日本刀 脇差:銘 荘司弥門直勝(二代直勝) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣 【解説】 本作は文久元年(1861年)八月に、荘司弥門直勝によって制作された一振りです。直勝は安政から文久年間(1854-1864年)にかけて特に活躍した、江戸の水心子正秀門下に属する工で、二代次郎太郎直勝としても広く知られています。 天保六年(1835年)、初代次郎太郎直勝の長男として生まれ、本作が打たれた当時は二十代半ばの働き盛りでした。作刀初期には「直義」と銘じています。 父である初代次郎太郎直勝は、大慶直胤の門人となり、後にその養子となりました。江戸へ移った後は、新々刀の祖として名高い水心子正秀と同じく、名門・秋元家に仕えました。直胤は正秀の高弟であり、その作風は五箇伝の中でも特に相州伝や備前伝を強く意識したものが多く見られます。 安政五年(1858年)に初代が没した後、息子の直義が家督を継ぎ、名を「直勝」と改めました。父や直胤から受け継いだ高い技術を遺憾なく発揮し、明治十七年(1884年)に没するまで、数多くの優れた作品を残しています。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(Nagasa):45.9 cm 反り(Sori):0.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この錆の色や状態は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【外装(Koshirae)】 拵(Koshirae)とは、鞘、柄、鍔などの刀装具一式を指します。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護する一対の金具です。 本作の縁頭には松の図が施されています。彫りは精緻かつ立体的で、厳しい寒暑に耐え年中色を変えない松は、古来より不老長寿の象徴とされてきました。また、その色は「常盤色(ときわいろ)」と呼ばれ、不変を意味する「常盤」の名を冠したこの色は、長寿と繁栄への願いを込めた吉祥の色として、特に江戸時代に好まれました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 目貫は柄の装飾を兼ねた手溜めの金具です。 本作の目貫は「笹」をモチーフにしていると思われます。竹や笹は、鳳凰がその実を食すという伝説から神聖な植物とされ、冬でも緑を絶やさないことから、永遠や長寿を象徴する文様として親しまれてきました。
在銘 · Suishinshi Masahide · 新々刀 · 長さ 45.9cm · 反り 0.9cm




















新々刀 · 武蔵
現在75点販売中
水心子正秀派は、十八世紀末から十九世紀初頭の江戸に興り、刀はすべて鎌倉の昔に復すべしとする復古刀運動を中核に据えた新々刀の一門である。開祖水心子正秀は、寛延三年に出羽国赤湯に川部儀八郎として生まれ[[c:1]]、武州下原の鍛冶吉英に学んだのち山形秋元家に仕え、のちに江戸浜町に移って約五十年に及ぶ作刀生活を送り、文政八年に七十六歳で歿した。彼は新々刀の祖と称され、古作の伝法を意図して甦らせることを唱えてその理論を世に広めたが、説明書は正秀自身の才のありかをむしろ壮年までの大坂写しに見いだす。この一門の物語で最も重きをなすのは、彼が江戸に糾合し育てた門人たちであろう。復古刀論を実地に示した第一の門人大慶直胤、二代正義細川守秀がその直下に立ち、さらに直胤の門から養子となった次郎太郎直勝、直胤の女婿と伝える水心子正次、正義の嫡子正守、米沢上杉家に仕えた長運斎綱俊、水戸藩工直江助政が連なって、出羽・江戸を中心に各藩へと広がった。 この一門を貫く共通の語法は、古刀各伝の意図的な復興にある。よく約んだ無地風に近い小板目に地沸を厚くつけ、その地の上に相州伝ののたれ・互の目、あるいは備前伝の丁子・互の目を焼くのが基調で、技術論的かつ教導的な性格がこれを支える。