鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀装具[N.B.T.H.K]Juyo Tousougu No.66 肥後の平田家は正阿弥系であるが此の派の祖、初代彦三は京で細川三斎に仕え、同家の移封に伴って熊本に下向し、寛永十二年同地で歿している。その門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。技術的には正阿弥の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施すなどして、雅趣溢れる装飾性を加えている。鐔姿を切り込みの深いハッ木瓜形とし、陰透とした曜を真円形に意匠として配置し、他工には見られない独特な趣向を放つ如何にも彦三の造形然とした鐔である。加えて本作を鑑みるに肥後平田派が、元来正阿弥の流れより出たことを示唆するような出米口ともいえる。さすがに面取りのなだらかな肉置きが絶妙であり、端的な意匠ゆえに技術の高さが十分に窺える一枚である。周囲を八曜、刀の入る中心を一曜に見立てた九曜であるが、細川家に伝来する同手の作が永青文庫所蔵品として知られ、彦三の独特な世界観を表す傑作として古来知られた名鐔である。日本を代表する刀装具蒐集家として知られる藤井学氏に旧蔵されていた。 参考資料 九曜透鐔 細川家伝来 永青文庫蔵
肥後の平田家は、正阿弥系であるが、此の派の祖、 初代彦三は京で細川三斎に仕え、同家の移封に伴って熊本に下向し、寛永十二年同地で 歿している。その門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。技術的には正阿弥 の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、 象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施すなどして、 雅趣溢れ 装飾性を加えている。 鐔姿を切り込みの深い八ッ木瓜形とし、陰透とした曜を真円形に意匠として配置し、独特な趣向を放つ如何にも彦三の造形然とした鐔である。 加えて本作を鑑みるに肥後平田派が、元来正阿弥の流れより出たことを示唆するような出来口ともいえる。さすがに面取りのなだらかな肉置き が絶妙であり、端的な意匠ゆえに技術の高さが十分に窺える一枚である。
無銘 · Hirata · 江戸



















彦三
江戸
肥後
無銘
重要 #66 (NBTHK)
肥後の平田家は、正阿弥系であるが、此の派の祖、 初代彦三は京で細川三斎に仕え、同家の移封に伴って熊本に下向し、寛永十二年同地で 歿している。その門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。技術的には正阿弥 の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、 象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施すなどして、 雅趣溢れ 装飾性を加えている。 鐔姿を切り込みの深い八ッ木瓜形とし、陰透とした曜を真円形に意匠として配置し、独特な趣向を放つ如何にも彦三の造形然とした鐔である。 加えて本作を鑑みるに肥後平田派が、元来正阿弥の流れより出たことを示唆するような出来口ともいえる。さすがに面取りのなだらかな肉置き が絶妙であり、端的な意匠ゆえに技術の高さが十分に窺える一枚である。
肥後 · 肥後
現在5点販売中
平田彦三は、肥後金工の祖として知られる刀装具師である。正阿弥系の出自で、初代彦三は京において細川三斎(忠興)に仕え、後に細川家の移封に伴い丹後、小倉を経て熊本へと下向し、寛永十二年(1635年)に同地で没した。彦三の門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎といった名工が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成するに至った。細川三斎の指導を受け、武人好みの実用性と格調高い美術性を兼ね備えた作風を確立した。
