大坂は町人の都であり、刀も金の流れに従った。脇差一腰しか許されぬ町人のための贅沢な作、助広の濤瀾乱れ、大坂正宗と呼ばれた真改。率直に言えば、見られるために作られた刀である。
Skip to content ITEM# UJKA548 – Sold A Sukenao Katana (近江守高木住助直作) Ômi no Kami Sukenao stands among the finest students to emerge from Echizen no Kami Sukehiro ‘s workshop, and this jûyô tôken katana shows exactly why. Sukenao trained directly under the grandmaster, married his younger sister, and after Sukehiro died without an heir in 1682 took up permanent residence in Ôsaka, carrying the Tsuda school forward himself. He is ranked jôjô-saku by Fujishiro, with 59 blades having reached jûyô and a further 4 attaining tokubetsu jûyô, placing him firmly among the leading names of Ôsaka shintô. This blade carries Sukenao’s signature tôranba hamon, the surging wave pattern his teacher Sukehiro first originated and that continues to inspire collectors today. The jihada is a well-grained ko-itame with fine chikei and shimmering ji-nie, while the hamon builds from a straight start into vigorous ô-gunome with square shoulders, tama formations and long ashi, all wrapped in a bright nioiguchi . Kinsuji and sunagashi run through both the hamon and the boshi, the tip finishing in a sweeping hakikake with a full, confident return. The NBTHK called the forging “especially outstanding”, stating plainly that this is a masterwork in which Sukenao’s true ability is fully and unreservedly expressed. The katana is ubu, its nakago in wonderful condition and carrying Sukenao’s own decorative kôzutsumi-yasuri file marks, adapted from Sukehiro’s own pattern but cut at a steeper angle. It remains in shirasaya with a gold habaki over a copper ground, so it arrives at its next home as an ideal canvas for a custom koshirae project – wave fittings, anyone? If you were to own only one shintô period blade in a collection, there is a strong case for it being this one. Item Number UJKA548 Sword Type Katana Swordsmith Sukenao (first generation) Swordsmith (JP) 近江守高木住助直作 Signature Ômi no Kami Takagi jû Sukenao saku School Tsuda (Ôsaka shintô) Province Ômi (Takagi) Period Shintô – Enpô era (1675-1677) N
在銘 · Tsuda (ôsaka Shintô) · Shintô – enpô Era (1675-1677) · 長さ 71.05cm · 反り 1.3cm

Tsuda Sukehiro line, Osaka Shinto (Settsu / Omi) · 摂津 · 1668-1693頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在8点販売中
