二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
伯耆守藤原信高(尾張三代) 【流派】尾張 【時代】新刀 延宝頃(1673-1681年) 【鑑定/種別】日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣(2020年) 甲種特別貴重刀剣(1977年) 【銘】伯耆守藤原信高 【刀工大鑑評価】350万円 【藤代評価】中上作 【形状】脇差 【長さ】54.6 cm(一尺八寸強) 【造り】鎬造 【反り】鳥居反り 【反り寸】1.2 cm 【切先】中切先 【切先寸】3.1 cm 【棟】庵棟 【重ね】7 mm 【元幅】3.3 cm 【先幅】2.3 cm 【茎状態】生茎 【茎形状】標準、刃上がり栗尻 【目釘孔】一個 【鑢目】筋違、上部切 【刃文】沸出来、直調に湾れと互乃目が交じる。匂口明るく冴え、厚みも均一でよく整う。 【帽子】小丸、返り長く横手下1cmほどまで焼き下げる。 【鍛え】板目に木目交じる。小沸つく地沸厚く、地景盛んに入る。 【解説】 本作は尾張三代伯耆守信高による優品です。三代信高は延宝頃(1673-1681年)に活躍した名工で、俗名を河村三之丞、若年期には信照と銘じました。寛文五年(1665年)に伯耆守を受領し、宝永四年(1707年)八月に七十六歳で没しています。 信高系は、初代政常・氏房・信高からなる「尾張三作」の流れを汲む名門であり、その系譜は江戸時代を通じて十代まで続きました。中でもこの三代信高は評価が高く、刀工大鑑では350万円の評価、藤代銘鑑では中上作に列せられています。 本作は古い研ぎながら状態は良好で、僅かなヒケがあるものの、身幅広く重ね厚い健全な体配で、手に取ればその力強さが伝わります。生茎・在銘で目釘孔は一個。2020年の特別保存刀剣はもちろん、1977年の甲種特別貴重刀剣認定という由緒ある経歴を持ちます。金箔周金ハバキ、および造りの良い古白鞘が付属します。 名工による、鑑定書付きの健全な生茎在銘脇差を所有する絶好の機会です。 商談中 販売品一覧へ戻る













美濃伝 · 尾張 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在3点販売中
信高の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在9点販売中
三阿弥は美濃国に興った刀工の一派で、説示に拠れば関七流の一つに数えられ、その頭領が兼則であったと伝える。兼則は古伝書や銘鑑に南北朝末期から室町初期の応永にかけて存在したことが記され、現存する作例の最古とみられる太刀は作風と銘字の書風から応永を降らぬものと鑑せられている。同派の兼国は、その遠祖を南北朝時代の直江兼友門とも、大和兼国あるいは兼則の子ともいうが、そこまで時代の溯る作は未だ見られず、室町期に入って同銘数工におよび、末関に至るまで栄えた。兼則は兼元・兼定らと共に末関を代表する刀工に位置づけられる。下って桃山から江戸初期には、三阿弥兼国の子孫と伝える伯耆守藤原信高が出る。初代信高は永禄六年に美濃国上有知(現美濃町)に生まれ、河村左衛門と称し、天正九年十九歳で伯耆守を受領し、のち尾州清洲を経て徳川義直に従い慶長十五・六年頃に名古屋へ移った。寛永十年に隠居して入道銘を慶遊といい、同十三年に七十六歳で歿している。鍛えや帽子に美濃伝の見どころを残しつつ、活動の地は美濃から尾張へと移っている。 作風は時代と工により振幅が大きい。兼則・兼国ら室町期の作は、小板目あるいは板目がよくつみ、処々流れごころとなって地沸が細かにつき、白けごころをまじえる鍛えに、匂口の締まった直刃を基調とし、小互の目や角ばる刃、尖り刃を交え、足が入り、処々ほつれて飛焼がかかり、帽子は直ぐに小丸、あるいは尖りごころに返って掃きかけるものがある。兼国の優作は地鉄ともども冴えて明るく、一見善定兼吉の出来を思わせると評される。