彦三の作風は、正阿弥の伝統を多く継承している点が特徴である。素材には鉄地もみられるが、山銅、真鍮、赤銅などの色金を多用し、象嵌の技術に加え、阿弥陀鑢や翁鑢を施すことで雅趣溢れる装飾性を加えている。地鉄は「彦三がね」と呼称される独特の深みのある色合いを呈し、味わい深い変化を見せる。鑢目は翁鑢が多用され、その出来栄えは評価が高い。作風としては、左右対称の意匠や、洲浜、笠、蕨手、枡といったモチーフを透かし彫りで表現することが多く、中には唐人笠の透かしなど南蛮文化の影響を感じさせるものもある。また、七宝象嵌を施した作も稀にみられ、その技術の高さが窺える。覆輪にも特色があり、小田原覆輪と呼ばれる特殊な覆輪を創始したことで知られる。小田原覆輪は、山銅、真鍮、赤銅など様々な素材が用いられ、中には黒四分一を用いたものもみられる。また、縄目覆輪を施した作例も存在する。漆を効果的に使用し、長い年月を経ることで鐔と馴染み、深い味わいを醸し出す点も彦三作品の魅力の一つである。
彦三の刀装具は、その格調高い美意識と洗練された技術により高く評価されている。「雅趣溢れる装飾性」[[c:1]]「閑寂にして荘厳な世界」[[c:2]]「古雅さと優美さ、そして華麗さが同居」[[c:3]]「時代性と野趣の中にも優雅さが同居」[[c:4]]「寂の風雅」といった言葉が、その作風を特徴づけるものとして説示に繰り返し見られる。彦三の作品は、単なる刀装具としてだけでなく、茶道の精神にも通じる侘び寂びの世界観を表現したものとして、高く評価されている。肥後金工の祖として、後世に多大な影響を与えたことは疑いなく、その作品は現在もなお多くの人々を魅了し続けている。
彦三の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在10点販売中
平田派は、桃山時代の平田道仁を始祖とする七宝象嵌を家芸とする刀装金工の一派である。道仁は通称を彦四郎といい、京都の出身で、七宝技術は朝鮮より学んだと伝えられている。慶長年間に徳川家康に召し出されて駿府から江戸に移り住み、以後代々徳川幕府の抱え工として江戸に邸宅を賜わり十人扶持を給せられた。当時の七宝は桃山芸術の豪華美を刀装具の上に表現するものとして時代の嗜好に合致し、伏見城や聚楽第の建築金具等にも用いられ、新鮮な工芸美として大いに注目された。平田家はその道仁に始まり、代々の嫡子が彦四郎を通称とし、明治時代に入ってからは家伝の七宝技術を以て金鵄勲章をはじめとする日本国の勲章製作に貢献している。 平田派の作風は、初代道仁とその初期の代が最も得意とした富嶽図をはじめとする七宝象嵌作品に顕著に見られる。泥七宝の豊かで締まった肉置きと匂うばかりの卓越した色彩効果を特色とし、純白の新雪を頂いた富士山や連峰を七宝据文象嵌にて表し、麓には富貴を象徴する岩などを金線象嵌や金七宝にて加飾している。また、唐花唐草文や松竹鶴亀文などの吉祥文を緻密な金線泥七宝でカラフルに表現し、桃山時代の豪華な趣と清新さを基調とした雅の意匠を見事に具現している。鐔においては鉄石目地に金線七宝象嵌を施し、甲冑師風の鋤残土手耳とやわらかさが感じられる平肉との調和により、桃山の香りが生きた古香のある美しさを達成している。江戸時代初期の作品には金の薄板を象嵌してそれを七宝で表した所謂金七宝象嵌が見られ、透明度の高い緑色七宝に白、赤、黄などの色で織りなす独特の美しさを呈している。 平田家の七宝技術は一子相伝として代々厳重に継承され、江戸時代を通じて幕府御用達の地位を保持した。五代就門あたりから七宝を用いない作品も僅かに見られるようになり、八代春就は同じ幕府御用達の安田家で学んでおり、惣金魚子地に銀据紋の技法や銀を容彫にした作品なども制作している。また、肥後細川家の抱え金工として活動した平田彦三のように、分派として地方大名家に仕えた工人も存在した。九代就将は長島侯からの用命により封内の名産品である白魚を題材に三所物を制作するなど、実用的な需要にも応えており、その写実的な表現と技量の高さが示された作品を遺している。平田派の作品は初代から四代までは在銘が極めて少なく、通称のみの銘も多いため代別の決定が困難なものもあるが、七宝象嵌の技術と品格の高さを具備した作品として高く評価されている。
