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概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
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  3. 助直

Sukehiro Sukenao

助直

特重
巻 25, 番 69 · 刀

Sukehiro Sukenao

助直

評価作品65点

国摂津時代Enpo (1673–1681)時代区分江戸流派Sukehiro伝法Shinto藤代Jo-jo saku刀工大鑑800(上位14%)種別刀工コードSUK358
2御物
4特別重要刀剣59重要刀剣

概要

助直は寛永十六年(一六三九)近江国野洲郡高木に生まれ、通称を孫太郎といい、その年紀作は寛文八年(一六六八)より、五十五歳を迎えた元禄六年(一六九三)に及ぶ。説明書は、初め初代そぼろ助広の門に入り、のち二代津田越前守助広の指導を受けて大成したこと、助広の妹婿となって銘に津田姓を冠したこと、天和二年(一六八二)の師の歿後はその後を襲って大坂に常住したことを記す。銘は津田近江守助直、近江守高木住助直、また単に助直と幾通りかに定まり、しばしば元禄あるいは天和の年紀と生国の江州高木を添える。津田門の中でその手は最も師に近く、最晩年の特別重要刀剣についての説明書は、これを「師の助広と区別し難いほどの上出来」とし、円熟した技術を見せるものとする。

助直の聞こえる作風は濤瀾乱れで、説明書はこの大きく波打つ刃を、創始した師助広より継承したものとする。刃は元を直ぐの焼出しに起こす大坂新刀の起こしより、大互の目に丁子・小のたれを交えた本体を立てて波となし、長く足入り、匂極めて深く、小沸厚くつき、砂流しと細かな金筋がかかり、時に線上に飛焼を交える。匂口は明るく冴え、この深く澄んで小沸のよくついた冴えこそ、判者が助広に迫ると読むところである。差を見せるのは姿で、その刀は身幅広く重ね厚く、中鋒をやや延ばした、師よりも頑健で堂々たる体配となり、波が助広に迫ってもなお姿は自身のものである。

地鉄はそのすべての作に通う恒のところである。よくつんだ小板目に地沸が微塵に厚くつき、地景の入る、かねの冴えた地で、波を置く明るい大坂の地である。最上手の作について説明書は、地刃ともに厚く沸づいて明るく冴えると評し、ある特別重要刀剣はまさにこの語で称えられて、鍛えは小板目つみ地沸微塵に厚くつき地景細かに入り、その全体を「地刃に助直の特色と美点が十二分に示されている」とする。帽子は各作直ぐに小丸、僅かに返り、時に掃きかけを伴って、最も働く刃をも静かに納める。

総体の濤瀾の傍らに、説明書は二つの作域を挙げ、その作風は一にして三つの面に読まれる。一つは互の目乱れとのたれで、大互の目が波に上がりきらず小のたれや時に尖りごころを交え、匂深く小沸のよくつくもの。一つは穏やかな直刃、時に広直刃で、波を以て聞こえながらもこれを巧みにこなした。延宝三年の、なお故郷高木にあって鍛えた一口は、流れごころのある広い直刃に焼出しの小互の目を交え、説明書はおだやかとしつつ「流石に堂々たる出来である」と添える。ある年紀の脇指について判者は、本工が「他にこの脇指の如く直刃も巧みにこなしている」と記す。刀身の彫は棒樋に留まり、その作にみる倶利迦羅・旗鉾は長坂遊鵬軒ら彫物師の手になり、本工自身の手ではない。

津田門の中で助直を分かつのは、自身の姿に抑えられた、師への近さの著しさである。説明書は繰り返しその最上手の作を師に迫るものと読み、ある特別重要刀剣を「一見師助広を髣髴とさせる助直の秀作」とし、一方で身幅が師より広く堂々たる体配であることを記す。すなわち本工は、新機軸の工というより、助広の早世の後に濤瀾乱れを忠実に継いだ正嫡であり、匂口の明るさと姿の頑健さこそ、その手を継いだ源より分かつ徴である。濤瀾の波、互の目ののたれ、穏やかな直刃という三つの作域は、説明書自身による本工の作の区分であり、そのいずれにも上手とされる。

助直は藤代が上々作とし、大坂新刀の主要な名跡に数えられる。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は現代のより高い級を通じ、特別重要刀剣に四口、より多くを重要刀剣に置き、両級併せて六十三口に及び、その殆どが在銘で年紀のあるものも多い。来歴の知られるものは僅かで、なかに皇室の御物であった一口、松平親懷の家に伝わった一口があり、他は所伝詳らかでない。世に出る数が少なく、その格の指定刀の多くが伝えられて売り立てられぬ中、在銘年紀の助直が市に現れるのは折にふれてのことであり、濤瀾乱れの見事な刀はその折にいよいよ求められる。身幅広く匂口の明るい私蔵の一口は、収集家にとって出会うべき佳品であり、津田助広に最も近づいた門人の作である。

