二代出羽守行広は、佐賀の傍肥前の初代出羽守行広の実子である。藤馬丞と号し、初銘を行永と切り、初代の没した二年後の貞享元年に出羽守を受領した。『古今鍛冶備考』は元禄十四年歿とするが、説明書は元禄十六年紀及び宝永三年紀の作刀が現存することからこれを誤りとし、行広家九代目の又八が提出した系図に「享保十一年丙午九月十八日死去」とあるのを信憑性が高いとする。なお古い説明書の一つは元禄十四年歿をとる。
その記録は少ない。説明書は「二代行広の作刀は、初代に比して極めて少なく、作風は初代に準じたものである」とし、重要刀剣には四口がある。うち三口はこの系の乱れ刃で、丁子に互の目を交え、時に角がかった刃・小のたれ・小互の目、あるいは大互の目を交えて乱れの群落を直刃で繋ぐ。足入り、匂深く、沸よくつき、一口は沸厚くつき荒めの沸を交える。金筋・砂流しがかかり、匂口明るい。三口のうち二口は元を直ぐに焼き出し、一口には湯走り風の飛焼と物打辺の棟焼を見る。ある刀について説明書は「精美な米糖肌に、肥前独特の足長丁子を見事に焼き、姿も豪壮である」とする。
残る一口は中直刃で、よくつんだ小板目に地沸が微塵に厚くつき地景の細かに入る地に焼き、匂深く、細かに金筋・砂流しがかかる。説明書はこれを「同工としては比較的珍しい直刃の作域を示している」とし、殊に小沸がむらなくつく点と匂口の明るく冴える点を特筆する。帽子は小丸に、多く長く返る。
父子の代別は必ずしも定まらない。「肥前国藤馬丞行広以阿蘭陀鍛作」と銘する刀について説明書は、銘字を棟寄りに切る点や「廣」の字形には初代の特徴が見出されるものの、「国」の字形および「藤馬丞」を冠することから二代作との見解が有力とし、「確実なる代別はさらなる資料の出現を俟ちたい」と結ぶ。そのうえで同刀を「特有の乱れを破綻なく見事に纏め上げた優品である」とする。また寸法のやや短い一口は通例の佩表ではなく指表に銘をきり、説明書は「寸法が少し短い刀であることから、特別の注文によるものと思われる」とする。
指定を受けた作は重要刀剣四口で、それ以上の位のものはなく、現在の所蔵者は記録されていない。二代の在銘作はきわめて少なく、その手に接する機会は稀であり、説明書自体が示すように、その一口は父の作と照らして細かに読まれねばならない。