骨董日本刀 脇差 無銘 伯耆守信高(三代) NTHK鑑定書付 【解説】 信高は当初「信照」と銘じていましたが、寛文五年(1665年)、三十四歳の時に「伯耆守」を受領しました。その後、父の名を継承し、三代信高となりました。 同年、尾張藩二代藩主・徳川光友公のお抱え鍛冶として登用されます。「お抱え鍛冶」とは、江戸時代において同地域で最大の権勢を誇った尾張徳川家のために、専属で刀剣を打つことを許された名誉ある地位です。 江戸時代初期の尾張国(現在の愛知県)は武芸が盛んであったため、上級武士の間で三代信高への作刀依頼が絶えませんでした。彼は父である二代信高との合作も多く手掛けており、双方の銘が残る作品も現存しています。 信高の家系は、日本刀の五箇伝の一つとして名高い「美濃伝」の地、美濃国をルーツとしています。初代から五代にわたり「伯耆守」を受領しており、この「受領銘」は優れた技術を持つ刀工に対し、朝廷より授けられた官位です。信高は江戸時代初期の尾張を代表する名工の一人として広く知られています。 本刀は無銘(茎に銘がない状態)ではありますが、刃文、地鉄、姿などの作風から、NTHK(日本刀保存刀剣会)により三代伯耆守信高の真作と鑑定されています。 【刀身】 長さ(Nagasa):52.1 cm 反り(Sori):1.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago): 日本刀の柄に収まる中心(なかご)部分です。刀工はあえて茎に黒錆を残すことで、柄内での赤錆の発生を防ぎました。この茎の錆色は長い年月を経て形成されるものであり、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵(Koshirae)】 拵は日本刀の外装です。鞘、柄、鍔などの諸工作で構成されており、本作は鮫皮や銀を用いた意匠が施されています。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護し、装飾する一対の金具です。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀を握る部位であり、目貫はその装飾と滑り止めの役割を果たします。 本作には菊文様が施されています。古来、中国で菊は不老長寿の薬草とされ、奈良時代にその思想と共に日本へ伝わりました。秋を象徴する花として古くから愛でられ、放射状に広がる花弁が太陽に見立てられることから、不老不死や延命長寿、無病息災の象徴とされています。「菊の御紋」として皇室の紋章にも用いられる、極めて格調高い文様です。 鍔・鎺(Tsuba / Habaki): 鍔は手を守るための護具であり、鎺(はばき)は刀身を鞘内に固定し、刀身が鞘の内側に触れて錆びたり毀れたりするのを防ぐ重要な金具です。 小柄穴と馬針穴(笄穴)を備えた八角形の鍔には、龍の図が施されています。表面には二匹の龍が宝珠を追いかける姿が描かれています。龍は中国の神話に由来する想像上の生物であり、瑞祥(吉兆)の象徴です。その姿は「九似(きゅうじ)」、すなわち角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼(または兎)、項は蛇、腹は蜃(しん)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似るとされ、あらゆる動物の頂点に立つ聖獣と考えられてきました。日本においても、龍は古来より崇められてきた存在です。

















美濃伝 · 尾張 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在3点販売中
信高の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在9点販売中
三阿弥は美濃国に興った刀工の一派で、説示に拠れば関七流の一つに数えられ、その頭領が兼則であったと伝える。兼則は古伝書や銘鑑に南北朝末期から室町初期の応永にかけて存在したことが記され、現存する作例の最古とみられる太刀は作風と銘字の書風から応永を降らぬものと鑑せられている。同派の兼国は、その遠祖を南北朝時代の直江兼友門とも、大和兼国あるいは兼則の子ともいうが、そこまで時代の溯る作は未だ見られず、室町期に入って同銘数工におよび、末関に至るまで栄えた。兼則は兼元・兼定らと共に末関を代表する刀工に位置づけられる。下って桃山から江戸初期には、三阿弥兼国の子孫と伝える伯耆守藤原信高が出る。初代信高は永禄六年に美濃国上有知(現美濃町)に生まれ、河村左衛門と称し、天正九年十九歳で伯耆守を受領し、のち尾州清洲を経て徳川義直に従い慶長十五・六年頃に名古屋へ移った。