鑑定

地沸の厚い明るい大坂の小板目を地に置く一人の津田門助直の手を三つの面で読む:直ぐの焼出しより起こす助広譲りの濤瀾乱れの典型、その傍らの互の目乱れののたれ、そして穏やかな直刃あるいは広直刃で、いずれも自身の彫は棒樋に留まる身幅広い刀に焼かれる

助直、近江守、通称孫太郎は、寛永十六年(一六三九)近江国野洲郡高木に生まれた、大坂新刀津田助広門の高弟の一人である。説明書は、初め初代そぼろ助広の門に入り、のち二代津田越前守助広の指導を受けて大成し、後にその妹婿となって津田姓を冠したと記し、年紀作は寛文八年より五十五歳の元禄六年に及ぶとする。本工の典型は、身幅広く重ねやや厚く中鋒延びごころの刀で、よくつんだ小板目に地沸微塵に厚くつき地景の入る鍛えに、直ぐの焼出しより起こして、師助広の創始した濤瀾乱れ、すなわち大きく波打つ刃を、大互の目に丁子・小のたれを交えて立て、長く足入り、匂極めて深く小沸厚くつき、砂流し・金筋細かにかかり、匂口明るく冴え、帽子は直ぐに小丸となる。濤瀾の他に互の目乱れののたれ・穏やかな直刃あるいは広直刃をも焼き、説明書はそのいずれをも上手とし、最上手の作は師に迫ると評する。

鑑定の決め手

作風の変遷

濤瀾乱れ(典型・最上手)

本工の典型にして最も個性的な手は濤瀾乱れで、説明書は師助広の創始したこの大きく波打つ刃を継承したものとする。よくつんだ小板目に地沸微塵に厚くつき地景細かに入りかね冴える地に、元を直ぐの焼出しに起こし、その上は大互の目に丁子・小のたれを交えて濤瀾風となり、長く足入り、匂極めて深く小沸厚くつき、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るく冴え、時に飛焼を交え、帽子は直ぐに小丸となる。説明書はこれを彼の最も得意とした作風とし、身幅は助広より広く堂々として、師に迫り一見髣髴とさせる最上手の作と読む。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

互の目乱れ・のたれの手

総体の濤瀾の傍らに、説明書は互の目乱れとのたれの手を挙げる。同じ明るい大坂の地に焼かれた、濤瀾に至りきらぬ乱れである。大互の目が濤瀾に上がりきらず小のたれや時に尖りごころを交え、焼出しより起こし、足入り、匂深く小沸よくつき、砂流しかかり、匂口明るく、帽子は直ぐに小丸となる。説明書はこの互の目乱れののたれを濤瀾・直刃とともに本工の作域の三つの面とし、いずれも上手とする。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

穏やかな直刃・広直刃の手

記録の最も静かな面は直刃で、時に広直刃となり、濤瀾を以て聞こえながらも説明書はこれを巧みにこなすと称える。同じよくつんだ小板目に地沸の細かにつく地に、刃は直ぐあるいは広直刃に落ち着き、時に焼出しに小互の目を交えて起こし、匂深く小沸むらなくつき、砂流しかかり、匂口明るく冴え、帽子は直ぐに小丸、僅かに返る。説明書はある直刃の刀を、おだやかでありながら堂々たる出来と評する。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

説明書は、近江守助直、通称孫太郎が寛永十六年近江国高木に生まれ、初めそぼろ助広の門に入り、二代津田助広の指導を受けて大成し、その妹婿となったこと、年紀作が寛文八年より五十五歳の元禄六年に及ぶこと、作風は助広の創始した濤瀾乱れを継承しつつ互の目乱れののたれ・直刃をも焼き、いずれも上手であることを記す。

説明書は、明るい大坂の地に小沸のよくついた匂口の冴えと深さによって、その地刃が師に迫り、最上手の作は一見助広を髣髴とさせるとし、一方で身幅広く堂々とした体配が本工自身の姿を分かつとする。

指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品—
御物2
特別重要刀剣4
重要刀剣59

名工ランク

0.22 (指定作品65点)

刀工の上位11%

伝来

伝来記録3件 の鑑定作品における Sukenao

伝来ランク

名家所蔵2点、伝来記録3件

刀工の上位68%

素点:1.92 / 10

刀姿

評価作品65点の分布

銘

評価作品65点の銘の種類

販売中

系譜

Sukenao
弟子
  1. 1.高任Takato

Sukehiro派

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