正阿弥重廣は江戸中期(元禄・享保頃)の秋田正阿弥派。作風は伝統的な正阿弥風が多く上手。江戸初期に水戸から秋田に転封した佐竹侯に従った正阿弥や甲冑師系早乙女派の流れを汲む鐔工と考えられる。重廣を後藤通乗の弟子とした説明もみるが重廣の作品から誤伝とされる。また重廣には名工正阿弥伝兵衛重吉の創意による具利彫と同一手法の具利彫があることから重廣と伝兵衛は深い関係があったと考えられる。おそらく、重廣は伝兵衛が佐竹へ仕えた当初の手代で、伝兵衛を継いだ二代伝内重高が元禄十一年(1698)伝兵衛の手代として佐竹に出仕することを契機に独立したと考えられる(参考:「秋田の鐔工と刀工の研究-菅原鶴太郎遺稿」)。本作は、水車と迫力ある荒々しい川の流れが表現された独創性に富んだ意匠の鐔。つぶさに見ると水車の羽根板をつなぐ日の足に欠損窺えるが構図に同化しており甘受したい。施した金覆輪が鐔を引立たせている。2026年2月特別保存刀装具審査合格。














重広
江戸
Dewano Kuni
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 出羽 · 1670頃
家彫
現在15点販売中
吉岡家は徳川幕府の抱え金工として百俵十人扶持を支給された権威ある家柄である。初代重次が慶長年間に徳川家康に召し出されて以来、幕末の九代重貞に至るまで繁栄を誇った。歴代にわたって藤原姓を冠称し、二代からは因幡介の官位を受領している。しかし上代の作は幕府への納品であったため全て無銘であり、「吉岡因幡介」と五字銘に切るようになったのは五代易次あたりからと考えられる。個銘を切らぬため代別は困難であるが、宝永三年に先代重長の隠居により理左衛門を襲名し、宝永七年に因幡介に叙任された四代重廣、および個銘と行年銘を添えた作品が現存する七代照次が、指定作品群において特に重要な存在として浮かび上がる。 吉岡流の作風は、赤銅魚子地に高彫・金色絵を施す堅実精巧な彫口を最大の特色とする。後藤家と同様の素材と技法を用いながらも、将軍家御用の品格にふさわしい格調の高さを一貫して保っている。その技術の幅は広く、金据文・金平象嵌・金象嵌を巧みに使い分け、時に墨絵風の筆勢をそのまま金象嵌で表現する妙技も見せる。また金・銀・四分一・素銅など多種の色金を用いた色絵を的確に施し、豪華さの中にも格調に満ちた出来口を示す。制作の特筆すべき点は、鐔・縁頭・小柄・笄・目貫を同一の意匠と技法で統一した一作金具・総金具の制作に秀でていることである。丸に三葉葵紋散し、立沢瀉紋、稲穂文、竜虎図など、主題を全ての金具に一貫させ、赤銅魚子地に金色絵で格調高く仕上げる手法は吉岡家の真骨頂といえる。糸巻太刀拵や大小拵といった武家の儀仗に用いる拵形式において、総金具を一手に担う力量は、幕府抱え金工としての真価を遺憾なく発揮したものである。 吉岡家は装剣金工界の名門として、徳川将軍家および有力大名家の最も格式高い刀装を担った。紀州徳川家二代光貞の好みにより貞享三年に制作されたと伝える糸巻太刀拵、五代将軍綱吉の指料であった太刀の拵で後に十四代将軍家茂が所用したもの、加賀前田家伝来の糸巻太刀拵など、将軍家・御三家・有力外様大名への納品が指定品に確認される。説示において「後藤本家にも劣らぬ格調を備え持った」と評される点は、幕府お抱えの家彫として到達した芸格の高さを端的に示している。七代照次による個銘・行年銘を備えた親子鶏図三所物は、吉岡家の代別研究に不可欠な資料的価値を有し、四代重廣の在銘作もまた江戸中期の製作年代を知る上で貴重な金工資料とされる。将軍家の御用を務めた吉岡因幡介の真価を十分に発揮した作品群は、幕府抱え金工の頂点に位置する家系の力量と矜持を今日に伝えている。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。
