日本刀 脇差 — 備前小反り / 鞘書:備前国倫光(貞治頃) 本作は、南北朝時代後期の備前国で活躍した長船系の一派「備前小反り」と極められた、格調高い古刀の脇差です。日本美術刀剣保存協会(日刀保)の鑑定書が付属しております。小反り派は、兼光、長義、元重、守景といった備前主流の巨匠たちから、後の応永備前へと繋がる重要な変遷期を担いました。その作風は貞治から応永にかけて展開され、板目に木目が交じり、地沸がつき、映りが現れる地鉄に、小湾れ、互目、小互目、尖り刃、そして控えめな丁子風の足が入る刃文を特色とします。 さらに本作の鞘書には「備前国倫光」との銘があり、兼光の子として貞治年間の作である旨が記されています。日刀保の鑑定では「備前小反り」と堅実な極めがなされていますが、この鞘書は兼光門下というより具体的な伝承を今に伝えています。倫光は南北朝時代を代表する備前長船の名工の一人であり、その作風は師である兼光に酷似することで知られます。日刀保の解説によれば、倫光は14世紀半ばに太刀、短刀、そして平造りの寸延び脇差などを残しており、鞘書にある「貞治(1362-1368)」という年代は、まさに南北朝の動乱期と合致したものです。この時期の備前刀は、豪壮な姿、変化に富んだ地鉄、そして力強くも気品ある刃文を大きな見どころとしています。 日刀保による「備前小反り」の極めと、名工「倫光」へと繋げる鞘書の存在は、本作の魅力をより一層深いものにしています。鑑定書が南北朝後期の備前伝としての確かな地位を保証する一方で、鞘書は兼光系譜の中でも屈指の実力者との関連性を示唆しています。学術的な深みと愛刀家としての蒐集価値を兼ね備えた、備前伝の優品です。








































備前伝 · 備前
現在21点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
日本刀 脇差 — 備前小反り / 鞘書:備前国倫光(貞治頃) 本作は、南北朝時代後期の備前国で活躍した長船系の一派「備前小反り」と極められた、格調高い古刀の脇差です。日本美術刀剣保存協会(日刀保)の鑑定書が付属しております。小反り派は、兼光、長義、元重、守景といった備前主流の巨匠たちから、後の応永備前へと繋がる重要な変遷期を担いました。その作風は貞治から応永にかけて展開され、板目に木目が交じり、地沸がつき、映りが現れる地鉄に、小湾れ、互目、小互目、尖り刃、そして控えめな丁子風の足が入る刃文を特色とします。 さらに本作の鞘書には「備前国倫光」との銘があり、兼光の子として貞治年間の作である旨が記されています。日刀保の鑑定では「備前小反り」と堅実な極めがなされていますが、この鞘書は兼光門下というより具体的な伝承を今に伝えています。倫光は南北朝時代を代表する備前長船の名工の一人であり、その作風は師である兼光に酷似することで知られます。日刀保の解説によれば、倫光は14世紀半ばに太刀、短刀、そして平造りの寸延び脇差などを残しており、鞘書にある「貞治(1362-1368)」という年代は、まさに南北朝の動乱期と合致したものです。この時期の備前刀は、豪壮な姿、変化に富んだ地鉄、そして力強くも気品ある刃文を大きな見どころとしています。 日刀保による「備前小反り」の極めと、名工「倫光」へと繋げる鞘書の存在は、本作の魅力をより一層深いものにしています。鑑定書が南北朝後期の備前伝としての確かな地位を保証する一方で、鞘書は兼光系譜の中でも屈指の実力者との関連性を示唆しています。学術的な深みと愛刀家としての蒐集価値を兼ね備えた、備前伝の優品です。








































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小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。