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀装具[N.B.T.H.K]Juyo Tousougu No.66 肥後の平田家は正阿弥系であるが此の派の祖、初代彦三は京で細川三斎に仕え、同家の移封に伴って熊本に下向し、寛永十二年同地で歿している。その門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。技術的には正阿弥の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施すなどして、雅趣溢れる装飾性を加えている。鐔姿を切り込みの深いハッ木瓜形とし、陰透とした曜を真円形に意匠として配置し、他工には見られない独特な趣向を放つ如何にも彦三の造形然とした鐔である。加えて本作を鑑みるに肥後平田派が、元来正阿弥の流れより出たことを示唆するような出米口ともいえる。さすがに面取りのなだらかな肉置きが絶妙であり、端的な意匠ゆえに技術の高さが十分に窺える一枚である。周囲を八曜、刀の入る中心を一曜に見立てた九曜であるが、細川家に伝来する同手の作が永青文庫所蔵品として知られ、彦三の独特な世界観を表す傑作として古来知られた名鐔である。日本を代表する刀装具蒐集家として知られる藤井学氏に旧蔵されていた。 参考資料 九曜透鐔 細川家伝来 永青文庫蔵
肥後の平田家は、正阿弥系であるが、此の派の祖、 初代彦三は京で細川三斎に仕え、同家の移封に伴って熊本に下向し、寛永十二年同地で 歿している。その門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。技術的には正阿弥 の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、 象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施すなどして、 雅趣溢れ 装飾性を加えている。 鐔姿を切り込みの深い八ッ木瓜形とし、陰透とした曜を真円形に意匠として配置し、独特な趣向を放つ如何にも彦三の造形然とした鐔である。 加えて本作を鑑みるに肥後平田派が、元来正阿弥の流れより出たことを示唆するような出来口ともいえる。さすがに面取りのなだらかな肉置き が絶妙であり、端的な意匠ゆえに技術の高さが十分に窺える一枚である。
無銘 · Hirata · 江戸



















彦三
江戸
肥後
無銘
重要 #66 (NBTHK)
肥後の平田家は、正阿弥系であるが、此の派の祖、 初代彦三は京で細川三斎に仕え、同家の移封に伴って熊本に下向し、寛永十二年同地で 歿している。その門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。技術的には正阿弥 の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、 象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施すなどして、 雅趣溢れ 装飾性を加えている。 鐔姿を切り込みの深い八ッ木瓜形とし、陰透とした曜を真円形に意匠として配置し、独特な趣向を放つ如何にも彦三の造形然とした鐔である。 加えて本作を鑑みるに肥後平田派が、元来正阿弥の流れより出たことを示唆するような出来口ともいえる。さすがに面取りのなだらかな肉置き が絶妙であり、端的な意匠ゆえに技術の高さが十分に窺える一枚である。
肥後 · 肥後
現在5点販売中
平田彦三は、肥後金工の祖として知られる刀装具師である。正阿弥系の出自で、初代彦三は京において細川三斎(忠興)に仕え、後に細川家の移封に伴い丹後、小倉を経て熊本へと下向し、寛永十二年(1635年)に同地で没した。彦三の門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎といった名工が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成するに至った。細川三斎の指導を受け、武人好みの実用性と格調高い美術性を兼ね備えた作風を確立した。