正秀の典型は津田助広に私淑した大坂写しの濤瀾乱れと井上真改風の広直刃にあり、地へこぼれる黒味がちの荒い沸が終始の手癖をなした。これに対して門人たちは古備前への遡りをいっそう深め、新々刀には本来失われた映りを意図して甦らせた。直胤はよくつんだ小板目に乱れ映りを鮮明に立て、後期長船の逆がかりを示す丁子乱れを焼いてこれを得意とし、説明書はその丁子乱れの巧みさを新々刀第一と評する。直勝は兼光に範をとった片落ち互の目を主体に、直胤よりも豪壮な姿と低く静かな焼きで古調を醸し、正次と正守はともに直胤・正義の二伝を忠実に承けて相州伝と備前伝を均しく再現し、綱俊は丁子に互の目を交えた備前伝を主調とした。一方で正秀みずからの備前伝・相州伝は終始焼刃が浅く荒い沸を交え、説明書はその技が門人直胤に及ばないと明記する。差異は資料の支持する範囲で明瞭で、直胤の備前・相州の両伝、直勝の長船写しに見る逆がかりと大杢目、助政の真改風直刃に偏した作域がそれぞれを分かつ。 鑑定の勘所は、まずこの意図的な映りと逆がかりに置かれる。明るい乱れ映りと角互の目を伴う逆がかりの丁子は、映りも逆がかりも持たぬ一般の新々刀から備前伝を分かち、相州伝は独特の渦巻肌と叢づき縞がかる沸の働きによって示される。位列としては正秀を上々作、直胤を最上作の在銘の大名跡とし、正義に次ぐ正守、綱俊、助政らがこれに続く。この一門は在銘・有年紀の作を数多く遺したため、その鑑定の問題は極めの難ではなくむしろ系統内の位置にあり、年ごとに変化する銘がその発展を正確に辿らせる。伝来は真田家伝来の大小や皇室に伝わった御太刀の副作、各藩工としての藩命作にうかがわれ、正秀が向き直らせた江戸の作刀は直胤を介して直勝・正次らへ受け継がれ、兼光・景光をねらった長船復古として幕末の十九世紀作刀に広く及んだ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差:銘 荘司弥門直勝(二代直勝) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣 【解説】 本作は文久元年(1861年)八月に、荘司弥門直勝によって制作された一振りです。直勝は安政から文久年間(1854-1864年)にかけて特に活躍した、江戸の水心子正秀門下に属する工で、二代次郎太郎直勝としても広く知られています。 天保六年(1835年)、初代次郎太郎直勝の長男として生まれ、本作が打たれた当時は二十代半ばの働き盛りでした。作刀初期には「直義」と銘じています。 父である初代次郎太郎直勝は、大慶直胤の門人となり、後にその養子となりました。江戸へ移った後は、新々刀の祖として名高い水心子正秀と同じく、名門・秋元家に仕えました。直胤は正秀の高弟であり、その作風は五箇伝の中でも特に相州伝や備前伝を強く意識したものが多く見られます。 安政五年(1858年)に初代が没した後、息子の直義が家督を継ぎ、名を「直勝」と改めました。父や直胤から受け継いだ高い技術を遺憾なく発揮し、明治十七年(1884年)に没するまで、数多くの優れた作品を残しています。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(Nagasa):45.9 cm 反り(Sori):0.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この錆の色や状態は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【外装(Koshirae)】 拵(Koshirae)とは、鞘、柄、鍔などの刀装具一式を指します。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護する一対の金具です。 本作の縁頭には松の図が施されています。彫りは精緻かつ立体的で、厳しい寒暑に耐え年中色を変えない松は、古来より不老長寿の象徴とされてきました。また、その色は「常盤色(ときわいろ)」と呼ばれ、不変を意味する「常盤」の名を冠したこの色は、長寿と繁栄への願いを込めた吉祥の色として、特に江戸時代に好まれました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 目貫は柄の装飾を兼ねた手溜めの金具です。 本作の目貫は「笹」をモチーフにしていると思われます。竹や笹は、鳳凰がその実を食すという伝説から神聖な植物とされ、冬でも緑を絶やさないことから、永遠や長寿を象徴する文様として親しまれてきました。
