Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 I don't know my limits right now, but I'll try as much as I can." 佐藤義照は文政十一年京都の生まれ。荒木東明に学び、後に佐藤東峰の弟子となって修行し、二十四歳の時佐藤家の女婿となった。佐藤家は伏見宮家へ出入りして帯刀を許されている家柄であり、義照は孝明天皇の太刀の彫刻を拝命し製作した功績がある。 一乗派の鉄鐔に見られる広狭変化に富んだ鋤残し耳に縁取られた本作。棚引く雲間から冴え冴えと輝く銀象嵌の月が照らすのは、ぶつかり合う激しい波。波頭の先端が上へ上へと伸びる無数の手のようにも見える。金銀の布目象嵌を散り置いた裏面を砂子や切箔を置いた料紙に見立て、流麗な書体で刻されたのは、「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」江戸時代初期の陽明学者 熊沢蕃山の詠んだとされる和歌である。大阪正宗と尊称された刀匠井上真改の名付け親でもある蕃山は、真改とは陽明学者中江藤樹の同門であり、藤樹の没後は師でもあった。備前岡山藩主池田光政に仕え、治山・治水、救民に治績をあげるが、幕政を批判したとして晩年は古河藩預かりの蟄居謹慎処分となり古河で病死した。蕃山が再び脚光を浴びることになったのが幕末動乱の時代。蕃山の思想と行動は島津斉彬、佐久間象山、西郷隆盛、吉田松陰ら時代を動かす原動力となった人々に多大な影響を与えた。時は正に佐藤義照の活躍期と重なる。この鐔にこの歌を彫らせたのは一体誰だったのであろうか。

義照
江戸
山城
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫
現在2点販売中
佐藤義照(さとう よしてる)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて京都で活躍した金工家である。旧姓は能勢氏、文化十一年に京都で生まれた。後藤一乗門下の荒木東明に学び、さらに後藤光文に入門したとされる。その後、佐藤東峰の女婿となり、佐藤家の名跡を継いだ。佐藤家は伏見宮家に出入りを許され帯刀を許された家柄であり、その出自が作風にも影響を与えている。東吟亭と号し、自ら謡曲を好んだ。
義照の作風は、花鳥、水竜、三番叟、節分、春宮人物など、意匠に高い品格が感じられる点が特徴である。赤銅魚子地を高彫色絵で飾る作が多く、象嵌も用いる。写生風の構図を取り、きめ細かな魚子地に端正な高彫色絵を随所に駆使するなど、技術の高さが窺える。大小鐔を多く手掛け、隅入木瓜形や丸形など、形状も多様である。作銘には「東吟亭義照」と銘を切るほか、「惶福亭義照」と銘したものも現存する。また、「洛鴨水東岸居」と居所を冠した銘も見られる。
義照の作品は、その意匠、彫技ともに高い品格を備えていると評価されている。京風の洗練された雅趣が特徴であり、総体に清雅な趣に包まれた上品な作が多い。重要刀装の指定を受けている作品には、秋草落雁図、四季花鳥図、式三番能道具図などが見られ、いずれも義照の持味を十分に示している。構図、彫技ともに京風で洗練味が高く、同作中屈指の出来映えを示すものも存在する。
義照の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · Kyoto
現在29点販売中
一乗派は、後藤家の掉尾を飾る名工後藤一乗を中心として、幕末から明治にかけて京都に展開した金工の一門である。一乗は寛政三年に後藤家の分家七郎右衛門家四代重乗の子として生まれ、九歳で謙乗の養子となり、十一歳で半左衛門亀乗について彫技を学び、十五歳で家督を相続した。はじめ光貨・光行・光代と名乗ったが、文政七年、三十四歳の時に光格天皇の御剣金具を制作した功により法橋に叙せられて一乗と号し、さらに文久二年には光明天皇の御太刀金具を手がけ、翌年法眼に進んだ。その門下には、船田一琴・今井永武・橋本一至・中川一匠・和田一真の俊英が輩出し「五虎」と称せられ、実弟の光覧や荒木東明らとともに、当代屈指の活況を呈する工房を形成した。 