信高に至ると姿は一変し、室町最末期から桃山期にかけての幅広・大鋒の堂々たる豪壮な体配を示し、広直刃を基調に浅くのたれ、裏は小のたれに互の目ごころの刃を交え、匂深く沸がよくつき、部分的に荒めの沸をまじえて焼頭が沸崩れ、処々ほつれて喰違刃風となり、砂流し・金筋・湯走り・飛焼が鎬地にまたがって頻りにかかり、上半は皆焼風となる。帽子を焼き深く大胆に一枚風として長く返らせ、板目に流れ肌をまじえる鍛えや帽子の地蔵風に出身たる美濃伝の名残を窺わせる。見分けには、室町期の締まった直刃と冴えた地鉄、信高の沸づき変化に富む放胆な刃取りと豪壮な姿という時代差が手がかりとなる。 鑑定の要点は、兼則の「兼」の字の第四画目の鏨がしゃくれるところで、これは康応や応永年紀の兼吉にも見られ、南北朝末から応永にかけての銘の特徴とされる。信高には初代と二代があり、二代は初代の子で寛永十年に伯耆守を受領、寛文二年六十歳で入道し、元禄二年八十七歳で歿した。その技倆は父に劣らず、現存作中の優秀作は多くがこの二代の手になるという。伝来の明らかな作も多く、兼則には山之内家伝来の太刀、兼国には相模国小田原藩主大久保家の旧蔵で大久保忠成が九十三歳で指料とした旨を金象嵌に刻む一口があり、いずれも資料性が高い。信高には天正九年伯耆守受領直後の作で稲葉江写しとして名高い一口や、尾張刀工に多い槍のうちでも稀な長大作があって、その技を伝える。美濃に発し関七流の一角を占めた一派が、末関を経て尾張へ伝統を運んだ流れを、これらの作は示している。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト3 day inspection period on all sales. Items can be returned for any reason for a full refund, less return shipping cost. Returned items must be in the same condition as when purchased.
伯耆守藤原信高(尾張三代) 【流派】尾張 【時代】新刀 延宝頃(1673-1681年) 【鑑定/種別】日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣(2020年) 甲種特別貴重刀剣(1977年) 【銘】伯耆守藤原信高 【刀工大鑑評価】350万円 【藤代評価】中上作 【形状】脇差 【長さ】54.6 cm(一尺八寸強) 【造り】鎬造 【反り】鳥居反り 【反り寸】1.2 cm 【切先】中切先 【切先寸】3.1 cm 【棟】庵棟 【重ね】7 mm 【元幅】3.3 cm 【先幅】2.3 cm 【茎状態】生茎 【茎形状】標準、刃上がり栗尻 【目釘孔】一個 【鑢目】筋違、上部切 【刃文】沸出来、直調に湾れと互乃目が交じる。匂口明るく冴え、厚みも均一でよく整う。 【帽子】小丸、返り長く横手下1cmほどまで焼き下げる。 【鍛え】板目に木目交じる。小沸つく地沸厚く、地景盛んに入る。 【解説】 本作は尾張三代伯耆守信高による優品です。三代信高は延宝頃(1673-1681年)に活躍した名工で、俗名を河村三之丞、若年期には信照と銘じました。寛文五年(1665年)に伯耆守を受領し、宝永四年(1707年)八月に七十六歳で没しています。 信高系は、初代政常・氏房・信高からなる「尾張三作」の流れを汲む名門であり、その系譜は江戸時代を通じて十代まで続きました。中でもこの三代信高は評価が高く、刀工大鑑では350万円の評価、藤代銘鑑では中上作に列せられています。 本作は古い研ぎながら状態は良好で、僅かなヒケがあるものの、身幅広く重ね厚い健全な体配で、手に取ればその力強さが伝わります。生茎・在銘で目釘孔は一個。2020年の特別保存刀剣はもちろん、1977年の甲種特別貴重刀剣認定という由緒ある経歴を持ちます。金箔周金ハバキ、および造りの良い古白鞘が付属します。 名工による、鑑定書付きの健全な生茎在銘脇差を所有する絶好の機会です。 商談中 販売品一覧へ戻る