在銘 · Suishinshi Masahide · 新々刀 · 長さ 45.9cm · 反り 0.9cm




















新々刀 · 武蔵
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水心子正秀派は、十八世紀末から十九世紀初頭の江戸に興り、刀はすべて鎌倉の昔に復すべしとする復古刀運動を中核に据えた新々刀の一門である。開祖水心子正秀は、寛延三年に出羽国赤湯に川部儀八郎として生まれ[[c:1]]、武州下原の鍛冶吉英に学んだのち山形秋元家に仕え、のちに江戸浜町に移って約五十年に及ぶ作刀生活を送り、文政八年に七十六歳で歿した。彼は新々刀の祖と称され、古作の伝法を意図して甦らせることを唱えてその理論を世に広めたが、説明書は正秀自身の才のありかをむしろ壮年までの大坂写しに見いだす。この一門の物語で最も重きをなすのは、彼が江戸に糾合し育てた門人たちであろう。復古刀論を実地に示した第一の門人大慶直胤、二代正義細川守秀がその直下に立ち、さらに直胤の門から養子となった次郎太郎直勝、直胤の女婿と伝える水心子正次、正義の嫡子正守、米沢上杉家に仕えた長運斎綱俊、水戸藩工直江助政が連なって、出羽・江戸を中心に各藩へと広がった。 この一門を貫く共通の語法は、古刀各伝の意図的な復興にある。よく約んだ無地風に近い小板目に地沸を厚くつけ、その地の上に相州伝ののたれ・互の目、あるいは備前伝の丁子・互の目を焼くのが基調で、技術論的かつ教導的な性格がこれを支える。正秀の典型は津田助広に私淑した大坂写しの濤瀾乱れと井上真改風の広直刃にあり、地へこぼれる黒味がちの荒い沸が終始の手癖をなした。これに対して門人たちは古備前への遡りをいっそう深め、新々刀には本来失われた映りを意図して甦らせた。直胤はよくつんだ小板目に乱れ映りを鮮明に立て、後期長船の逆がかりを示す丁子乱れを焼いてこれを得意とし、説明書はその丁子乱れの巧みさを新々刀第一と評する。直勝は兼光に範をとった片落ち互の目を主体に、直胤よりも豪壮な姿と低く静かな焼きで古調を醸し、正次と正守はともに直胤・正義の二伝を忠実に承けて相州伝と備前伝を均しく再現し、綱俊は丁子に互の目を交えた備前伝を主調とした。一方で正秀みずからの備前伝・相州伝は終始焼刃が浅く荒い沸を交え、説明書はその技が門人直胤に及ばないと明記する。差異は資料の支持する範囲で明瞭で、直胤の備前・相州の両伝、直勝の長船写しに見る逆がかりと大杢目、助政の真改風直刃に偏した作域がそれぞれを分かつ。 鑑定の勘所は、まずこの意図的な映りと逆がかりに置かれる。明るい乱れ映りと角互の目を伴う逆がかりの丁子は、映りも逆がかりも持たぬ一般の新々刀から備前伝を分かち、相州伝は独特の渦巻肌と叢づき縞がかる沸の働きによって示される。位列としては正秀を上々作、直胤を最上作の在銘の大名跡とし、正義に次ぐ正守、綱俊、助政らがこれに続く。この一門は在銘・有年紀の作を数多く遺したため、その鑑定の問題は極めの難ではなくむしろ系統内の位置にあり、年ごとに変化する銘がその発展を正確に辿らせる。伝来は真田家伝来の大小や皇室に伝わった御太刀の副作、各藩工としての藩命作にうかがわれ、正秀が向き直らせた江戸の作刀は直胤を介して直勝・正次らへ受け継がれ、兼光・景光をねらった長船復古として幕末の十九世紀作刀に広く及んだ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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