて数多くの刀工が作刀をのこしたことを加えている。
槍は平三角造で、平地の櫃の中に三鈷剣を彫る。鍛えは板目やや肌立ち、地色黒味がかり、刃文は小湾れに互の目乱れ交り、叢沸つき、砂流し頻りにかかる。帽子は乱れこみ、尖りごころに返る。茎は生ぶで、表に作者銘、裏に年紀がある。説明は「この派の槍は現存するものが少く、姿も出来も優れ」[[c:2]]とし、文明の年紀はこの派の研究上貴重であるばかりでなく、室町より時代の上る槍の有銘作をみないことからも貴重であると述べる。
二振の刀は、この派の室町時代の打刀を示す。一振は生ぶ茎で目釘孔を挟んで大振りの二字銘があり、反浅く中鋒、板目肌に沸よくつき、刃文は大乱れに互の目・飛焼交り、小足・葉入り、砂流し頻りにかかり、小沸つき、棟焼頻りにかかる。帽子は乱れこみ、やや長く返り、掃きかける。説明は「この国次は二字銘ながら室町時代のこの派の作として出来がよく、同時代の打刀姿であり、同派の特色が見られる」[[c:3]]と評する。もう一振は身幅広く重ねやや重く、反り浅く大鋒で、表裏に棒樋を掻く。鍛えはやや肌立ってザングリとし、地沸つき地斑ごころ交じり、刃文は互の目に尖り刃・腰開きの互の目交じり、足・葉入り、沸むらにつきこずむ。帽子は少し乱れて先小丸、表裏とも喰違刃交じる。説明は堂々とした姿と地刃の出来を認め、「茎尻が張るのも室町時代の宇多派の特色」[[c:4]]とする。
三作を通じて、国次は室町時代後期の宇多派の工として、肌立つ板目に沸づいた互の目を焼き、砂流しの働きが盛んである。刀には二字銘を切り、年紀のある槍には派名を冠した銘を切っている。
國次の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
脇物 · 越中
時期区分: 宇多· 1390–1596
現在25点販売中
古宇多が南北朝期までの草創を画したのに対し、本区分はその後を承けて室町時代を通じて継続した越中宇多派を扱う。説示によれば、宇多派は鎌倉時代末期の文保頃、大和国宇陀郡から越中に移住した古入道国光を祖とし、南北朝期の国房・国宗・国次らを承けて、同名相継ぎながら室町時代末期に亘って栄えた。南北朝期を降らぬ作を古宇多と呼ぶのに対し、その後のものを宇多と汎称しており、本区分はまさにこの後者にあたる。応永を最古とする国久、初代国光の子と伝える国宗の系、永享から天正に及ぶ国長、永享・永正の国吉、天文頃の平国・真国、さらに国清・友久ら、国の字を冠す諸工が代を重ねて活躍した。元来が大和宇陀郡の出自であるため大和気質を色濃く残しつつ、越中の先達則重や江に倣った相州伝風をも併せ持つのが、北国に根を下ろしたこの一派の地盤である。 後代宇多の作風は、板目に杢を交えて総体に肌立ち、地沸がつき地景が入る鍛えに、かねが黒みをおびて淡く白け映りの立つ点に北国の地方色が顕著に表れる。刃文は中直刃調に小互の目を連れ、小のたれや小尖り刃を交え、匂勝ちに小沸がつき、つぶらな沸を交えて金筋・砂流しがかかり、帽子は先尖りごころに小丸となって長く返るものが多い。応永頃の国久・友久のように小板目がよく錬れて精美に詰み、地刃明るく冴える優品がある一方、室町期に降るにつれて作は定型化し、身幅の割に寸の延びた短刀姿や先反りのつく姿など室町の体配を示すようになる。平国や国長には飛焼・湯走りを交えてやや皆焼状を呈し、覇気迫力に富む作もみえる。総じて、古宇多が相州上工に紛れんばかりの古色と変化を見せたのに対し、後代は肌立ちがやや粗くなり、北陸物らしい黒みのある鉄色が一段と地方色を強める点に差がある。 後代宇多を古宇多と分かつ鑑定の要点は、説示が古色の有無に置く。古宇多が来国光・国次に紛れんばかりの精良さと激しい働きを見せるのに対し、後代は地鉄の黒みと白け映り、肌立ちごころの鍛えに地方色が強まり、茎先の張る茎仕立や国の字の銘振りに見処があるとされる。主要工としては、応永頃の国久・友久を上工とし、国宗・国次・国房はそれぞれ代を重ね、文明・天文の年紀を有する作も存して時代の指標となる。能州笠師に移った国長のように、信国に通う作風を示す傍系もみえる。在銘作は比較的稀で、無銘極めや諸国に伝来した作によって同派の広がりが知られ、富山をはじめ北陸ゆかりの伝来を持つものが少なくない。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。