戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
日本刀 短刀 銘 兼氏(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 【解説】 本作は室町時代後期(文明年間頃)、美濃国(現在の岐阜県)にて打たれた兼氏の銘を冠する短刀です。兼氏は、優れた打刃物の産地として名高い関を拠点に活躍しました。その作風は、戦乱の世において実戦的かつ革新的な設計で名を馳せた「美濃伝」の精髄を今に伝える優品です。本作の作者は、志津三郎兼氏から数えて後代にあたりますが、先達が築き上げた伝統と高度な技術を忠実に継承し、さらに洗練させています。 室町後期は、応仁の乱(1467-1477)を契機に日本中が混沌に陥り、群雄割拠の戦国時代へと突入した激動の時代でした。絶え間ない戦火の中で、実用性に富んだ良質な刀剣への需要は飛躍的に高まり、美濃国はその一大生産拠点となりました。この時代の兼氏の作品は、日本刀が持つ芸術性を保ちつつも、時代の要請に応じた機能美と信頼性を兼ね備えているのが特徴です。 ■初代兼氏について 初代兼氏は鎌倉時代に活躍した名工で、相州伝の完成者である正宗の門下「正宗十哲」の一人に数えられます。後に美濃国へ移り住み、相州伝の技術に地元の伝統を融合させることで「美濃伝」の基礎を築きました。その強靭で鋭利な作風は後世の模範となり、本作の作者を含む室町時代の兼氏一派へと受け継がれていきました。 ■美濃伝 美濃伝は、戦国時代の圧倒的な武器需要を背景に、他の伝系を凌駕するほどの繁栄を極めました。その要因の一つに、地理的な優位性が挙げられます。美濃を治めた明智光秀、尾張の織田信長、そして隣国駿河を拠点とした徳川家康など、有力な戦国大名たちの勢力圏に隣接していました。 また、関東と京の都を結ぶ要所に位置していたため、諸国の武将にとって注文がしやすく、その実戦本位の設計と切れ味の鋭さは全国に鳴り響きました。こうした高度な鍛錬技術は代々伝承され、戦国が終焉した後も「兼定」や「兼元」といった名工を輩出し続けました。 ■彫物 本作の刀身には、表裏に見事な彫物が施されています。片面には「素剣(すけん)」、もう片面には「護摩箸(ごまはし)」が彫り込まれています。素剣は不動明王が携える「三鈷柄剣(さんこづかけん)」を簡略化したもので、煩悩を打ち砕き、魔を祓う象徴として信仰されてきました。護摩箸は神仏の儀式で用いられる箸を模したもので、いずれも加護や厄除けの願いが込められた意匠です。 ■鑑定 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀に対してのみ授与されるものです。 ※本短刀には、脇差サイズの拵が付属しております。 【刀身諸元】 長さ(長さ):28.7 cm 反り(反り):0.15 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(じはだ):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(きっさき):刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる茎の部分。日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に生じる黒錆をあえて残します。




























美濃伝 · 美濃 · 1492-1501頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
美濃伝 · 美濃
現在6点販売中
美濃千手院は赤坂千手院とも呼ばれ、大和千手院派の流れを汲む一派である。説示によれば、大和千手院の刀工が美濃国赤坂へ移住して興ったもので、その移住期は建武の頃と伝える国重をはじめとして南北朝末葉に及ぶとされ、室町時代に殊に繁栄した。校正古刀銘鑑はこの派の祖を国長とし、貞和頃から延文・永徳を経て明応に至るまで複数の国長がいたことを記す。説示が扱う工には、二字銘の太刀を残す国重、貞治頃と銘鑑にある国行、応安元年紀の短刀を遺す国長、室町の弘長と弘重、さらに後代の道永や道印、康道、ただ千手院とのみ切る者がある。これとは別に、越前敦賀から美濃へ移った越州藤原国行があり、応安六年から翌年八月までの間に濃州入りしたと押形所載の銘から推測されている。 作風は板目に柾がかり、あるいは柾目の強い鍛えに大和の特色が濃く現れる点を共通の語法とする。説示は肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が入り、総体に白けごころを帯び、鉄色に黒みのあることを繰り返し記す。刃文は直刃や小のたれを基調に互の目や小乱れを交え、刃縁にほつれや喰違いを見せ、砂流しと金筋がかかって匂口締まりごころに小沸がつく。帽子は乱れ込んで掃きかけ、尖りごころに返るものが多い。一般の関物と比べて大和気質が一段と濃く、刃文の出来に隔たりがあることが見分けの手がかりとされる。越州国行に限っては別の作域を示し、板目に柾を交えて荒めの沸がつき、湯走りや飛焼、棟焼を交えて皆焼状となり、相州伝を思わせる沸出来を強調する。 鑑定の要点は、地鉄に大和の根を残しつつ刃に美濃色への移行を読むことにあり、地刃が他の美濃物と争い難い一致を見せる一方、刃文の傾きで識別される。個名を切る作は頗る少なく、千手院とのみ銘するものが多いため、有銘の国行や国重、国長の作は貴重な資料とされる。代表作には佩表に二字銘を有する国行の太刀、南北朝期の国重の太刀、応安元年紀の国長短刀、弘長と弘重の合作槍、千手院作の大身槍があり、銘鑑や光山押形と銘振りを照合して極めの根拠とする。越州国行の濃州住の在銘作は、移住後の作例として、また細直刃という新たな作域を示す点で資料性が高い。