1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
特別保存刀剣鑑定書付 月山貞吉作(文政十年十月日) 【解説】 本作は、文政十年(1827年)十月に月山貞吉によって制作された一振りです。貞吉は本名を月山弥八郎といい、天明元年(1781年)に出羽国(現在の山形県)で生を受けました。日本美術刀剣保存協会(日美協)の鑑定によれば、本作の銘文は、貞吉が故郷である出羽に在住していた頃、折井正次の注文に応じて打たれたものであることを示しています。 「月山」の名は、彼が属した刀工一派に由来します。月山派は平安時代後期(12世紀)に端を発し、その名は出羽国の霊峰・月山に由来すると伝えられています。古の月山鍛冶たちは、この神聖な山の麓で刀を鍛えました。貞吉は若かりし頃、奥州月山伝の正系とされる父・奥山弥三郎貞近より作刀の基礎を学びました。 二十歳前後で江戸へ上った貞吉は、新々刀復古運動の旗手として名高い巨匠・水心子正秀の門を叩きます。ここで約十年にわたる修行を積み、高度な技術を習得した貞吉は、天保四年(1833年)に大坂へと移り住みました。彼はそこで「大坂月山」の礎を築き、多くの優れた門弟を育成して幕末期を代表する名工を輩出しました。 鎌倉時代より続く名門・月山派も、江戸時代中期には一時衰退を見せていましたが、貞吉のたゆまぬ努力と功績によって幕末に再興を果たし、再びその名を天下に轟かせました。 貞吉は塚本家より養子(貞光、のちの月山貞一)を迎えました。この貞一こそが、のちに明治時代を代表する帝室技芸員となる名工です。 貞吉・貞一父子は長年にわたり月山伝の伝統技法を研究し、ついに月山派の代名詞である「綾杉肌(あやすぎはだ)」の再現に成功しました。これは杉の木目のように波打つ美しい肌合いで、月山伝の象徴的な特徴となっています。貞吉は綾杉肌のみならず、諸伝の作風にも精通し、多彩な傑作を残しました。 貞吉は明治三年(1870年)、七十一歳で没しました。その伝統は養子の貞一、孫の貞勝へと受け継がれ、現代に至るまで連綿と続いています。現在は奈良県において、月山貞利氏および貞伸氏が、数百年の歴史を誇る月山伝の灯を守り続けています。 【彫物】 本作の刀身には、表裏に見事な彫物が施されています。 表には「南無妙法蓮華経」の題目と、仏像の台座を模した「蓮台(れんだい)」が彫られています。泥中から清らかな花を咲かせる蓮は仏教における清浄の象徴であり、刀装具や彫物においては、上部に蓮華、下部に台座を配した意匠が多く見られます。これらは梵字や素剣などと組み合わされることも多く、信仰心と加護を象徴しています。 裏には、不動明王を象徴する「梵字」と、倶利伽羅剣を呑み込む「倶利伽羅龍」が精緻に彫り込まれています。 梵字は神仏を象徴する聖なる文字であり、武士の間では守護を祈願する印として尊ばれました。なかでも本作に刻まれた「カーン」の文字は、武家から絶大な信仰を集めた守護神・不動明王を表しています。

























新々刀 · 摂津 · 1830-1863頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
新々刀 · 摂津
現在37点販売中
幕末 最後の需要
1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 月山貞吉作(文政十年十月日) 【解説】 本作は、文政十年(1827年)十月に月山貞吉によって制作された一振りです。貞吉は本名を月山弥八郎といい、天明元年(1781年)に出羽国(現在の山形県)で生を受けました。日本美術刀剣保存協会(日美協)の鑑定によれば、本作の銘文は、貞吉が故郷である出羽に在住していた頃、折井正次の注文に応じて打たれたものであることを示しています。 「月山」の名は、彼が属した刀工一派に由来します。月山派は平安時代後期(12世紀)に端を発し、その名は出羽国の霊峰・月山に由来すると伝えられています。古の月山鍛冶たちは、この神聖な山の麓で刀を鍛えました。貞吉は若かりし頃、奥州月山伝の正系とされる父・奥山弥三郎貞近より作刀の基礎を学びました。 二十歳前後で江戸へ上った貞吉は、新々刀復古運動の旗手として名高い巨匠・水心子正秀の門を叩きます。ここで約十年にわたる修行を積み、高度な技術を習得した貞吉は、天保四年(1833年)に大坂へと移り住みました。彼はそこで「大坂月山」の礎を築き、多くの優れた門弟を育成して幕末期を代表する名工を輩出しました。 鎌倉時代より続く名門・月山派も、江戸時代中期には一時衰退を見せていましたが、貞吉のたゆまぬ努力と功績によって幕末に再興を果たし、再びその名を天下に轟かせました。 貞吉は塚本家より養子(貞光、のちの月山貞一)を迎えました。この貞一こそが、のちに明治時代を代表する帝室技芸員となる名工です。 貞吉・貞一父子は長年にわたり月山伝の伝統技法を研究し、ついに月山派の代名詞である「綾杉肌(あやすぎはだ)」の再現に成功しました。これは杉の木目のように波打つ美しい肌合いで、月山伝の象徴的な特徴となっています。貞吉は綾杉肌のみならず、諸伝の作風にも精通し、多彩な傑作を残しました。 貞吉は明治三年(1870年)、七十一歳で没しました。その伝統は養子の貞一、孫の貞勝へと受け継がれ、現代に至るまで連綿と続いています。現在は奈良県において、月山貞利氏および貞伸氏が、数百年の歴史を誇る月山伝の灯を守り続けています。 【彫物】 本作の刀身には、表裏に見事な彫物が施されています。 表には「南無妙法蓮華経」の題目と、仏像の台座を模した「蓮台(れんだい)」が彫られています。泥中から清らかな花を咲かせる蓮は仏教における清浄の象徴であり、刀装具や彫物においては、上部に蓮華、下部に台座を配した意匠が多く見られます。これらは梵字や素剣などと組み合わされることも多く、信仰心と加護を象徴しています。 裏には、不動明王を象徴する「梵字」と、倶利伽羅剣を呑み込む「倶利伽羅龍」が精緻に彫り込まれています。 梵字は神仏を象徴する聖なる文字であり、武士の間では守護を祈願する印として尊ばれました。なかでも本作に刻まれた「カーン」の文字は、武家から絶大な信仰を集めた守護神・不動明王を表しています。

























新々刀 · 摂津 · 1830-1863頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
新々刀 · 摂津
現在37点販売中
幕末 最後の需要
1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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