助直は寛永十六年(一六三九)近江国野洲郡高木に生まれ、通称を孫太郎といい、その年紀作は寛文八年(一六六八)より、五十五歳を迎えた元禄六年(一六九三)に及ぶ。説明書は、初め初代そぼろ助広の門に入り、のち二代津田越前守助広の指導を受けて大成したこと、助広の妹婿となって銘に津田姓を冠したこと、天和二年(一六八二)の師の歿後はその後を襲って大坂に常住したことを記す。銘は津田近江守助直、近江守高木住助直、また単に助直と幾通りかに定まり、しばしば元禄あるいは天和の年紀と生国の江州高木を添える。津田門の中でその手は最も師に近く、最晩年の特別重要刀剣についての説明書は、これを「師の助広と区別し難いほどの上出来」[[c:1]]とし、円熟した技術を見せるものとする。
助直の聞こえる作風は濤瀾乱れで、説明書はこの大きく波打つ刃を、創始した師助広より継承したものとする。刃は元を直ぐの焼出しに起こす大坂新刀の起こしより、大互の目に丁子・小のたれを交えた本体を立てて波となし、長く足入り、匂極めて深く、小沸厚くつき、砂流しと細かな金筋がかかり、時に線上に飛焼を交える。匂口は明るく冴え、この深く澄んで小沸のよくついた冴えこそ、判者が助広に迫ると読むところである。差を見せるのは姿で、その刀は身幅広く重ね厚く、中鋒をやや延ばした、師よりも頑健で堂々たる体配となり、波が助広に迫ってもなお姿は自身のものである。
地鉄はそのすべての作に通う恒のところである。よくつんだ小板目に地沸が微塵に厚くつき、地景の入る、かねの冴えた地で、波を置く明るい大坂の地である。最上手の作について説明書は、地刃ともに厚く沸づいて明るく冴えると評し、ある特別重要刀剣はまさにこの語で称えられて、鍛えは小板目つみ地沸微塵に厚くつき地景細かに入り、その全体を「地刃に助直の特色と美点が十二分に示されている」[[c:2]]とする。帽子は各作直ぐに小丸、僅かに返り、時に掃きかけを伴って、最も働く刃をも静かに納める。
総体の濤瀾の傍らに、説明書は二つの作域を挙げ、その作風は一にして三つの面に読まれる。一つは互の目乱れとのたれで、大互の目が波に上がりきらず小のたれや時に尖りごころを交え、匂深く小沸のよくつくもの。一つは穏やかな直刃、時に広直刃で、波を以て聞こえながらもこれを巧みにこなした。延宝三年の、なお故郷高木にあって鍛えた一口は、流れごころのある広い直刃に焼出しの小互の目を交え、説明書はおだやかとしつつ「流石に堂々たる出来である」[[c:3]]と添える。ある年紀の脇指について判者は、本工が「他にこの脇指の如く直刃も巧みにこなしている」[[c:4]]と記す。刀身の彫は棒樋に留まり、その作にみる倶利迦羅・旗鉾は長坂遊鵬軒ら彫物師の手になり、本工自身の手ではない。
津田門の中で助直を分かつのは、自身の姿に抑えられた、師への近さの著しさである。説明書は繰り返しその最上手の作を師に迫るものと読み、ある特別重要刀剣を「一見師助広を髣髴とさせる助直の秀作」[[c:5]]とし、一方で身幅が師より広く堂々たる体配であることを記す。すなわち本工は、新機軸の工というより、助広の早世の後に濤瀾乱れを忠実に継いだ正嫡であり、匂口の明るさと姿の頑健さこそ、その手を継いだ源より分かつ徴である。濤瀾の波、互の目ののたれ、穏やかな直刃という三つの作域は、説明書自身による本工の作の区分であり、そのいずれにも上手とされる。
助直は藤代が上々作とし、大坂新刀の主要な名跡に数えられる。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は現代のより高い級を通じ、特別重要刀剣に四口、より多くを重要刀剣に置き、両級併せて六十三口に及び、その殆どが在銘で年紀のあるものも多い。来歴の知られるものは僅かで、なかに皇室の御物であった一口、松平親懷の家に伝わった一口があり、他は所伝詳らかでない。世に出る数が少なく、その格の指定刀の多くが伝えられて売り立てられぬ中、在銘年紀の助直が市に現れるのは折にふれてのことであり、濤瀾乱れの見事な刀はその折にいよいよ求められる。身幅広く匂口の明るい私蔵の一口は、収集家にとって出会うべき佳品であり、津田助広に最も近づいた門人の作である。
助直の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在25点販売中
助広一門は、摂津国大坂に拠って江戸時代前期に活躍した新刀の一系であり、その名は初代そぼろ助広に始まる。初代助広は、もと播磨国国衙庄津田の数打工であったと伝わり、後に大坂へ出て初代河内守国助の門に学んだ。国助はもと石堂派の出身であり、初代助広が丁子乱れを得意として匂口締まりごころに小沸をつけ、足・葉を交えた一見石堂風の作柄を示すのも、この師系に由来する。切り添えられた「そほろ」の銘によりそぼろ助広とも通称され、寛文三年に歿した。その二代を継いだのが津田越前守助広である。越前守助広は寛永十四年に摂州打出村に生まれ、通称を甚之丞といい、初代の門に学んでその歿後に二代目を襲い、明暦三年に越前守を受領し、寛文七年には大坂城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和二年に四十六歳で歿した。