美濃伝 · 尾張 · 1673-1681頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在3点販売中
信高の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在9点販売中
三阿弥は美濃国に興った刀工の一派で、説示に拠れば関七流の一つに数えられ、その頭領が兼則であったと伝える。兼則は古伝書や銘鑑に南北朝末期から室町初期の応永にかけて存在したことが記され、現存する作例の最古とみられる太刀は作風と銘字の書風から応永を降らぬものと鑑せられている。同派の兼国は、その遠祖を南北朝時代の直江兼友門とも、大和兼国あるいは兼則の子ともいうが、そこまで時代の溯る作は未だ見られず、室町期に入って同銘数工におよび、末関に至るまで栄えた。兼則は兼元・兼定らと共に末関を代表する刀工に位置づけられる。下って桃山から江戸初期には、三阿弥兼国の子孫と伝える伯耆守藤原信高が出る。初代信高は永禄六年に美濃国上有知(現美濃町)に生まれ、河村左衛門と称し、天正九年十九歳で伯耆守を受領し、のち尾州清洲を経て徳川義直に従い慶長十五・六年頃に名古屋へ移った。寛永十年に隠居して入道銘を慶遊といい、同十三年に七十六歳で歿している。鍛えや帽子に美濃伝の見どころを残しつつ、活動の地は美濃から尾張へと移っている。 作風は時代と工により振幅が大きい。兼則・兼国ら室町期の作は、小板目あるいは板目がよくつみ、処々流れごころとなって地沸が細かにつき、白けごころをまじえる鍛えに、匂口の締まった直刃を基調とし、小互の目や角ばる刃、尖り刃を交え、足が入り、処々ほつれて飛焼がかかり、帽子は直ぐに小丸、あるいは尖りごころに返って掃きかけるものがある。兼国の優作は地鉄ともども冴えて明るく、一見善定兼吉の出来を思わせると評される。信高に至ると姿は一変し、室町最末期から桃山期にかけての幅広・大鋒の堂々たる豪壮な体配を示し、広直刃を基調に浅くのたれ、裏は小のたれに互の目ごころの刃を交え、匂深く沸がよくつき、部分的に荒めの沸をまじえて焼頭が沸崩れ、処々ほつれて喰違刃風となり、砂流し・金筋・湯走り・飛焼が鎬地にまたがって頻りにかかり、上半は皆焼風となる。帽子を焼き深く大胆に一枚風として長く返らせ、板目に流れ肌をまじえる鍛えや帽子の地蔵風に出身たる美濃伝の名残を窺わせる。見分けには、室町期の締まった直刃と冴えた地鉄、信高の沸づき変化に富む放胆な刃取りと豪壮な姿という時代差が手がかりとなる。 鑑定の要点は、兼則の「兼」の字の第四画目の鏨がしゃくれるところで、これは康応や応永年紀の兼吉にも見られ、南北朝末から応永にかけての銘の特徴とされる。信高には初代と二代があり、二代は初代の子で寛永十年に伯耆守を受領、寛文二年六十歳で入道し、元禄二年八十七歳で歿した。その技倆は父に劣らず、現存作中の優秀作は多くがこの二代の手になるという。伝来の明らかな作も多く、兼則には山之内家伝来の太刀、兼国には相模国小田原藩主大久保家の旧蔵で大久保忠成が九十三歳で指料とした旨を金象嵌に刻む一口があり、いずれも資料性が高い。信高には天正九年伯耆守受領直後の作で稲葉江写しとして名高い一口や、尾張刀工に多い槍のうちでも稀な長大作があって、その技を伝える。美濃に発し関七流の一角を占めた一派が、末関を経て尾張へ伝統を運んだ流れを、これらの作は示している。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト3 day inspection period on all sales. Items can be returned for any reason for a full refund, less return shipping cost. Returned items must be in the same condition as when purchased.