T112. Iron sukashi, ex Skip Holbrook collection. Skip’s tag said (the tag is missing), “Higo, Hirata Hikozo tagane signed, Hosokawa mon, early Edo.” Another knowledgeable collector looked at this and he said, “Old, 15th century, Tosho/Katchushi/Shoami.” Whatever it is, it is fine. 7.5 x 7.6 x .3 cm with a hint of tekkotsu on the mimi; excellent condition. $250.










彦三
江戸
肥後
在銘
肥後 · 肥後
現在7点販売中
平田彦三は、肥後金工の祖として知られる刀装具師である。正阿弥系の出自で、初代彦三は京において細川三斎(忠興)に仕え、後に細川家の移封に伴い丹後、小倉を経て熊本へと下向し、寛永十二年(1635年)に同地で没した。彦三の門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎といった名工が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成するに至った。細川三斎の指導を受け、武人好みの実用性と格調高い美術性を兼ね備えた作風を確立した。
彦三の作風は、正阿弥の伝統を多く継承している点が特徴である。素材には鉄地もみられるが、山銅、真鍮、赤銅などの色金を多用し、象嵌の技術に加え、阿弥陀鑢や翁鑢を施すことで雅趣溢れる装飾性を加えている。地鉄は「彦三がね」と呼称される独特の深みのある色合いを呈し、味わい深い変化を見せる。鑢目は翁鑢が多用され、その出来栄えは評価が高い。作風としては、左右対称の意匠や、洲浜、笠、蕨手、枡といったモチーフを透かし彫りで表現することが多く、中には唐人笠の透かしなど南蛮文化の影響を感じさせるものもある。また、七宝象嵌を施した作も稀にみられ、その技術の高さが窺える。覆輪にも特色があり、小田原覆輪と呼ばれる特殊な覆輪を創始したことで知られる。小田原覆輪は、山銅、真鍮、赤銅など様々な素材が用いられ、中には黒四分一を用いたものもみられる。また、縄目覆輪を施した作例も存在する。漆を効果的に使用し、長い年月を経ることで鐔と馴染み、深い味わいを醸し出す点も彦三作品の魅力の一つである。
彦三の刀装具は、その格調高い美意識と洗練された技術により高く評価されている。「雅趣溢れる装飾性」[[c:1]]「閑寂にして荘厳な世界」[[c:2]]「古雅さと優美さ、そして華麗さが同居」[[c:3]]「時代性と野趣の中にも優雅さが同居」[[c:4]]「寂の風雅」といった言葉が、その作風を特徴づけるものとして説示に繰り返し見られる。彦三の作品は、単なる刀装具としてだけでなく、茶道の精神にも通じる侘び寂びの世界観を表現したものとして、高く評価されている。肥後金工の祖として、後世に多大な影響を与えたことは疑いなく、その作品は現在もなお多くの人々を魅了し続けている。
彦三の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在13点販売中
平田派は、桃山時代の平田道仁を始祖とする七宝象嵌を家芸とする刀装金工の一派である。道仁は通称を彦四郎といい、京都の出身で、七宝技術は朝鮮より学んだと伝えられている。慶長年間に徳川家康に召し出されて駿府から江戸に移り住み、以後代々徳川幕府の抱え工として江戸に邸宅を賜わり十人扶持を給せられた。当時の七宝は桃山芸術の豪華美を刀装具の上に表現するものとして時代の嗜好に合致し、伏見城や聚楽第の建築金具等にも用いられ、新鮮な工芸美として大いに注目された。平田家はその道仁に始まり、代々の嫡子が彦四郎を通称とし、明治時代に入ってからは家伝の七宝技術を以て金鵄勲章をはじめとする日本国の勲章製作に貢献している。 平田派の作風は、初代道仁とその初期の代が最も得意とした富嶽図をはじめとする七宝象嵌作品に顕著に見られる。泥七宝の豊かで締まった肉置きと匂うばかりの卓越した色彩効果を特色とし、純白の新雪を頂いた富士山や連峰を七宝据文象嵌にて表し、麓には富貴を象徴する岩などを金線象嵌や金七宝にて加飾している。また、唐花唐草文や松竹鶴亀文などの吉祥文を緻密な金線泥七宝でカラフルに表現し、桃山時代の豪華な趣と清新さを基調とした雅の意匠を見事に具現している。鐔においては鉄石目地に金線七宝象嵌を施し、甲冑師風の鋤残土手耳とやわらかさが感じられる平肉との調和により、桃山の香りが生きた古香のある美しさを達成している。江戸時代初期の作品には金の薄板を象嵌してそれを七宝で表した所謂金七宝象嵌が見られ、透明度の高い緑色七宝に白、赤、黄などの色で織りなす独特の美しさを呈している。 平田家の七宝技術は一子相伝として代々厳重に継承され、江戸時代を通じて幕府御用達の地位を保持した。五代就門あたりから七宝を用いない作品も僅かに見られるようになり、八代春就は同じ幕府御用達の安田家で学んでおり、惣金魚子地に銀据紋の技法や銀を容彫にした作品なども制作している。また、肥後細川家の抱え金工として活動した平田彦三のように、分派として地方大名家に仕えた工人も存在した。九代就将は長島侯からの用命により封内の名産品である白魚を題材に三所物を制作するなど、実用的な需要にも応えており、その写実的な表現と技量の高さが示された作品を遺している。平田派の作品は初代から四代までは在銘が極めて少なく、通称のみの銘も多いため代別の決定が困難なものもあるが、七宝象嵌の技術と品格の高さを具備した作品として高く評価されている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
3-day return window from receipt.
