平田金工 鍔(TS0 46) 平田派の後代による、やや大振りな一枚です。 銅地に銀の瓢箪を配し、耳は赤銅で仕立てられています。 耳には意図的と思われる凹みが三箇所施されておりますが、その真意は定かではありません。一説には、暗闇の中で刃の向きを瞬時に判別するための工夫とも言われています。 保存状態は極めて良好です。 寸法:7.5 cm x 7 cm x 4 mm 無銘(平田)



平田派
江戸
肥後 · 肥後
現在13点販売中
平田派は、桃山時代の平田道仁を始祖とする七宝象嵌を家芸とする刀装金工の一派である。道仁は通称を彦四郎といい、京都の出身で、七宝技術は朝鮮より学んだと伝えられている。慶長年間に徳川家康に召し出されて駿府から江戸に移り住み、以後代々徳川幕府の抱え工として江戸に邸宅を賜わり十人扶持を給せられた。当時の七宝は桃山芸術の豪華美を刀装具の上に表現するものとして時代の嗜好に合致し、伏見城や聚楽第の建築金具等にも用いられ、新鮮な工芸美として大いに注目された。平田家はその道仁に始まり、代々の嫡子が彦四郎を通称とし、明治時代に入ってからは家伝の七宝技術を以て金鵄勲章をはじめとする日本国の勲章製作に貢献している。 平田派の作風は、初代道仁とその初期の代が最も得意とした富嶽図をはじめとする七宝象嵌作品に顕著に見られる。泥七宝の豊かで締まった肉置きと匂うばかりの卓越した色彩効果を特色とし、純白の新雪を頂いた富士山や連峰を七宝据文象嵌にて表し、麓には富貴を象徴する岩などを金線象嵌や金七宝にて加飾している。また、唐花唐草文や松竹鶴亀文などの吉祥文を緻密な金線泥七宝でカラフルに表現し、桃山時代の豪華な趣と清新さを基調とした雅の意匠を見事に具現している。鐔においては鉄石目地に金線七宝象嵌を施し、甲冑師風の鋤残土手耳とやわらかさが感じられる平肉との調和により、桃山の香りが生きた古香のある美しさを達成している。江戸時代初期の作品には金の薄板を象嵌してそれを七宝で表した所謂金七宝象嵌が見られ、透明度の高い緑色七宝に白、赤、黄などの色で織りなす独特の美しさを呈している。 平田家の七宝技術は一子相伝として代々厳重に継承され、江戸時代を通じて幕府御用達の地位を保持した。五代就門あたりから七宝を用いない作品も僅かに見られるようになり、八代春就は同じ幕府御用達の安田家で学んでおり、惣金魚子地に銀据紋の技法や銀を容彫にした作品なども制作している。また、肥後細川家の抱え金工として活動した平田彦三のように、分派として地方大名家に仕えた工人も存在した。九代就将は長島侯からの用命により封内の名産品である白魚を題材に三所物を制作するなど、実用的な需要にも応えており、その写実的な表現と技量の高さが示された作品を遺している。平田派の作品は初代から四代までは在銘が極めて少なく、通称のみの銘も多いため代別の決定が困難なものもあるが、七宝象嵌の技術と品格の高さを具備した作品として高く評価されている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
Three day, no penalty, inspection on every item. Returns must be in the same condition as shipped. Actual costs will be charged on returned items. No restocking fee. If you did not like the item is a good enough reason for return.
平田金工 鍔(TS0 46) 平田派の後代による、やや大振りな一枚です。 銅地に銀の瓢箪を配し、耳は赤銅で仕立てられています。 耳には意図的と思われる凹みが三箇所施されておりますが、その真意は定かではありません。一説には、暗闇の中で刃の向きを瞬時に判別するための工夫とも言われています。 保存状態は極めて良好です。 寸法:7.5 cm x 7 cm x 4 mm 無銘(平田)



平田派
江戸
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平田派は、桃山時代の平田道仁を始祖とする七宝象嵌を家芸とする刀装金工の一派である。道仁は通称を彦四郎といい、京都の出身で、七宝技術は朝鮮より学んだと伝えられている。慶長年間に徳川家康に召し出されて駿府から江戸に移り住み、以後代々徳川幕府の抱え工として江戸に邸宅を賜わり十人扶持を給せられた。当時の七宝は桃山芸術の豪華美を刀装具の上に表現するものとして時代の嗜好に合致し、伏見城や聚楽第の建築金具等にも用いられ、新鮮な工芸美として大いに注目された。平田家はその道仁に始まり、代々の嫡子が彦四郎を通称とし、明治時代に入ってからは家伝の七宝技術を以て金鵄勲章をはじめとする日本国の勲章製作に貢献している。 平田派の作風は、初代道仁とその初期の代が最も得意とした富嶽図をはじめとする七宝象嵌作品に顕著に見られる。泥七宝の豊かで締まった肉置きと匂うばかりの卓越した色彩効果を特色とし、純白の新雪を頂いた富士山や連峰を七宝据文象嵌にて表し、麓には富貴を象徴する岩などを金線象嵌や金七宝にて加飾している。また、唐花唐草文や松竹鶴亀文などの吉祥文を緻密な金線泥七宝でカラフルに表現し、桃山時代の豪華な趣と清新さを基調とした雅の意匠を見事に具現している。鐔においては鉄石目地に金線七宝象嵌を施し、甲冑師風の鋤残土手耳とやわらかさが感じられる平肉との調和により、桃山の香りが生きた古香のある美しさを達成している。江戸時代初期の作品には金の薄板を象嵌してそれを七宝で表した所謂金七宝象嵌が見られ、透明度の高い緑色七宝に白、赤、黄などの色で織りなす独特の美しさを呈している。 平田家の七宝技術は一子相伝として代々厳重に継承され、江戸時代を通じて幕府御用達の地位を保持した。五代就門あたりから七宝を用いない作品も僅かに見られるようになり、八代春就は同じ幕府御用達の安田家で学んでおり、惣金魚子地に銀据紋の技法や銀を容彫にした作品なども制作している。また、肥後細川家の抱え金工として活動した平田彦三のように、分派として地方大名家に仕えた工人も存在した。九代就将は長島侯からの用命により封内の名産品である白魚を題材に三所物を制作するなど、実用的な需要にも応えており、その写実的な表現と技量の高さが示された作品を遺している。平田派の作品は初代から四代までは在銘が極めて少なく、通称のみの銘も多いため代別の決定が困難なものもあるが、七宝象嵌の技術と品格の高さを具備した作品として高く評価されている。 詳しく見る →
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