竪丸形 鉄地 地透 丸耳 神吉派 藩命によって林家に入門し肥後細川家の抱え工となり江戸末期から明治の初年にかけて活躍した。 二代深信、三代楽寿は特に有名で技量も優れており、特に永寿は又七につぐ名工と称されている。 作風は鉄磨地で透かしと象嵌を極め、林派の作風を継承した出来である。地金の錆色も艶があり、肉置きも巧みで竪丸形、変り丸形、菊花形、変り木瓜形がある。図柄は、桐九曜、竹、松、桜、巴、四方蕨手、二十唐草などがある。
Certificate reading — 無銘(神吉)















神吉派
江戸
肥後
特別保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後
現在12点販売中
神吉派は肥後金工五流の一つであり、肥後国において細川家の庇護のもと江戸時代中期から後期にかけて活動した鐔工の一流である。説示によれば、神吉の祖は神谷甚左衛門といい、細川忠利が肥後入国の折に細工人になったと伝えられる。芸術的系譜としては林又七を祖とする林派の流れを直接汲み、寿平忠光(正忠)の代に藩命により林家の相伝を受け、春日派すなわち林派の作風の復活に努めた。正忠は宝暦四年(一七五四)に生まれ、はじめ従兄弟で二代西垣勘四郎の門に学んだ善七に鐔造りの技法を学んだが、藩命により林家三代目藤八のもとに入門し、細川家の抱え工となった。同家からは二代目深信(天明六年生、嘉永四年没、享年六十六)、三代目楽寿(文化十四年生、明治十七年没、享年六十八)という父子二代の名工が輩出した。 神吉派の作風は林派の美意識を忠実に継承しつつ、洗練された鉄地の鍛え、均衡のとれた透かし、そして卓越した金象嵌の技法によって独自の様式を確立したものである。その地鉄は肥後鐔特有の紫錆でネットリとして艶があり、地面には僅かに凹凸がかった地叢が施されて雅趣を生み出している。楽寿は蟇肌(あるいは墓肌)という独特の地金の変化を工夫し表現して成功しており、これは同派を特徴づける技法の一つとなっている。金象嵌については、楽寿の技量は「又七の再来」と称されるほどであり、枯木象嵌・葛菱文・渦巻文など多彩な金象嵌の意匠が説示に繰り返し記されている。また深信の作品は誠実で品格の優れた作風で奇を衒うことがなく、技術も傑出しており、楽寿の作に比肩すべき遺例も少なくないと評されている。神吉家は茎孔の上下に特殊の打込み鏨を用いており――楽寿は上に二つ、下に三つ――二代深信・三代楽寿の作鐔は無銘であってもその識別が可能であるとされる。意匠面では蕨手透・影蝶透・雨龍透・瑞雲巴透・桜花透など、いずれも林派に代々伝わる文様を踏襲しつつ、独自の工夫を加えている。 神吉派は肥後金工の系譜において、林派の伝統を最も忠実に保持し後期まで発展させた一流として特別な位置を占めている。寿平忠光を「神吉の祖父」、寿平深信を「神吉の父」と呼ぶのは、全て楽寿の存在の大きさを物語っていると説示は記す。深信の在銘作は数少ないながら、林又七写しの一枚として白眉と称される八つ蕨手透九曜紋唐草沙綾金象嵌鐔のような傑作を残し、その誠実な作風と落ち着いた気品は高く評価されている。深信・楽寿父子の合作も伝わり、初代又七に迫る作品として同派中の名工父子たる技術が顕示されたものと評されている。楽寿の晩年の作は、初代又七を目指して長年精進した結果として高尚な境地に達したとされ、又七の十二瓢透に工夫を加えて完璧な造形を完成させた例などが知られる。数点の作品が細川家旧蔵と伝えられており、また荻昌国なる人物の注文銘が複数の作品に見られることから、有力な支援者との深い結びつきも窺える。説示は繰り返し楽寿の作品に「又七に迫る勢い」「又七に迫ろうとした気概」と記しており、初祖の高みを目指して精進し続けた同派の姿勢こそが、肥後金工における林派の最も正統な継承者としての神吉派の地位を確固たるものにしている。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