室町後期まで命脈を保ったこの一派は、大和から美濃へ流れた刀工の足跡を地刃に刻む系統として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 短刀 銘 兼氏(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 【解説】 本作は室町時代後期(文明年間頃)、美濃国(現在の岐阜県)にて打たれた兼氏の銘を冠する短刀です。兼氏は、優れた打刃物の産地として名高い関を拠点に活躍しました。その作風は、戦乱の世において実戦的かつ革新的な設計で名を馳せた「美濃伝」の精髄を今に伝える優品です。本作の作者は、志津三郎兼氏から数えて後代にあたりますが、先達が築き上げた伝統と高度な技術を忠実に継承し、さらに洗練させています。 室町後期は、応仁の乱(1467-1477)を契機に日本中が混沌に陥り、群雄割拠の戦国時代へと突入した激動の時代でした。絶え間ない戦火の中で、実用性に富んだ良質な刀剣への需要は飛躍的に高まり、美濃国はその一大生産拠点となりました。この時代の兼氏の作品は、日本刀が持つ芸術性を保ちつつも、時代の要請に応じた機能美と信頼性を兼ね備えているのが特徴です。 ■初代兼氏について 初代兼氏は鎌倉時代に活躍した名工で、相州伝の完成者である正宗の門下「正宗十哲」の一人に数えられます。後に美濃国へ移り住み、相州伝の技術に地元の伝統を融合させることで「美濃伝」の基礎を築きました。その強靭で鋭利な作風は後世の模範となり、本作の作者を含む室町時代の兼氏一派へと受け継がれていきました。 ■美濃伝 美濃伝は、戦国時代の圧倒的な武器需要を背景に、他の伝系を凌駕するほどの繁栄を極めました。その要因の一つに、地理的な優位性が挙げられます。美濃を治めた明智光秀、尾張の織田信長、そして隣国駿河を拠点とした徳川家康など、有力な戦国大名たちの勢力圏に隣接していました。 また、関東と京の都を結ぶ要所に位置していたため、諸国の武将にとって注文がしやすく、その実戦本位の設計と切れ味の鋭さは全国に鳴り響きました。こうした高度な鍛錬技術は代々伝承され、戦国が終焉した後も「兼定」や「兼元」といった名工を輩出し続けました。 ■彫物 本作の刀身には、表裏に見事な彫物が施されています。片面には「素剣(すけん)」、もう片面には「護摩箸(ごまはし)」が彫り込まれています。素剣は不動明王が携える「三鈷柄剣(さんこづかけん)」を簡略化したもので、煩悩を打ち砕き、魔を祓う象徴として信仰されてきました。護摩箸は神仏の儀式で用いられる箸を模したもので、いずれも加護や厄除けの願いが込められた意匠です。 ■鑑定 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀に対してのみ授与されるものです。 ※本短刀には、脇差サイズの拵が付属しております。 【刀身諸元】 長さ(長さ):28.7 cm 反り(反り):0.15 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(じはだ):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(きっさき):刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる茎の部分。日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に生じる黒錆をあえて残します。




























美濃伝 · 美濃 · 1492-1501頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
美濃伝 · 美濃
現在6点販売中
美濃千手院は赤坂千手院とも呼ばれ、大和千手院派の流れを汲む一派である。説示によれば、大和千手院の刀工が美濃国赤坂へ移住して興ったもので、その移住期は建武の頃と伝える国重をはじめとして南北朝末葉に及ぶとされ、室町時代に殊に繁栄した。校正古刀銘鑑はこの派の祖を国長とし、貞和頃から延文・永徳を経て明応に至るまで複数の国長がいたことを記す。説示が扱う工には、二字銘の太刀を残す国重、貞治頃と銘鑑にある国行、応安元年紀の短刀を遺す国長、室町の弘長と弘重、さらに後代の道永や道印、康道、ただ千手院とのみ切る者がある。これとは別に、越前敦賀から美濃へ移った越州藤原国行があり、応安六年から翌年八月までの間に濃州入りしたと押形所載の銘から推測されている。 作風は板目に柾がかり、あるいは柾目の強い鍛えに大和の特色が濃く現れる点を共通の語法とする。説示は肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が入り、総体に白けごころを帯び、鉄色に黒みのあることを繰り返し記す。刃文は直刃や小のたれを基調に互の目や小乱れを交え、刃縁にほつれや喰違いを見せ、砂流しと金筋がかかって匂口締まりごころに小沸がつく。帽子は乱れ込んで掃きかけ、尖りごころに返るものが多い。一般の関物と比べて大和気質が一段と濃く、刃文の出来に隔たりがあることが見分けの手がかりとされる。越州国行に限っては別の作域を示し、板目に柾を交えて荒めの沸がつき、湯走りや飛焼、棟焼を交えて皆焼状となり、相州伝を思わせる沸出来を強調する。 鑑定の要点は、地鉄に大和の根を残しつつ刃に美濃色への移行を読むことにあり、地刃が他の美濃物と争い難い一致を見せる一方、刃文の傾きで識別される。個名を切る作は頗る少なく、千手院とのみ銘するものが多いため、有銘の国行や国重、国長の作は貴重な資料とされる。代表作には佩表に二字銘を有する国行の太刀、南北朝期の国重の太刀、応安元年紀の国長短刀、弘長と弘重の合作槍、千手院作の大身槍があり、銘鑑や光山押形と銘振りを照合して極めの根拠とする。越州国行の濃州住の在銘作は、移住後の作例として、また細直刃という新たな作域を示す点で資料性が高い。室町後期まで命脈を保ったこの一派は、大和から美濃へ流れた刀工の足跡を地刃に刻む系統として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.