一門の作風は、まず緻密な赤銅魚子地を共有の基盤とする。なかでも一乗の魚子は「絹目魚子」と呼ばれる温順緻密な地がねを特色とし、一匠の「絹魚子」もこれに連なる。その地の上に高彫を主とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅などの色金を駆使した色絵・象嵌によって絵画的な図様を構築する点が、流派一貫の標識である。一乗は家彫の掟物たる竜・獅子の伝統を踏まえつつ、これを写生に転じて草花・虫・鳥・風景を品格高く彫り出し、一門の方向を定めた。この画趣は門下に広く受け継がれ、永武は四季の草花を多彩な色金で濃密華麗に仕上げ、一至は師に最も近しい細緻な花鳥図を得意とした。一琴は深浅自在の甲鋤彫において他の追随を許さず、一乗をして「我が及ばざるところ」[[c:1]]と嘆ぜしめ、竜の図に力感を示した。東明は京都の画家林蘭雅とともに粟穂の彫刻を考案し、立体的にこぼれんばかりの風情をあらわして独壇場をなした。一真は写実の動物表現に長じ、一匠は淡い消し象嵌や砂子象嵌に雅趣を凝らし、光覧は兄一乗に類しつつ細やかな風情で仕上げた。鐔の造込みや雲・波の表現、縁頭の鑢などにも師の特色が顕著であり、表裏に異なる地金を用いる昼夜鐔や、四季・故事・吉祥に取材した大小揃金具・総金具の大作が、この一門の高い技量を端的に示している。 一乗派の意義は、繊細緻密な彫技と高い品格とを兼備した点にある。御家彫たる後藤流の美点を近代的に昇華させたその作風は、典雅・流麗・格調高しと評され、門下に忠実に伝えられた。一琴の作は師に迫るものとされ、永武の草花図は後藤一乗の流れの特色を十全にあらわし、一至の作は「殆んど一乗とえらぶところのない優品」[[c:2]]と称えられた。高彫・片切彫・甲鋤彫・象嵌・色絵に至る金工技法を総合的に体現するこの一門は、後藤家伝統の最後の開花を示すものであり、その作の多くは今日重要刀装具に指定され、なお高く評価されている。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 I don't know my limits right now, but I'll try as much as I can." 佐藤義照は文政十一年京都の生まれ。荒木東明に学び、後に佐藤東峰の弟子となって修行し、二十四歳の時佐藤家の女婿となった。佐藤家は伏見宮家へ出入りして帯刀を許されている家柄であり、義照は孝明天皇の太刀の彫刻を拝命し製作した功績がある。 一乗派の鉄鐔に見られる広狭変化に富んだ鋤残し耳に縁取られた本作。棚引く雲間から冴え冴えと輝く銀象嵌の月が照らすのは、ぶつかり合う激しい波。波頭の先端が上へ上へと伸びる無数の手のようにも見える。金銀の布目象嵌を散り置いた裏面を砂子や切箔を置いた料紙に見立て、流麗な書体で刻されたのは、「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」江戸時代初期の陽明学者 熊沢蕃山の詠んだとされる和歌である。大阪正宗と尊称された刀匠井上真改の名付け親でもある蕃山は、真改とは陽明学者中江藤樹の同門であり、藤樹の没後は師でもあった。備前岡山藩主池田光政に仕え、治山・治水、救民に治績をあげるが、幕政を批判したとして晩年は古河藩預かりの蟄居謹慎処分となり古河で病死した。蕃山が再び脚光を浴びることになったのが幕末動乱の時代。蕃山の思想と行動は島津斉彬、佐久間象山、西郷隆盛、吉田松陰ら時代を動かす原動力となった人々に多大な影響を与えた。時は正に佐藤義照の活躍期と重なる。この鐔にこの歌を彫らせたのは一体誰だったのであろうか。

義照
江戸
山城
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫
現在2点販売中
佐藤義照(さとう よしてる)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて京都で活躍した金工家である。旧姓は能勢氏、文化十一年に京都で生まれた。後藤一乗門下の荒木東明に学び、さらに後藤光文に入門したとされる。その後、佐藤東峰の女婿となり、佐藤家の名跡を継いだ。佐藤家は伏見宮家に出入りを許され帯刀を許された家柄であり、その出自が作風にも影響を与えている。東吟亭と号し、自ら謡曲を好んだ。