竪丸形 鉄地 地透 丸耳 神吉派 藩命によって林家に入門し肥後細川家の抱え工となり江戸末期から明治の初年にかけて活躍した。 二代深信、三代楽寿は特に有名で技量も優れており、特に永寿は又七につぐ名工と称されている。 作風は鉄磨地で透かしと象嵌を極め、林派の作風を継承した出来である。地金の錆色も艶があり、肉置きも巧みで竪丸形、変り丸形、菊花形、変り木瓜形がある。図柄は、桐九曜、竹、松、桜、巴、四方蕨手、二十唐草などがある。
Certificate reading — 無銘(神吉)















神吉派
江戸
肥後
特別保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後
現在12点販売中
神吉派は肥後金工五流の一つであり、肥後国において細川家の庇護のもと江戸時代中期から後期にかけて活動した鐔工の一流である。説示によれば、神吉の祖は神谷甚左衛門といい、細川忠利が肥後入国の折に細工人になったと伝えられる。芸術的系譜としては林又七を祖とする林派の流れを直接汲み、寿平忠光(正忠)の代に藩命により林家の相伝を受け、春日派すなわち林派の作風の復活に努めた。正忠は宝暦四年(一七五四)に生まれ、はじめ従兄弟で二代西垣勘四郎の門に学んだ善七に鐔造りの技法を学んだが、藩命により林家三代目藤八のもとに入門し、細川家の抱え工となった。同家からは二代目深信(天明六年生、嘉永四年没、享年六十六)、三代目楽寿(文化十四年生、明治十七年没、享年六十八)という父子二代の名工が輩出した。 神吉派の作風は林派の美意識を忠実に継承しつつ、洗練された鉄地の鍛え、均衡のとれた透かし、そして卓越した金象嵌の技法によって独自の様式を確立したものである。その地鉄は肥後鐔特有の紫錆でネットリとして艶があり、地面には僅かに凹凸がかった地叢が施されて雅趣を生み出している。楽寿は蟇肌(あるいは墓肌)という独特の地金の変化を工夫し表現して成功しており、これは同派を特徴づける技法の一つとなっている。金象嵌については、楽寿の技量は「又七の再来」と称されるほどであり、枯木象嵌・葛菱文・渦巻文など多彩な金象嵌の意匠が説示に繰り返し記されている。また深信の作品は誠実で品格の優れた作風で奇を衒うことがなく、技術も傑出しており、楽寿の作に比肩すべき遺例も少なくないと評されている。神吉家は茎孔の上下に特殊の打込み鏨を用いており――楽寿は上に二つ、下に三つ――二代深信・三代楽寿の作鐔は無銘であってもその識別が可能であるとされる。意匠面では蕨手透・影蝶透・雨龍透・瑞雲巴透・桜花透など、いずれも林派に代々伝わる文様を踏襲しつつ、独自の工夫を加えている。 神吉派は肥後金工の系譜において、林派の伝統を最も忠実に保持し後期まで発展させた一流として特別な位置を占めている。寿平忠光を「神吉の祖父」、寿平深信を「神吉の父」と呼ぶのは、全て楽寿の存在の大きさを物語っていると説示は記す。深信の在銘作は数少ないながら、林又七写しの一枚として白眉と称される八つ蕨手透九曜紋唐草沙綾金象嵌鐔のような傑作を残し、その誠実な作風と落ち着いた気品は高く評価されている。深信・楽寿父子の合作も伝わり、初代又七に迫る作品として同派中の名工父子たる技術が顕示されたものと評されている。楽寿の晩年の作は、初代又七を目指して長年精進した結果として高尚な境地に達したとされ、又七の十二瓢透に工夫を加えて完璧な造形を完成させた例などが知られる。数点の作品が細川家旧蔵と伝えられており、また荻昌国なる人物の注文銘が複数の作品に見られることから、有力な支援者との深い結びつきも窺える。説示は繰り返し楽寿の作品に「又七に迫る勢い」「又七に迫ろうとした気概」と記しており、初祖の高みを目指して精進し続けた同派の姿勢こそが、肥後金工における林派の最も正統な継承者としての神吉派の地位を確固たるものにしている。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。