正阿弥重廣は江戸中期(元禄・享保頃)の秋田正阿弥派。作風は伝統的な正阿弥風が多く上手。江戸初期に水戸から秋田に転封した佐竹侯に従った正阿弥や甲冑師系早乙女派の流れを汲む鐔工と考えられる。重廣を後藤通乗の弟子とした説明もみるが重廣の作品から誤伝とされる。また重廣には名工正阿弥伝兵衛重吉の創意による具利彫と同一手法の具利彫があることから重廣と伝兵衛は深い関係があったと考えられる。おそらく、重廣は伝兵衛が佐竹へ仕えた当初の手代で、伝兵衛を継いだ二代伝内重高が元禄十一年(1698)伝兵衛の手代として佐竹に出仕することを契機に独立したと考えられる(参考:「秋田の鐔工と刀工の研究-菅原鶴太郎遺稿」)。本作は、水車と迫力ある荒々しい川の流れが表現された独創性に富んだ意匠の鐔。つぶさに見ると水車の羽根板をつなぐ日の足に欠損窺えるが構図に同化しており甘受したい。施した金覆輪が鐔を引立たせている。2026年2月特別保存刀装具審査合格。














重広
江戸
Dewano Kuni
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 出羽 · 1670頃
家彫
現在15点販売中
吉岡家は徳川幕府の抱え金工として百俵十人扶持を支給された権威ある家柄である。初代重次が慶長年間に徳川家康に召し出されて以来、幕末の九代重貞に至るまで繁栄を誇った。歴代にわたって藤原姓を冠称し、二代からは因幡介の官位を受領している。しかし上代の作は幕府への納品であったため全て無銘であり、「吉岡因幡介」と五字銘に切るようになったのは五代易次あたりからと考えられる。個銘を切らぬため代別は困難であるが、宝永三年に先代重長の隠居により理左衛門を襲名し、宝永七年に因幡介に叙任された四代重廣、および個銘と行年銘を添えた作品が現存する七代照次が、指定作品群において特に重要な存在として浮かび上がる。 吉岡流の作風は、赤銅魚子地に高彫・金色絵を施す堅実精巧な彫口を最大の特色とする。後藤家と同様の素材と技法を用いながらも、将軍家御用の品格にふさわしい格調の高さを一貫して保っている。その技術の幅は広く、金据文・金平象嵌・金象嵌を巧みに使い分け、時に墨絵風の筆勢をそのまま金象嵌で表現する妙技も見せる。また金・銀・四分一・素銅など多種の色金を用いた色絵を的確に施し、豪華さの中にも格調に満ちた出来口を示す。制作の特筆すべき点は、鐔・縁頭・小柄・笄・目貫を同一の意匠と技法で統一した一作金具・総金具の制作に秀でていることである。丸に三葉葵紋散し、立沢瀉紋、稲穂文、竜虎図など、主題を全ての金具に一貫させ、赤銅魚子地に金色絵で格調高く仕上げる手法は吉岡家の真骨頂といえる。糸巻太刀拵や大小拵といった武家の儀仗に用いる拵形式において、総金具を一手に担う力量は、幕府抱え金工としての真価を遺憾なく発揮したものである。 吉岡家は装剣金工界の名門として、徳川将軍家および有力大名家の最も格式高い刀装を担った。紀州徳川家二代光貞の好みにより貞享三年に制作されたと伝える糸巻太刀拵、五代将軍綱吉の指料であった太刀の拵で後に十四代将軍家茂が所用したもの、加賀前田家伝来の糸巻太刀拵など、将軍家・御三家・有力外様大名への納品が指定品に確認される。説示において「後藤本家にも劣らぬ格調を備え持った」と評される点は、幕府お抱えの家彫として到達した芸格の高さを端的に示している。七代照次による個銘・行年銘を備えた親子鶏図三所物は、吉岡家の代別研究に不可欠な資料的価値を有し、四代重廣の在銘作もまた江戸中期の製作年代を知る上で貴重な金工資料とされる。将軍家の御用を務めた吉岡因幡介の真価を十分に発揮した作品群は、幕府抱え金工の頂点に位置する家系の力量と矜持を今日に伝えている。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。