義照の作風は、花鳥、水竜、三番叟、節分、春宮人物など、意匠に高い品格が感じられる点が特徴である。赤銅魚子地を高彫色絵で飾る作が多く、象嵌も用いる。写生風の構図を取り、きめ細かな魚子地に端正な高彫色絵を随所に駆使するなど、技術の高さが窺える。大小鐔を多く手掛け、隅入木瓜形や丸形など、形状も多様である。作銘には「東吟亭義照」と銘を切るほか、「惶福亭義照」と銘したものも現存する。また、「洛鴨水東岸居」と居所を冠した銘も見られる。
義照の作品は、その意匠、彫技ともに高い品格を備えていると評価されている。京風の洗練された雅趣が特徴であり、総体に清雅な趣に包まれた上品な作が多い。重要刀装の指定を受けている作品には、秋草落雁図、四季花鳥図、式三番能道具図などが見られ、いずれも義照の持味を十分に示している。構図、彫技ともに京風で洗練味が高く、同作中屈指の出来映えを示すものも存在する。
義照の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · Kyoto
現在29点販売中
一乗派は、後藤家の掉尾を飾る名工後藤一乗を中心として、幕末から明治にかけて京都に展開した金工の一門である。一乗は寛政三年に後藤家の分家七郎右衛門家四代重乗の子として生まれ、九歳で謙乗の養子となり、十一歳で半左衛門亀乗について彫技を学び、十五歳で家督を相続した。はじめ光貨・光行・光代と名乗ったが、文政七年、三十四歳の時に光格天皇の御剣金具を制作した功により法橋に叙せられて一乗と号し、さらに文久二年には光明天皇の御太刀金具を手がけ、翌年法眼に進んだ。その門下には、船田一琴・今井永武・橋本一至・中川一匠・和田一真の俊英が輩出し「五虎」と称せられ、実弟の光覧や荒木東明らとともに、当代屈指の活況を呈する工房を形成した。 一門の作風は、まず緻密な赤銅魚子地を共有の基盤とする。なかでも一乗の魚子は「絹目魚子」と呼ばれる温順緻密な地がねを特色とし、一匠の「絹魚子」もこれに連なる。その地の上に高彫を主とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅などの色金を駆使した色絵・象嵌によって絵画的な図様を構築する点が、流派一貫の標識である。一乗は家彫の掟物たる竜・獅子の伝統を踏まえつつ、これを写生に転じて草花・虫・鳥・風景を品格高く彫り出し、一門の方向を定めた。この画趣は門下に広く受け継がれ、永武は四季の草花を多彩な色金で濃密華麗に仕上げ、一至は師に最も近しい細緻な花鳥図を得意とした。一琴は深浅自在の甲鋤彫において他の追随を許さず、一乗をして「我が及ばざるところ」[[c:1]]と嘆ぜしめ、竜の図に力感を示した。東明は京都の画家林蘭雅とともに粟穂の彫刻を考案し、立体的にこぼれんばかりの風情をあらわして独壇場をなした。一真は写実の動物表現に長じ、一匠は淡い消し象嵌や砂子象嵌に雅趣を凝らし、光覧は兄一乗に類しつつ細やかな風情で仕上げた。鐔の造込みや雲・波の表現、縁頭の鑢などにも師の特色が顕著であり、表裏に異なる地金を用いる昼夜鐔や、四季・故事・吉祥に取材した大小揃金具・総金具の大作が、この一門の高い技量を端的に示している。 一乗派の意義は、繊細緻密な彫技と高い品格とを兼備した点にある。御家彫たる後藤流の美点を近代的に昇華させたその作風は、典雅・流麗・格調高しと評され、門下に忠実に伝えられた。一琴の作は師に迫るものとされ、永武の草花図は後藤一乗の流れの特色を十全にあらわし、一至の作は「殆んど一乗とえらぶところのない優品」[[c:2]]と称えられた。高彫・片切彫・甲鋤彫・象嵌・色絵に至る金工技法を総合的に体現するこの一門は、後藤家伝統の最後の開花を示すものであり、その作の多くは今日重要刀装具に指定され、なお高く評価されている。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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