T112. Iron sukashi, ex Skip Holbrook collection. Skip’s tag said (the tag is missing), “Higo, Hirata Hikozo tagane signed, Hosokawa mon, early Edo.” Another knowledgeable collector looked at this and he said, “Old, 15th century, Tosho/Katchushi/Shoami.” Whatever it is, it is fine. 7.5 x 7.6 x .3 cm with a hint of tekkotsu on the mimi; excellent condition. $250.










彦三
江戸
肥後
在銘
肥後 · 肥後
現在7点販売中
平田彦三は、肥後金工の祖として知られる刀装具師である。正阿弥系の出自で、初代彦三は京において細川三斎(忠興)に仕え、後に細川家の移封に伴い丹後、小倉を経て熊本へと下向し、寛永十二年(1635年)に同地で没した。彦三の門下からは、志水甚五(甥)、西垣勘四郎といった名工が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成するに至った。細川三斎の指導を受け、武人好みの実用性と格調高い美術性を兼ね備えた作風を確立した。
彦三の作風は、正阿弥の伝統を多く継承している点が特徴である。素材には鉄地もみられるが、山銅、真鍮、赤銅などの色金を多用し、象嵌の技術に加え、阿弥陀鑢や翁鑢を施すことで雅趣溢れる装飾性を加えている。地鉄は「彦三がね」と呼称される独特の深みのある色合いを呈し、味わい深い変化を見せる。鑢目は翁鑢が多用され、その出来栄えは評価が高い。作風としては、左右対称の意匠や、洲浜、笠、蕨手、枡といったモチーフを透かし彫りで表現することが多く、中には唐人笠の透かしなど南蛮文化の影響を感じさせるものもある。また、七宝象嵌を施した作も稀にみられ、その技術の高さが窺える。覆輪にも特色があり、小田原覆輪と呼ばれる特殊な覆輪を創始したことで知られる。小田原覆輪は、山銅、真鍮、赤銅など様々な素材が用いられ、中には黒四分一を用いたものもみられる。また、縄目覆輪を施した作例も存在する。漆を効果的に使用し、長い年月を経ることで鐔と馴染み、深い味わいを醸し出す点も彦三作品の魅力の一つである。
彦三の刀装具は、その格調高い美意識と洗練された技術により高く評価されている。「雅趣溢れる装飾性」[[c:1]]「閑寂にして荘厳な世界」[[c:2]]「古雅さと優美さ、そして華麗さが同居」[[c:3]]「時代性と野趣の中にも優雅さが同居」[[c:4]]「寂の風雅」といった言葉が、その作風を特徴づけるものとして説示に繰り返し見られる。彦三の作品は、単なる刀装具としてだけでなく、茶道の精神にも通じる侘び寂びの世界観を表現したものとして、高く評価されている。肥後金工の祖として、後世に多大な影響を与えたことは疑いなく、その作品は現在もなお多くの人々を魅了し続けている。
彦三の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在13点販売中
平田派は、桃山時代の平田道仁を始祖とする七宝象嵌を家芸とする刀装金工の一派である。道仁は通称を彦四郎といい、京都の出身で、七宝技術は朝鮮より学んだと伝えられている。慶長年間に徳川家康に召し出されて駿府から江戸に移り住み、以後代々徳川幕府の抱え工として江戸に邸宅を賜わり十人扶持を給せられた。当時の七宝は桃山芸術の豪華美を刀装具の上に表現するものとして時代の嗜好に合致し、伏見城や聚楽第の建築金具等にも用いられ、新鮮な工芸美として大いに注目された。平田家はその道仁に始まり、代々の嫡子が彦四郎を通称とし、明治時代に入ってからは家伝の七宝技術を以て金鵄勲章をはじめとする日本国の勲章製作に貢献している。 平田派の作風は、初代道仁とその初期の代が最も得意とした富嶽図をはじめとする七宝象嵌作品に顕著に見られる。泥七宝の豊かで締まった肉置きと匂うばかりの卓越した色彩効果を特色とし、純白の新雪を頂いた富士山や連峰を七宝据文象嵌にて表し、麓には富貴を象徴する岩などを金線象嵌や金七宝にて加飾している。また、唐花唐草文や松竹鶴亀文などの吉祥文を緻密な金線泥七宝でカラフルに表現し、桃山時代の豪華な趣と清新さを基調とした雅の意匠を見事に具現している。鐔においては鉄石目地に金線七宝象嵌を施し、甲冑師風の鋤残土手耳とやわらかさが感じられる平肉との調和により、桃山の香りが生きた古香のある美しさを達成している。江戸時代初期の作品には金の薄板を象嵌してそれを七宝で表した所謂金七宝象嵌が見られ、透明度の高い緑色七宝に白、赤、黄などの色で織りなす独特の美しさを呈している。 平田家の七宝技術は一子相伝として代々厳重に継承され、江戸時代を通じて幕府御用達の地位を保持した。五代就門あたりから七宝を用いない作品も僅かに見られるようになり、八代春就は同じ幕府御用達の安田家で学んでおり、惣金魚子地に銀据紋の技法や銀を容彫にした作品なども制作している。また、肥後細川家の抱え金工として活動した平田彦三のように、分派として地方大名家に仕えた工人も存在した。九代就将は長島侯からの用命により封内の名産品である白魚を題材に三所物を制作するなど、実用的な需要にも応えており、その写実的な表現と技量の高さが示された作品を遺している。平田派の作品は初代から四代までは在銘が極めて少なく、通称のみの銘も多いため代別の決定が困難なものもあるが、七宝象嵌の技術と品格の高さを具備した作品として高く評価されている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
3-day return window from receipt.