寛永十年に隠居して入道銘を慶遊といい、同十三年に七十六歳で歿している。鍛えや帽子に美濃伝の見どころを残しつつ、活動の地は美濃から尾張へと移っている。 作風は時代と工により振幅が大きい。兼則・兼国ら室町期の作は、小板目あるいは板目がよくつみ、処々流れごころとなって地沸が細かにつき、白けごころをまじえる鍛えに、匂口の締まった直刃を基調とし、小互の目や角ばる刃、尖り刃を交え、足が入り、処々ほつれて飛焼がかかり、帽子は直ぐに小丸、あるいは尖りごころに返って掃きかけるものがある。兼国の優作は地鉄ともども冴えて明るく、一見善定兼吉の出来を思わせると評される。信高に至ると姿は一変し、室町最末期から桃山期にかけての幅広・大鋒の堂々たる豪壮な体配を示し、広直刃を基調に浅くのたれ、裏は小のたれに互の目ごころの刃を交え、匂深く沸がよくつき、部分的に荒めの沸をまじえて焼頭が沸崩れ、処々ほつれて喰違刃風となり、砂流し・金筋・湯走り・飛焼が鎬地にまたがって頻りにかかり、上半は皆焼風となる。帽子を焼き深く大胆に一枚風として長く返らせ、板目に流れ肌をまじえる鍛えや帽子の地蔵風に出身たる美濃伝の名残を窺わせる。見分けには、室町期の締まった直刃と冴えた地鉄、信高の沸づき変化に富む放胆な刃取りと豪壮な姿という時代差が手がかりとなる。 鑑定の要点は、兼則の「兼」の字の第四画目の鏨がしゃくれるところで、これは康応や応永年紀の兼吉にも見られ、南北朝末から応永にかけての銘の特徴とされる。信高には初代と二代があり、二代は初代の子で寛永十年に伯耆守を受領、寛文二年六十歳で入道し、元禄二年八十七歳で歿した。その技倆は父に劣らず、現存作中の優秀作は多くがこの二代の手になるという。伝来の明らかな作も多く、兼則には山之内家伝来の太刀、兼国には相模国小田原藩主大久保家の旧蔵で大久保忠成が九十三歳で指料とした旨を金象嵌に刻む一口があり、いずれも資料性が高い。信高には天正九年伯耆守受領直後の作で稲葉江写しとして名高い一口や、尾張刀工に多い槍のうちでも稀な長大作があって、その技を伝える。美濃に発し関七流の一角を占めた一派が、末関を経て尾張へ伝統を運んだ流れを、これらの作は示している。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
骨董日本刀 脇差 無銘 伯耆守信高(三代) NTHK鑑定書付 【解説】 信高は当初「信照」と銘じていましたが、寛文五年(1665年)、三十四歳の時に「伯耆守」を受領しました。その後、父の名を継承し、三代信高となりました。 同年、尾張藩二代藩主・徳川光友公のお抱え鍛冶として登用されます。「お抱え鍛冶」とは、江戸時代において同地域で最大の権勢を誇った尾張徳川家のために、専属で刀剣を打つことを許された名誉ある地位です。 江戸時代初期の尾張国(現在の愛知県)は武芸が盛んであったため、上級武士の間で三代信高への作刀依頼が絶えませんでした。彼は父である二代信高との合作も多く手掛けており、双方の銘が残る作品も現存しています。 信高の家系は、日本刀の五箇伝の一つとして名高い「美濃伝」の地、美濃国をルーツとしています。初代から五代にわたり「伯耆守」を受領しており、この「受領銘」は優れた技術を持つ刀工に対し、朝廷より授けられた官位です。信高は江戸時代初期の尾張を代表する名工の一人として広く知られています。 本刀は無銘(茎に銘がない状態)ではありますが、刃文、地鉄、姿などの作風から、NTHK(日本刀保存刀剣会)により三代伯耆守信高の真作と鑑定されています。 【刀身】 長さ(Nagasa):52.1 cm 反り(Sori):1.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago): 日本刀の柄に収まる中心(なかご)部分です。刀工はあえて茎に黒錆を残すことで、柄内での赤錆の発生を防ぎました。この茎の錆色は長い年月を経て形成されるものであり、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵(Koshirae)】 拵は日本刀の外装です。鞘、柄、鍔などの諸工作で構成されており、本作は鮫皮や銀を用いた意匠が施されています。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護し、装飾する一対の金具です。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀を握る部位であり、目貫はその装飾と滑り止めの役割を果たします。 本作には菊文様が施されています。古来、中国で菊は不老長寿の薬草とされ、奈良時代にその思想と共に日本へ伝わりました。秋を象徴する花として古くから愛でられ、放射状に広がる花弁が太陽に見立てられることから、不老不死や延命長寿、無病息災の象徴とされています。