門人には近江国高木に生まれて二代助広に学び、後にその妹婿になったと伝える津田近江守助直があり、いずれも寛文・延宝を中心とする大坂新刀の中核を成した。 本一門の作風は、大坂鍛えに特有の精緻な地鉄と、明るく深い匂口を共通の身上とする。鍛えは小板目肌がよくつんで些かの緩みもなく、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、かねが冴える。刃文は元を直ぐに焼き出す大坂焼出しを置き、その上に二代助広が創始した濤瀾乱れを焼くのを特色とする。濤瀾は大互の目に互の目・小のたれを交えて大きくうねる独特の刃文で、足太く入り、匂深く小沸厚くつき、金筋・砂流しがかかり、匂口が明るく冴える。二代助広は初期に石堂風の丁子乱れを焼き、ついで互の目乱れを経て濤瀾へと至り一世を風靡したが、直刃もまた頗る巧みで、同地大坂の井上真改と双璧と称された。助広の直刃は浅く五つにのたれを帯び、横手下から焼幅を広める手癖を示し、沸の粒が真改より細かく、刃縁が奉書紙を裂いたように地へ向かって細かに働く点が見どころとされる。門人助直は師の濤瀾をよく継承しつつ、互の目乱れやのたれ・直刃にも作域を広げ、中には師に迫る出来を見せた。茎には入山形の茎尻に大筋違や筋違の鑢に香包の化粧鑢を施し、角津田・丸津田の銘を切る点も一門を分かつ手掛かりとなる。 助広が古来重んじられてきたのは、濤瀾という新刀屈指の華やかな刃文を創始し、かつ直刃にも比類なき冴えを示した両面の妙によるところが大きい。鑑定にあたっては、精緻によくつんだ小板目肌、微塵に厚くつく地沸、深く明るい匂口、そして大坂焼出しから立ち上がる濤瀾の態を要点とする。代表作には、大坂城代青山宗俊の命により助広四十二歳の時に鵜首造の異風な姿で鍛え、雨乞いの願いを込めて倶利迦羅と梵字を彫った延宝六年紀の大太刀「村雨」があり、青山家に代々秘蔵された。その濃密な彫物は助広自身彫ではなく、当時大坂で活躍した彫師長坂遊鵬軒の手になるものと推され、同様の彫例は助直や一竿子忠綱・伊勢守国輝らの作にもうかがえる。さらに井上真改との合作の脇指も知られ、茎仕立てから鑢目、銘字に至るまで助広の主座が看取され、大坂新刀を代表する両雄の協同を伝える資料として価値が高い。門人助直の天和年紀の濤瀾の傑作とともに、これらの優品は、大坂新刀の到達点を今に示すものである。 詳しく見る →
大坂 町人の都の刀
大坂は町人の都であり、刀も金の流れに従った。脇差一腰しか許されぬ町人のための贅沢な作、助広の濤瀾乱れ、大坂正宗と呼ばれた真改。率直に言えば、見られるために作られた刀である。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.
Skip to content ITEM# UJKA548 – Sold A Sukenao Katana (近江守高木住助直作) Ômi no Kami Sukenao stands among the finest students to emerge from Echizen no Kami Sukehiro ‘s workshop, and this jûyô tôken katana shows exactly why. Sukenao trained directly under the grandmaster, married his younger sister, and after Sukehiro died without an heir in 1682 took up permanent residence in Ôsaka, carrying the Tsuda school forward himself. He is ranked jôjô-saku by Fujishiro, with 59 blades having reached jûyô and a further 4 attaining tokubetsu jûyô, placing him firmly among the leading names of Ôsaka shintô. This blade carries Sukenao’s signature tôranba hamon, the surging wave pattern his teacher Sukehiro first originated and that continues to inspire collectors today. The jihada is a well-grained ko-itame with fine chikei and shimmering ji-nie, while the hamon builds from a straight start into vigorous ô-gunome with square shoulders, tama formations and long ashi, all wrapped in a bright nioiguchi . Kinsuji and sunagashi run through both the hamon and the boshi, the tip finishing in