説明

穂長 12.0cm(3寸9分6厘)、茎長 21.5cm、元幅 2.12cm、元重ね 1.21cm、目釘孔 1個、槍身重量 194.3g 三角造の直槍、裏に丸止めの棒樋を彫り、塩首は五角形でうち二角は面取状となる。生茎、鑢目は銘より上は勝手下がり、その下は大筋違、先栗尻、目釘穴一。地鉄は、小板目肌つみ流れる。刃文は、小乱れ浅く湾れ、小沸つき、砂流し細かにかかり、鎬に飛焼があり、塩首にも焼きが入る。帽子は、表先掃掛けて小丸、返りはやや深く、裏は小丸に返る。 初代政常は、関兼常の門、小牧・清洲・名古屋富町など尾張で活躍し、天正19年5月相模守を受領、慶長10年2月入道、元和5年2月18日84才で没。以後、名跡は江戸時代を通して幕末・慶応頃の10代まで続きます。新刀・新々刀期には、小刀、矢の根、槍などの作品を多く残しており上手です。 参考文献 : 『新版 日本刀講座 第6巻』本間薫山・佐藤寒山監修 雄山閣 平成9年、『日本刀銘鑑』石井昌國編著 本間薫山校閲 雄山閣 2003 刃が鋭利な平三角造りを肉厚めにがっしりと丈夫な造り込みとした小振りの直槍です。穂先は鈍角で鎬が急な曲線を描いて高くなり堅物を突くことを想定したことがうかがえます。粒の揃った綺麗な沸がつき冴える小乱れの刃文も見応えがあります。

槍 白鞘入り

槍 白鞘入り

¥180,000

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仕様

長さ

12 cm

元幅

2.12 cm

流派について

Owari Masatsune School尾張政常派

尾張政常は、美濃国納土に生まれた相模守政常を祖とする一系である。政常は初め兼常と銘し、永禄十年に分家独立して小牧村に移り、この頃に名を政常と改めたとみられる。天正十九年五月に相模守を受領し、慶長五年、松平忠吉に従って清洲に移った。清洲では伯耆守信高、飛騨守氏房とともに鍛刀し、後世に尾張三作と称される一人となり、やがて尾張徳川家の抱え工となっている。慶長十二年には入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、二代が急逝したため再び現役に復し、以後政常入道と入道銘を用いたといい、元和五年、八十四歳で歿したと伝える。説示が扱う工は、この相模守政常を中心とし、兼常と二字に銘した初期作から、相模守を受領して以後の政常時代、さらに政常入道銘の時期に及ぶ。あわせて、岐阜大道の子で相模守政常の養子となり二代目を継いだ美濃守政常も含まれ、本国美濃の関鍛冶を根に、清洲移住を経て尾張藩の庇護下に展開した一門である。 作風は説示が繰り返し記すところに明瞭である。鍛えは板目に杢を交え、棟寄りに流れて柾がかる傾向を示し、地沸が微塵によくつき、地景がよく入る。区下や区際から水影風の立つ例も認められる。刃文は中直刃を基調とし、処々に小互の目・小丁子を交え、小足・葉が入り、小沸がよくつく。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけがあらわれ、金筋・砂流しが細かにかかって匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸、あるいは浅くのたれて返り、先を掃きかける。彫物には素剣・護摩箸・梵字・倶梨迦羅などがみられ、刀身によく調和して作を引き締めている。現存する作は平造の脇指・短刀が最も多く、しかも上手であって、刀および鎬造の脇指は極めて少ない。一方で槍・薙刀を得意とし、槍は平三角造の直槍が多く、稀に両鎬造や十文字を見る。見分けの要は、柾がかる地鉄に明るい直刃を主体とする端正な作柄と、刃縁の二重刃・喰違刃や帽子の掃きかけにあり、互の目が箱がかって沸の強まる乱刃の一作風も知られる。 鑑定にあたっては、まず銘の推移を押さえることが肝要である。兼常二字銘は政常受領以前の初期作にあたり、室町後期永禄頃の体配を示すため、同工の作域を知るうえで資料的価値が高い。政常入道銘は二代の急逝後に再び鍛刀した時期のもので、太鏨の長銘や七字銘を指表に切る例が多い。代表的な作には、相州貞宗や信国に範を求めたとみられる乱刃の優品、得意の直刃を端正に焼いた脇指・短刀、笹穂や両鎬の槍、大振りの薙刀があり、藻柄子宗典一作の拵に納められた脇指のように後世まで伝えられた例もある。刀や鎬造脇指の遺例が乏しいことから、これらは政常研究の資料としても重んじられる。尾張三作の一として清洲鍛冶の系譜に位置づけられ、美濃伝を根としながら相州風をも取り入れた点に、桃山から江戸初期の尾張新刀を代表する地位がある。

刀剣商

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