肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
美しく緻密で、ベルベットのような小糠肌の地鉄と、明るく冴えた小互の目刃文。その最高傑作は、しばしば初代や三代忠吉の作と見紛うほどの名工による一振りです。 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により保存刀剣として正式に鑑定された、肥前国八代忠吉による格調高い脇差をご紹介いたします。非常によく研磨され、健全な状態で保存されたこの刀身は、古典的な肥前刀の精髄を体現しています。忠吉家における「四柱」の一人として初代、二代、三代と並び称される八代忠吉は、その技量が極めて洗練されていたため、彼の傑作はしばしば流派の祖である名工たちの作と比較されます。 刀工について — 肥前国八代忠吉 忠吉家は九代にわたり、佐賀藩の有力な鍋島家の御用鍛冶を独占的に務めました。その中でも、八代忠吉は独自の崇高な地位を占めています。幕末期に活動した彼は、作刀の傍らで大砲や軍艦の製造にも携わり、佐賀藩の技術的近代化において重要な役割を果たしました。 藩主からの信頼も厚く、しばしば御前鍛冶に招かれました。初代、二代(近江大掾)、三代(陸奥守)と並び、肥前刀の「四柱」の一人と目される彼の職人技は非常に研ぎ澄まされており、その最高傑作は伝説的な初代や三代忠吉の作と見間違われることも少なくありません。 出来映えと状態 入念に研磨され、優れた状態にあり、地・刃ともに極めて健全です。地鉄は最高品質の肥前刀に特有の小糠肌を呈し、美しく緻密で均質、そしてベルベットのような質感を見せています。刃文は明るく冴えた小互の目で、広く澄んだ匂口の中に、足や葉といった活発な働きが豊富に見られます。 姿 長さ45.9 cmという十分な長さに、1.2 cmの優美な反りを備えた、均衡の取れた鎬造の脇差です。元幅33.6 mmという力強い幅から先幅21.8 mmへと優雅に変化し、手に取った際には圧倒的な存在感を放ちつつも、上品でバランスの取れた姿を見せています。 外装(白鞘) 刀身は清潔で質の高い伝統的な白鞘に収められており、その清浄な鋼と優れた研磨を長期にわたって鑑賞・展示できるよう保護されています。 伝説的な肥前国八代忠吉による、鑑定済みの名品を入手できる稀有で素晴らしい機会です。見事な小糠肌、冴えた刃文、そして日本美術刀剣保存協会の保存刀剣鑑定書を備えたこの一振りは、あらゆる優れた日本刀コレクションの白眉となることでしょう。
Certificate reading — 銘 肥前国忠吉










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新刀 · 肥前 · 1830-1844頃
藤代 中上作 · 刀剣大鑑 上位76%
現在4点販売中
新刀 · 肥前
現在107点販売中
肥前派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。 詳しく見る →
肥前 藩営の刀
肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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