説明

薩摩元平 刀 販売中 鑑定書:特別貴重刀剣 元平(初代) 寛政(1789-1801年頃) 薩摩 銘文: 「薩陽士元平」 「薩府武臣水上住奥氏元平」 「薩陽士奥孝左衛門平元平」 「奥大和守朝臣元平」 「薩藩臣奥元平」 「薩州大和守平朝臣元平」 「薩陽士大和守元平造」 「薩陽鹿児島臣奥大和守平朝臣元平」 本名を奥孝左衛門、また次郎兵衛とも称す。延享元年(1744年)十月三十一日、奥元長の長男として生まれる。安永六年(1777年)七月十一日、父の没後約一ヶ月を経て奥家の家督を相続。天明五年(1785年)には薩摩藩工となり「薩藩臣」の銘を許される。寛政元年(1789年)十二月一日に大和守を受領。文政九年(1826年)七月十三日、八十三歳で没した。 元平は主に相州伝を焼くが、その作域は非常に幅広く、作刀に対する並々ならぬ意欲と情熱が多様な解釈となって作品に現れている。 体配は、身幅広く先があまり細らず、重ね厚く平肉が豊かにつく、反りの浅い豪壮な姿を基本とする。晩年の優美な姿はむしろ例外と言える。身幅が広い場合でも、鎬地を狭く残すのが特徴である。 地鉄は、緻密で判然としない小板目に大肌や薩摩鉄(薩摩肌)が混じり、地沸が荒くつき、時に湯走りが見られる。鎬地は無地風となる。 刃文は、荒めの沸を主調とし、細い焼き出しから始まり、先に向かって刃幅を広げ沸も強くなる。物内部辺りで最も沸が荒くなり、地へこぼれて地沸となる。 初期には直刃や湾れ乱れといった穏やかな刃も焼くが、天明以降は薩摩刀らしい華やかな大互の目乱れへと変遷する。厚い沸出来に匂口深く、沸で構成された尖り刃を交え、刃中には砂流しや芋蔓などの働きが盛んに入る。 帽子は小丸、乱れ込み、あるいは一枚風となり、いずれも沸が強くつく。 樋を掻いたものも多く、彫物を伴うこともある。 茎は比較的長く、形状はたなご腹となり、刃上がり栗尻(あるいは剣形尻)、鑢目は筋違。銘は太刀銘に切ることが多く、茎尻の最下部に一、二本の横割(化粧鑢)を施すものが見受けられる。

Satsuma Motohira katana
Tokubetsu Kichō歴史的認定(1982年以前)

Satsuma Motohira katana

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刀工

Motohira

流派

Sōshū

時代

Tenmei (1781-1789)

作者について

Satsuma Motohira元平

38 重要刀剣

奥元平、通称奥孝左衛門は、奥元直の嫡男として延享元年に生まれた。父に鍛刀を学んで夙に出藍の誉があり、明和年間より作刀を見、安永八・九年頃より急に作刀が多くなる。説明書は本工を一つの繰り返される併称で位置づける。「伯耆守正幸と並んで薩摩新々刀の双璧」と称えられ、正幸より十一歳の後輩である。銘そのものがその経歴を写し、安永・天明初めは「薩陽士元平」、天明五年以後は「薩藩臣奥元平」、寛政元年に大和守を受領して後は「奥大和守平朝臣元平」と切るものが多い。作歴は長く、歿年の文政九年、八十三歳の年紀と行年を切る作さえある。 本領は、説明書が本工得意の相州伝と称する身幅広く堂々たる刀である。体配は身幅広く平肉豊かに中鋒延び、刃文は浅いのたれ調の互の目乱れに尖りごころの刃を交え、時に腰開きの尖り刃となり、あるいは大互の目に広がる。匂深く、沸厚く強くつき荒沸を交え、これに頻りな砂流しと長い金筋がかかる。これが薩摩で芋蔓と称される沸の流れ筋であり、ある一口について説明書は、金筋が太く入って「芋蔓状の沸筋」を見せると記す。尖り刃と流れる蔓とが、丁子にあらず荒い沸に読む相州伝であり、本工を認める背骨である。 下地の地鉄は終始変らぬところである。よく練れた板目、多くは小板目つみて流れ肌を交え、地沸厚く地景入り、最上の作では明るく冴える。その上で帽子は乱れ込みあるいは直ぐに小丸に返り、先を掃きかけて最も覇気のある作では火焰風となる。説明書が茎そのものに鑑定点として挙げる一つの見どころがある。茎は殆んど生ぶで、舟形風に先を細くし剣形に近い茎先となり、その仕立が終生変らないと記し、太鏨の大振りの長銘を切り行年を添えるものが多い。 記録は時期で明らかに分かれる。前期、安永から天明初めの作は、相州伝の手が現れる前の、より穏やかな作風として読まれる。浅いのたれ調の刃、時に広直刃が浅いのたれに湾れ、匂深く沸よくつき匂口明るく冴える。説明書はこれに名を与え、天明五年の作を前期作に見る真改風の浅いのたれ調とし、天明二年の作を同工の前期作に見られる大阪新刀の真改風の出来とする。下地の地沸厚い板目は、すでに本領に持ち込む鉄であり、前期の直刃は同じ手を静かに保ったもので、別の伝ではない。またしばしば弟の元武・元安と合作し、彼らの単独銘は極めて少なく技も長兄に及ばないと説明書は記すが、二人・三人の合作銘が残りそれ自体貴重とされ、その出来は単独銘のものと変るところがない。 同国の中で本工を位置づけるのは、まさに極めの言う併称と説明書の立ち返る手である。まず年長の同郷の工正幸に対して読まれ、両者は薩摩新々刀の双璧として併べられる。そして説明書は同じ描写に立ち返る。その作刀は一般に「身幅が広く、堂々とした」ものが多く、互の目乱れを得意として荒沸を交え華やかであり、そして「相州伝を得意」とされる工である。明るく匂深い互の目に尖り刃を交え、流れる芋蔓と火焰風の帽子とが、他と分かつ本工自身の描かれた見どころであり、借りものの比較ではない。本工は奥家の筆頭に立ち、この系の薩摩新々刀を読む手である。 収集の観点では、本工は薩摩末期の屈指の名であり、藤代の極めは上々作である。国宝はなく、重要文化財もない。現代の指定は重要刀剣の級を通じ、二十六口がこの級にあり、安永から歿年に及ぶ作歴にわたって殆んど生ぶ・在銘で、一口は松江松平家の伝来を持つ。指定を受けた作の多くは、私蔵のものを含めて取引されず保たれており、本工得意の相州伝の在銘の良品が市に出るのは時に、そして忍んで初めてであり、出た際には収集家にとって相応のものである。本工の作は、古伝の固く保たれた遺産に比べては、一流の新々刀の名工の中では比較的見出しやすいが、年紀と行年を切った覇気のある相州伝の刀はなお節目の収集であり、薩摩の学が末期の頂に至った証である。

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