説明

商品詳細 特別貴重刀剣 無銘(信国) 価格:お問い合わせください 購入のお問い合わせ 登録証 島根県 昭和36年11月6日交付 時代 室町前期〜中期 法量 刃長:63.7cm(二尺一寸二厘) 反り:1.6cm(五分三厘) 目釘孔:3個 元幅:28.2mm 先幅:22.0mm 元重:5.0mm 先重:4.0mm 裸身重量:522g 信国は山城国の刀工で、京鍛冶の名門です。二代目了戒の子、あるいは孫とも、また二代目了戒の弟・国久の子とする説もありますが、詳細は判然としません。南北朝期の初代から室町中期の六代まで続き、同銘の工が数代存在します。 本刀は無銘ながら信国と極められた一振りです。刃文は互の目、肌は板目。映りも現れており、反りは京物に多く見られる輪反り(鳥居反り)となっております。表裏に二筋樋を掻き通しており、信国と言われれば「なるほど」と頷ける出来映えです。信国で互の目乱れが目立つのは応永以降であり、掃き掛け風の帽子も特徴が一致することから、その年代の信国と鑑定されたものと推測されます。茎は磨上げながら、三つある目釘孔とともに錆色が良く、確かに室町中期の作であると感じさせます。 ……とはいえ、写真ではこの錆色の良さが十分に伝わらないのが心苦しいところです。惜しむらくは古研ぎのため、地鉄がやや見えにくい点でしょうか。 外装には大変上質な黒呂漆塗鞘打刀拵が付属します。漆が透けて小豆色を帯び始めた鞘に、時代の深みを感じます。この拵の品格を一段と高めているのは、獅子で揃えた出来の良い金具と鍔です。 一番の見どころは金無垢の目貫です。目貫だけでじっくりと鑑賞したいところですが、時代の柄を解くわけには参りません。柄糸越しに見ても、表情豊かで細密な仕事がお分かりいただけるはずです。 赤銅の縁頭金具もそれに引けを取らない見事な出来映えです。銘がありますが、これについては首肯しかねます。こうした優品に後から銘が切られるのは無銘金具の悲しい性ですので、あくまで出来の良さをご評価いただければと思います。鍔は鉄地、切羽と鎺は金着。若干の鍔鳴りがありますが、この素晴らしい拵のオリジナリティを損なうような調整は避けるべきと考え、そのままにしております。薄い切羽を一枚添えれば、鍔鳴りは解消いたします。 古研ぎのため、ヒケや薄錆、鞘に若干の傷がございます。詳細は写真にてご確認いただけますと幸いです。

特別貴重刀剣 無銘(信国)
Tokubetsu Kichō歴史的認定(1982年以前)

特別貴重刀剣 無銘(信国)

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刀工

Nobukuni

流派

Yamashiro

時代

Muromachi

仕様

長さ

63.7 cm

反り

1.6 cm

元幅

2.82 cm

先幅

2.2 cm

流派について

Nobukuni School信国派

2 重要刀剣

信国派は山城国京都に興った名門で、その流れは南北朝時代に遡る。一派の祖と仰がれる信国は了戒系の京鍛冶で、血脈の上では来の伝統を承けながら、修業の上では相州貞宗の門に入って貞宗三哲の一人に数えられた。来の系譜と相州伝という二つの根がこの一門の作のすべてを導く。銘鑑は祖を建武に置くが、説明書はこれを繰り返し退ける。建武年間の作は残らず、現存最古の延文・貞治の年紀作が貞宗に直結することから、本会は延文・貞治の工をもって初代と見做す。南北朝の末期には永徳・至徳・明徳の代替りの信国が続き、同銘数工があったと見られる。室町初期には左衛門尉・式部丞を冠する応永信国が栄え、これを通常三代と数える。一派は後に豊前へ、さらに筑前へ移り、慶長の頃より明治初年まで福岡藩黒田家の抱え鍛冶として吉貞・吉政・吉次・吉包・重包の代々を出し、新々刀期まで栄えた。 一派に通う語法は、まず地鉄に現れる。鍛えは杢を交えた板目で、刃寄りに流れて柾となりやや肌立ち、地沸を厚くとり地景が頻りに入り、よくつんだ作には淡い沸映りが立つ。刃寄りに流れる鍛えは了戒系の所伝を首肯せしめる証とされ、厚い地沸と頻りの地景は貞宗に学んだ相州伝の痕跡として読まれる。刃文は文様の如何を問わず沸で焼かれ、砂流し・金筋が絶えず働き、匂口は明るい。その作域は二様を基とする。一つは来派の伝統を示した直刃で、中直刃・細直刃に小沸つき、細かにほつれ喰違刃・二重刃ごころを交えて京物の格調を伝える。いま一つは貞宗風ののたれ乱れで、小のたれに互の目・小互の目を交え、足・葉入り、沸厚く明るく、刃縁にほつれ湯走りがかかり、最も多く出会う作域をなす。帽子はのたれ込みまたは乱れ込んで小丸となり掃きかける。御家芸とも言うべき濃密な彫物も貞宗譲りで、梵字・素剣・護摩箸・三鈷剣・倶利迦羅を重ね彫りにし、刀身に八幡大菩薩の神号を切る作もあって、彫物によって一門を見分けうる。代を下ると差異が明瞭となる。南北朝末期の後代は一派に初めて太刀を生み、二様に加えて互の目主調の乱れ刃を新たに見せ、互の目が二つ宛連れたものを腰の低い小のたれで繋ぐ矢筈状の刃を見どころとする。応永信国は左衛門尉が「国」の字のクニ構えの中を左字に作る点を大きな鑑別点とし、直刃と互の目乱れの双方に冴えた沸を宿す。筑前に移った吉包・重包は相州伝の志向と、流れ肌の乱れ映りを伴う一派の丁子乱れとを高い技倆で並べ持ち、重包は名物写しの名手として石堂風に紛う華やかな丁子を、地沸・地景・刃中の沸の顕著さによって石堂と分かった。 鑑定の勘所は明快である。刃寄りに流れる柾がかった肌、厚い地沸と頻りの地景、沸で焼いた直刃と貞宗風ののたれ乱れ、重ね彫りの宗教彫物が一門を束ね、相州の同門とも後世の備前丁子とも分かつ拠りどころとなる。無銘極めも代の弁別も延文三年紀の作との照合によって決せられ、後代は連れ互の目と矢筈刃で、応永信国は逆字の銘で、筑前の工は流れ肌の乱れ映りで読み分けられる。藤代の極めは初代信国を上々作とし、後代から応永信国まで京古刀の上位に列し、筑前の吉包・重包は地方新刀の堅実な工として上作の評を得る。在銘作は祖において短刀・小脇指に限られて稀であり、それゆえ年紀のある後代の太刀・薙刀は何よりの好資料として貴ばれる。伝来は大名家と社寺に厚く、黒田家・浅野家・山内家・佐竹家らの蔵刀に加え、本願寺名物や富士山本宮浅間大社に奉納された式部丞の脇指がある。上位指定の多くは公私の蔵に秘められて市に現れず、在銘の信国が世に出ること自体が稀であって、現れた時は南北朝以来の山城物の蒐集で特筆すべき機会となる。

刀剣商

Katana Yamadaiya

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