a sweeping hakikake with a full, confident return. The NBTHK called the forging “especially outstanding”, stating plainly that this is a masterwork in which Sukenao’s true ability is fully and unreservedly expressed. The katana is ubu, its nakago in wonderful condition and carrying Sukenao’s own decorative kôzutsumi-yasuri file marks, adapted from Sukehiro’s own pattern but cut at a steeper angle. It remains in shirasaya with a gold habaki over a copper ground, so it arrives at its next home as an ideal canvas for a custom koshirae project – wave fittings, anyone? If you were to own only one shintô period blade in a collection, there is a strong case for it being this one. Item Number UJKA548 Sword Type Katana Swordsmith Sukenao (first generation) Swordsmith (JP) 近江守高木住助直作 Signature Ômi no Kami Takagi jû Sukenao saku School Tsuda (Ôsaka shintô) Province Ômi (Takagi) Period Shintô – Enpô era (1675-1677) N
在銘 · Tsuda (ôsaka Shintô) · Shintô – enpô Era (1675-1677) · 長さ 71.05cm · 反り 1.3cm

Tsuda Sukehiro line, Osaka Shinto (Settsu / Omi) · 摂津 · 1668-1693頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在8点販売中
助直は寛永十六年(一六三九)近江国野洲郡高木に生まれ、通称を孫太郎といい、その年紀作は寛文八年(一六六八)より、五十五歳を迎えた元禄六年(一六九三)に及ぶ。説明書は、初め初代そぼろ助広の門に入り、のち二代津田越前守助広の指導を受けて大成したこと、助広の妹婿となって銘に津田姓を冠したこと、天和二年(一六八二)の師の歿後はその後を襲って大坂に常住したことを記す。銘は津田近江守助直、近江守高木住助直、また単に助直と幾通りかに定まり、しばしば元禄あるいは天和の年紀と生国の江州高木を添える。津田門の中でその手は最も師に近く、最晩年の特別重要刀剣についての説明書は、これを「師の助広と区別し難いほどの上出来」[[c:1]]とし、円熟した技術を見せるものとする。
助直の聞こえる作風は濤瀾乱れで、説明書はこの大きく波打つ刃を、創始した師助広より継承したものとする。刃は元を直ぐの焼出しに起こす大坂新刀の起こしより、大互の目に丁子・小のたれを交えた本体を立てて波となし、長く足入り、匂極めて深く、小沸厚くつき、砂流しと細かな金筋がかかり、時に線上に飛焼を交える。匂口は明るく冴え、この深く澄んで小沸のよくついた冴えこそ、判者が助広に迫ると読むところである。差を見せるのは姿で、その刀は身幅広く重ね厚く、中鋒をやや延ばした、師よりも頑健で堂々たる体配となり、波が助広に迫ってもなお姿は自身のものである。
地鉄はそのすべての作に通う恒のところである。よくつんだ小板目に地沸が微塵に厚くつき、地景の入る、かねの冴えた地で、波を置く明るい大坂の地である。最上手の作について説明書は、地刃ともに厚く沸づいて明るく冴えると評し、ある特別重要刀剣はまさにこの語で称えられて、鍛えは小板目つみ地沸微塵に厚くつき地景細かに入り、その全体を「地刃に助直の特色と美点が十二分に示されている」[[c:2]]とする。帽子は各作直ぐに小丸、僅かに返り、時に掃きかけを伴って、最も働く刃をも静かに納める。
総体の濤瀾の傍らに、説明書は二つの作域を挙げ、その作風は一にして三つの面に読まれる。一つは互の目乱れとのたれで、大互の目が波に上がりきらず小のたれや時に尖りごころを交え、匂深く小沸のよくつくもの。一つは穏やかな直刃、時に広直刃で、波を以て聞こえながらもこれを巧みにこなした。延宝三年の、なお故郷高木にあって鍛えた一口は、流れごころのある広い直刃に焼出しの小互の目を交え、説明書はおだやかとしつつ「流石に堂々たる出来である」[[c:3]]と添える。ある年紀の脇指について判者は、本工が「他にこの脇指の如く直刃も巧みにこなしている」[[c:4]]と記す。刀身の彫は棒樋に留まり、その作にみる倶利迦羅・旗鉾は長坂遊鵬軒ら彫物師の手になり、本工自身の手ではない。