「菊の御紋」として皇室の紋章にも用いられる、極めて格調高い文様です。 鍔・鎺(Tsuba / Habaki): 鍔は手を守るための護具であり、鎺(はばき)は刀身を鞘内に固定し、刀身が鞘の内側に触れて錆びたり毀れたりするのを防ぐ重要な金具です。 小柄穴と馬針穴(笄穴)を備えた八角形の鍔には、龍の図が施されています。表面には二匹の龍が宝珠を追いかける姿が描かれています。龍は中国の神話に由来する想像上の生物であり、瑞祥(吉兆)の象徴です。その姿は「九似(きゅうじ)」、すなわち角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼(または兎)、項は蛇、腹は蜃(しん)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似るとされ、あらゆる動物の頂点に立つ聖獣と考えられてきました。日本においても、龍は古来より崇められてきた存在です。

















美濃伝 · 尾張 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在3点販売中
信高の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
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三阿弥は美濃国に興った刀工の一派で、説示に拠れば関七流の一つに数えられ、その頭領が兼則であったと伝える。兼則は古伝書や銘鑑に南北朝末期から室町初期の応永にかけて存在したことが記され、現存する作例の最古とみられる太刀は作風と銘字の書風から応永を降らぬものと鑑せられている。同派の兼国は、その遠祖を南北朝時代の直江兼友門とも、大和兼国あるいは兼則の子ともいうが、そこまで時代の溯る作は未だ見られず、室町期に入って同銘数工におよび、末関に至るまで栄えた。兼則は兼元・兼定らと共に末関を代表する刀工に位置づけられる。下って桃山から江戸初期には、三阿弥兼国の子孫と伝える伯耆守藤原信高が出る。初代信高は永禄六年に美濃国上有知(現美濃町)に生まれ、河村左衛門と称し、天正九年十九歳で伯耆守を受領し、のち尾州清洲を経て徳川義直に従い慶長十五・六年頃に名古屋へ移った。寛永十年に隠居して入道銘を慶遊といい、同十三年に七十六歳で歿している。鍛えや帽子に美濃伝の見どころを残しつつ、活動の地は美濃から尾張へと移っている。 作風は時代と工により振幅が大きい。兼則・兼国ら室町期の作は、小板目あるいは板目がよくつみ、処々流れごころとなって地沸が細かにつき、白けごころをまじえる鍛えに、匂口の締まった直刃を基調とし、小互の目や角ばる刃、尖り刃を交え、足が入り、処々ほつれて飛焼がかかり、帽子は直ぐに小丸、あるいは尖りごころに返って掃きかけるものがある。兼国の優作は地鉄ともども冴えて明るく、一見善定兼吉の出来を思わせると評される。信高に至ると姿は一変し、室町最末期から桃山期にかけての幅広・大鋒の堂々たる豪壮な体配を示し、広直刃を基調に浅くのたれ、裏は小のたれに互の目ごころの刃を交え、匂深く沸がよくつき、部分的に荒めの沸をまじえて焼頭が沸崩れ、処々ほつれて喰違刃風となり、砂流し・金筋・湯走り・飛焼が鎬地にまたがって頻りにかかり、上半は皆焼風となる。帽子を焼き深く大胆に一枚風として長く返らせ、板目に流れ肌をまじえる鍛えや帽子の地蔵風に出身たる美濃伝の名残を窺わせる。見分けには、室町期の締まった直刃と冴えた地鉄、信高の沸づき変化に富む放胆な刃取りと豪壮な姿という時代差が手がかりとなる。 鑑定の要点は、兼則の「兼」の字の第四画目の鏨がしゃくれるところで、これは康応や応永年紀の兼吉にも見られ、南北朝末から応永にかけての銘の特徴とされる。信高には初代と二代があり、二代は初代の子で寛永十年に伯耆守を受領、寛文二年六十歳で入道し、元禄二年八十七歳で歿した。その技倆は父に劣らず、現存作中の優秀作は多くがこの二代の手になるという。伝来の明らかな作も多く、兼則には山之内家伝来の太刀、兼国には相模国小田原藩主大久保家の旧蔵で大久保忠成が九十三歳で指料とした旨を金象嵌に刻む一口があり、いずれも資料性が高い。信高には天正九年伯耆守受領直後の作で稲葉江写しとして名高い一口や、尾張刀工に多い槍のうちでも稀な長大作があって、その技を伝える。美濃に発し関七流の一角を占めた一派が、末関を経て尾張へ伝統を運んだ流れを、これらの作は示している。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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