備前長船の祐光の銘の下に伝わる最も古い年紀作は永享九年(一四三七)の太刀で、説明が応永備前と呼ぶ作風を示した生ぶ有銘の刀であり、これを「堂々としたものである」とする。最も新しいのは寛正三年(一四六二)の刀で、その銘中に俗名・官途の六郎左衛門尉を冠す。この二つの年紀の間には二十五年と一つの作風の渡りがある。祐光はまさに、説明が応永備前から末備前へ移ると名づける時に作刀したからである。銘鑑はこの名を切る七名を挙げ、本会は年紀の上から、ここに収める年紀作をその中の初代と読み、右京亮勝光・左京進宗光兄弟を儲けて長きにわたる長船の系統を室町後期へ運んだ長船家の祖とする。その作は降りの蝶番に立ち、十五世紀前期の応永備前の作風が、子らが導く末備前の作へすでに転じている。
作の見どころは腰の開いた互の目で、腰元で谷の大きく開く互の目に少しく丁子を交え、変化に富む乱れをなす。匂勝ちに小沸つき、刃中に細かな金筋・砂流しがかかり、最も良いものでは匂口が明るい。前期の永享の太刀では腰元に開いた刃に尖りごころの刃を交え、僅かに砂流し・金筋がかかり、帽子は直ぐに掃きかけて先尖りごころとなる。成熟した年紀作では同じ腰開きの互の目に尖り刃・角張る刃を交え、処々島刃を思わせ、なお匂勝ちに小沸つき匂口は明るい。年の降りは刃そのものから読まれる。嘉吉三年(一四四三)の脇指について説明は「乱れの振幅が小さく丁子が目立たない」と記し、かつて華やかであった応永備前の丁子の鎮まりに時代の降ることを読む。腰開きの刃は彼の一定であり、その振幅の狭まりこそ彼の時計である。
刃文の下には板目に杢を交えた地があり、処々肌立ち、その上に棒映りが冴える。長船の鉄の棒状の映りである。地沸は厚めにつき地景よく入り、幅広い太刀では地沸が微塵に細かくつき、淡い映りがその上に漂う。帽子は刃文に応じ、激しい作では乱れ込んで小丸に返り、静かな作では直ぐに小丸、あるいは尖って返る。姿は年紀と形に従って動く。前期の太刀は細身で腰反り深く小鋒の応永備前の姿、成熟期の太刀は尋常幅で先細りごころに重ね厚く、脇指・短刀は幅広く寸延びて重ねの厚い平造の作である。彫物はその作の繰り返す楽しみで、一口には草の倶利迦羅・梵字と経文、他の一口には二筋樋、文安六年(一四四九)の短刀には「一宮大明神」の陰刻がある。説明はその短刀を「祐光の作域がよく示されている」一口とする。
世代はその名の未決の問いで、説明はこれを年紀によって解く。祐光は数代の存在が指摘されており、銘鑑には同銘七名が挙げられ、永和頃の小反り物にも祐光がいるとした上で、年紀作はその年紀の証から初代に当てる。勝光・宗光の父たることは corpus 外の資料刀で定まる。文明九年の宗光の短刀に「長船祐光次男左京進宗光」とあり、説明はこれが「応永備前から末備前へ移る過渡期の作風」をよく示すとする。彼自身の年紀作も過渡の途上にある同じ手を示し、永享の太刀は堂々として応永備前の風を帯び、後の脇指・短刀は出来口が穏やかで、造込みと地刃にはなお応永備前風がうかがえつつ丁子が退き乱れが狭まる。六郎左衛門尉の俗名を冠した作、その現存が「頗る少」とされる作こそ、説明が初代の標識とするものである。
一門の中では、彼は室町中期の転に立つ長船本流に属し、盛光・康光の応永備前と、子らが運営する厚い末備前工房との間の世代である。その見分けは比較に借るのではなく彼自身の地に足のついた特徴に読まれる。丁子の鎮まった腰開きの互の目、肌立つ板目の上の棒映り、明るい匂口、そして古い備前の丸い丁子ではなくその手の末備前への方向を示す尖り刃・角張る刃である。説明は彼の作を刀としてのみならず資料としても重んじる。摂津国於竹原作と切る脇指は、この期に備前鍛冶が他国へ移動して作刀した記録を伝え、「末備前鍛冶研究の好資料」と呼ばれる。見事な彫物のある寛正の刀を末備前として出来がよく、同銘の現存が頗る少い刀とする。勝光・宗光を通じて彼の系統は室町後期の長船の主要工房となり、永正・天文の量産期へと学校を導く名となった。
藤代の位列は彼については記録されず、指定の記録は規模において穏やかである。記録されるは七口、いずれも重要刀剣で、さらに一口が皇室の御物に伝わり、上位の指定はその中にない。その御物の古刀は皇室に伝来し、今日は林原美術館に蔵される、彼の資料に残る唯一の明らかな伝来である。作は室町中期の備前の太刀・脇指・短刀の一群で、私蔵や長く記録された手に伝わり、所在の知られる一口は鎌倉の太刀ほど稀ではなく時に現れる。その作の価値は一つには資料にあり、年紀ある生ぶ有銘の作が応永備前から末備前への渡りを一口ずつ読み解かせ、一つには鑑者がその最良の作に揚げる出来にある。文安五年(一四四八)の太刀は裏に名高い試刀家山野加右衛門尉永久の金象嵌截断銘を負い、その刀が鍛えの後代まで業物として試されたことを示す。収集家にとって六郎左衛門尉祐光は、その転における長船の名の年紀ある知り得る端であり、時代の弧と一門の問いを手の中で読み得る刀にて、その最良の作には説明が言うように、祐光の作域がよく示されている。