津田門の中で助直を分かつのは、自身の姿に抑えられた、師への近さの著しさである。説明書は繰り返しその最上手の作を師に迫るものと読み、ある特別重要刀剣を「一見師助広を髣髴とさせる助直の秀作」[[c:5]]とし、一方で身幅が師より広く堂々たる体配であることを記す。すなわち本工は、新機軸の工というより、助広の早世の後に濤瀾乱れを忠実に継いだ正嫡であり、匂口の明るさと姿の頑健さこそ、その手を継いだ源より分かつ徴である。濤瀾の波、互の目ののたれ、穏やかな直刃という三つの作域は、説明書自身による本工の作の区分であり、そのいずれにも上手とされる。
助直は藤代が上々作とし、大坂新刀の主要な名跡に数えられる。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は現代のより高い級を通じ、特別重要刀剣に四口、より多くを重要刀剣に置き、両級併せて六十三口に及び、その殆どが在銘で年紀のあるものも多い。来歴の知られるものは僅かで、なかに皇室の御物であった一口、松平親懷の家に伝わった一口があり、他は所伝詳らかでない。世に出る数が少なく、その格の指定刀の多くが伝えられて売り立てられぬ中、在銘年紀の助直が市に現れるのは折にふれてのことであり、濤瀾乱れの見事な刀はその折にいよいよ求められる。身幅広く匂口の明るい私蔵の一口は、収集家にとって出会うべき佳品であり、津田助広に最も近づいた門人の作である。
助直の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在25点販売中
助広一門は、摂津国大坂に拠って江戸時代前期に活躍した新刀の一系であり、その名は初代そぼろ助広に始まる。初代助広は、もと播磨国国衙庄津田の数打工であったと伝わり、後に大坂へ出て初代河内守国助の門に学んだ。国助はもと石堂派の出身であり、初代助広が丁子乱れを得意として匂口締まりごころに小沸をつけ、足・葉を交えた一見石堂風の作柄を示すのも、この師系に由来する。切り添えられた「そほろ」の銘によりそぼろ助広とも通称され、寛文三年に歿した。その二代を継いだのが津田越前守助広である。越前守助広は寛永十四年に摂州打出村に生まれ、通称を甚之丞といい、初代の門に学んでその歿後に二代目を襲い、明暦三年に越前守を受領し、寛文七年には大坂城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和二年に四十六歳で歿した。門人には近江国高木に生まれて二代助広に学び、後にその妹婿になったと伝える津田近江守助直があり、いずれも寛文・延宝を中心とする大坂新刀の中核を成した。 本一門の作風は、大坂鍛えに特有の精緻な地鉄と、明るく深い匂口を共通の身上とする。鍛えは小板目肌がよくつんで些かの緩みもなく、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、かねが冴える。刃文は元を直ぐに焼き出す大坂焼出しを置き、その上に二代助広が創始した濤瀾乱れを焼くのを特色とする。濤瀾は大互の目に互の目・小のたれを交えて大きくうねる独特の刃文で、足太く入り、匂深く小沸厚くつき、金筋・砂流しがかかり、匂口が明るく冴える。二代助広は初期に石堂風の丁子乱れを焼き、ついで互の目乱れを経て濤瀾へと至り一世を風靡したが、直刃もまた頗る巧みで、同地大坂の井上真改と双璧と称された。助広の直刃は浅く五つにのたれを帯び、横手下から焼幅を広める手癖を示し、沸の粒が真改より細かく、刃縁が奉書紙を裂いたように地へ向かって細かに働く点が見どころとされる。門人助直は師の濤瀾をよく継承しつつ、互の目乱れやのたれ・直刃にも作域を広げ、中には師に迫る出来を見せた。茎には入山形の茎尻に大筋違や筋違の鑢に香包の化粧鑢を施し、角津田・丸津田の銘を切る点も一門を分かつ手掛かりとなる。 助広が古来重んじられてきたのは、濤瀾という新刀屈指の華やかな刃文を創始し、かつ直刃にも比類なき冴えを示した両面の妙によるところが大きい。鑑定にあたっては、精緻によくつんだ小板目肌、微塵に厚くつく地沸、深く明るい匂口、そして大坂焼出しから立ち上がる濤瀾の態を要点とする。代表作には、大坂城代青山宗俊の命により助広四十二歳の時に鵜首造の異風な姿で鍛え、雨乞いの願いを込めて倶利迦羅と梵字を彫った延宝六年紀の大太刀「村雨」があり、青山家に代々秘蔵された。その濃密な彫物は助広自身彫ではなく、当時大坂で活躍した彫師長坂遊鵬軒の手になるものと推され、同様の彫例は助直や一竿子忠綱・伊勢守国輝らの作にもうかがえる。さらに井上真改との合作の脇指も知られ、茎仕立てから鑢目、銘字に至るまで助広の主座が看取され、大坂新刀を代表する両雄の協同を伝える資料として価値が高い。門人助直の天和年紀の濤瀾の傑作とともに、これらの優品は、大坂新刀の到達点を今に示すものである。 詳しく見る →
大坂 町人の都の刀
大坂は町人の都であり、刀も金の流れに従った。脇差一腰しか許されぬ町人のための贅沢な作、助広の濤瀾乱れ、大坂正宗と呼ばれた真改。率直に言えば、見られるために作られた刀である。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.