彦三の作風は、正阿弥の伝統を多く継承している点が特徴である。素材には鉄地もみられるが、山銅、真鍮、赤銅などの色金を多用し、象嵌の技術に加え、阿弥陀鑢や翁鑢を施すことで雅趣溢れる装飾性を加えている。地鉄は「彦三がね」と呼称される独特の深みのある色合いを呈し、味わい深い変化を見せる。鑢目は翁鑢が多用され、その出来栄えは評価が高い。作風としては、左右対称の意匠や、洲浜、笠、蕨手、枡といったモチーフを透かし彫りで表現することが多く、中には唐人笠の透かしなど南蛮文化の影響を感じさせるものもある。また、七宝象嵌を施した作も稀にみられ、その技術の高さが窺える。覆輪にも特色があり、小田原覆輪と呼ばれる特殊な覆輪を創始したことで知られる。小田原覆輪は、山銅、真鍮、赤銅など様々な素材が用いられ、中には黒四分一を用いたものもみられる。また、縄目覆輪を施した作例も存在する。漆を効果的に使用し、長い年月を経ることで鐔と馴染み、深い味わいを醸し出す点も彦三作品の魅力の一つである。
彦三の刀装具は、その格調高い美意識と洗練された技術により高く評価されている。「雅趣溢れる装飾性」[[c:1]]「閑寂にして荘厳な世界」[[c:2]]「古雅さと優美さ、そして華麗さが同居」[[c:3]]「時代性と野趣の中にも優雅さが同居」[[c:4]]「寂の風雅」といった言葉が、その作風を特徴づけるものとして説示に繰り返し見られる。彦三の作品は、単なる刀装具としてだけでなく、茶道の精神にも通じる侘び寂びの世界観を表現したものとして、高く評価されている。肥後金工の祖として、後世に多大な影響を与えたことは疑いなく、その作品は現在もなお多くの人々を魅了し続けている。
彦三の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在10点販売中
平田派は、桃山時代の平田道仁を始祖とする七宝象嵌を家芸とする刀装金工の一派である。道仁は通称を彦四郎といい、京都の出身で、七宝技術は朝鮮より学んだと伝えられている。慶長年間に徳川家康に召し出されて駿府から江戸に移り住み、以後代々徳川幕府の抱え工として江戸に邸宅を賜わり十人扶持を給せられた。当時の七宝は桃山芸術の豪華美を刀装具の上に表現するものとして時代の嗜好に合致し、伏見城や聚楽第の建築金具等にも用いられ、新鮮な工芸美として大いに注目された。平田家はその道仁に始まり、代々の嫡子が彦四郎を通称とし、明治時代に入ってからは家伝の七宝技術を以て金鵄勲章をはじめとする日本国の勲章製作に貢献している。 平田派の作風は、初代道仁とその初期の代が最も得意とした富嶽図をはじめとする七宝象嵌作品に顕著に見られる。泥七宝の豊かで締まった肉置きと匂うばかりの卓越した色彩効果を特色とし、純白の新雪を頂いた富士山や連峰を七宝据文象嵌にて表し、麓には富貴を象徴する岩などを金線象嵌や金七宝にて加飾している。また、唐花唐草文や松竹鶴亀文などの吉祥文を緻密な金線泥七宝でカラフルに表現し、桃山時代の豪華な趣と清新さを基調とした雅の意匠を見事に具現している。鐔においては鉄石目地に金線七宝象嵌を施し、甲冑師風の鋤残土手耳とやわらかさが感じられる平肉との調和により、桃山の香りが生きた古香のある美しさを達成している。江戸時代初期の作品には金の薄板を象嵌してそれを七宝で表した所謂金七宝象嵌が見られ、透明度の高い緑色七宝に白、赤、黄などの色で織りなす独特の美しさを呈している。 平田家の七宝技術は一子相伝として代々厳重に継承され、江戸時代を通じて幕府御用達の地位を保持した。五代就門あたりから七宝を用いない作品も僅かに見られるようになり、八代春就は同じ幕府御用達の安田家で学んでおり、惣金魚子地に銀据紋の技法や銀を容彫にした作品なども制作している。また、肥後細川家の抱え金工として活動した平田彦三のように、分派として地方大名家に仕えた工人も存在した。九代就将は長島侯からの用命により封内の名産品である白魚を題材に三所物を制作するなど、実用的な需要にも応えており、その写実的な表現と技量の高さが示された作品を遺している。平田派の作品は初代から四代までは在銘が極めて少なく、通称のみの銘も多いため代別の決定が困難なものもあるが、七宝象嵌の技術と品格の高さを具備した作品として高く評価されている。
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません