鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
UJKA214 – 売約済 畠田光守 大刀 (畠田光守) 畠田光守は鎌倉時代における備前国の名工であり、備前国畠田村を拠点に活躍した同派を代表する工です。畠田派は鎌倉時代後期の備前鍛冶において中核をなす存在であり、藤代義雄氏の評価においても「上々作」に列せられる光守はその筆頭に挙げられます。光守の刀は古来、堀田家や秋元家といった大名家に珍重されてきましたが、現存する作刀は極めて稀少です。 本作は、鎌倉期の上々作に相応しい気品に満ちた姿を見せています。小板目に杢目が交じり、地沸厚くつき、地景が細かく入る精緻な鍛えに、華やかな互の目丁子乱れを焼き、畠田派の特色である「蛙子丁子」が鮮やかに現れています。さらに地には乱れ映りが鮮明に立ち、刃中には砂流し、飛焼、金筋が入り混じり、極めて層の厚い出来映えを示しています。本作は第52回重要刀剣に指定されており、田野辺先生による詳細な鞘書がその格調をさらに高めています。元は長大な太刀であったものが、時代の変遷とともに大磨上げ無銘となったもので、伝来の良さを物語る鎌倉太刀の典型的な姿と言えます。 外装は幕末期の洗練された意匠による一揃いの小道具で飾られています。鐔は長州河治友信と鑑みられる鉄磨地で、名高い「八橋に菖蒲」の図が施されています。縁頭は吉岡派の手によるもので、鞭に矢、そして靭(ゆき)を描き、武家の馬上の勇姿を彷彿とさせます。また、馬図の小柄が添えられており、かつてこの刀が馬上で帯された時代背景を今に伝えています。 商品番号 UJKA214 種別 刀(太刀大磨上げ) 鑑定 畠田光守(無銘)

Hatakeda (Bizen) · 備前 · 1278-1288頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位11%
畠田派の光守は鎌倉後期備前の刀工で、銘鑑に正応(一二八八~九三)頃の作と伝える。重要美術品の堀田家伝来の太刀は、その判断を率直に記す。すなわち「この光守は銘鑑に正応(一二八八~九三)頃の畠田派の刀工とあるもの」[[c:7]]に該当するであろう、という。説明書はそれ以上に系譜が定まらないことを明記し、銘鑑には年代も系譜も明らかでない。これに代わって工を支えるのは、その作風である。数少ない在銘作をみるに、蛙子丁子の目立つ華やかな丁子乱れが守家系を想わせ、銘の振り方もこれに相通じると説明書は記す。とりわけ二代守家に近いと極められ、数少ない在銘作が多くの無銘極めの拠り所となる。
見どころは、畠田派の標である蛙子丁子を主調とした、焼幅の広い匂出来の華やかな丁子乱れである。板目に杢を交えて肌立ちごころとなった鍛えの上に立ち、足・葉さかんに働き、焼に高低を見せて密に乱れる。説明書に繰り返し現れる工レベルの一文が、一門の作域をひとつの像に定める。代表作の二口、堀田家伝来の太刀と秋元家伝来の折返銘の脇指は、「これらは共に焼幅の広い、匂出来の丁子乱れを焼いて華麗な作風を示している」[[c:2]]という。大磨上無銘の作はこれを読み下したもので、丁子に互の目・尖り刃を交え、小沸つき匂口明るい。第五十回の刀について説明書は、刃文が「彼の特色を明示しており、匂口が明るく」[[c:8]]優れた出来映えを示すと記す。
地鉄は板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、地景細かに入る。これに乱れ映りが鮮やかに立ち、ほぼ全作で真先に挙げられ、肌立ちごころの板目とともに説明書が最も確かに指す見どころである。録中最も早い第十四回の太刀がその調子を直ちに示す。すなわち「板目やや流れごころに肌立ち、乱れ映りあざやかに立つ」[[c:3]]と。刃中には金筋・砂流しが細かにかかり、働きの賑やかな作では焼頭に沿って飛焼を交える。帽子は乱れ込んで先尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に返る。匂口は時にややうるみごころを帯びるが、優れた作では明るく冴える。
作群は二つの面に分かれる。在銘の面は最も華やかで、よく詰んだ小板目に焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼き、袋丁子・蛙子丁子・重花丁子を交え、匂深く匂口明るく冴え、足・葉が働く。銘は大振りで個性的な二字銘を細鏨で切り、磨上のものは額銘あるいは折返銘として遺る。ある一口について説明書は、大磨上ながらも「常の通り細鏨で大振り」[[c:9]]であると記す。典型の面は大磨上無銘の極めで、総体の出来と焼刃が在銘作によく結ばれることから、繰り返しの言葉どおり、焼刃の様相と総体の出来より光守の極めが導き出される。第二十四回の刀はその理を率直に述べ、「蛙子丁子が目立つ華やかな丁子乱れが一見守家系と首肯され、銘振りも相通じるものがある」[[c:4]]という。
畠田派にあって光守は兄弟弟子の眞守と並び、両者は蛙子丁子を交えた焼幅の広い匂出来の丁子乱れと鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれ、これが一派を長船本流へと導く作風である。説明書はその個性を比較によらず、自身の作の持つもので描く。すなわち古備前の手に見られない、温度の濃い蛙子丁子、ほぼ全作に立つ乱れ映り、そして畠田の兄弟弟子よりやや開きごころに読まれる板目である。第四十二回の太刀について説明書は、乱れ映りの立った鍛えに蛙子風を交えた丁子を主調とする出来が「同工の特徴がよく表れている」[[c:5]]と記し、銘の下字が目釘孔にかかって判読しえぬところも、遺る「光」字の書風と作風から、その作に疑いはないとする。
光守は藤代の極めで上々作。重要刀剣十口を数え、これに重要美術品二口が加わる。後者は説明書が挙げる二口の在銘代表作、堀田家伝来の太刀と秋元家伝来の折返銘の脇指である。堀田家の太刀は「光山押形にも所載され」[[c:10]]、藩政時代は徳川将軍家に伝来した。重要美術品の二口はいずれも現在東京国立博物館の所蔵であり、在銘の重要刀剣の太刀の一口は、説明書のいうとおり「数少ない光守の有銘作として注目される」[[c:6]]もので、資料的にも貴重である。その作に録された来歴は、堀田家・秋元家、徳川将軍家・秋元家、そして皇室の手を経る。博物館蔵の重要美術品二口は取引されぬ伝来であり、残る十口は重要刀剣の級にあって在銘の作は乏しく、光守が市に現れることは稀で、求めるには時を待つほかない一口である。
光守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在6点販売中
畠田派は鎌倉時代中期の備前国に興った一門で、長船村に直に隣接する畠田の地に住したことから、その祖を畠田守家と呼ぶ。守家および一門の真守らに「畠田住」と銘したものは未見で、いずれも「備前国長船住守家造」[[c:1]]などと長船住に切ることから、畠田はおそらく長船村のなかの小字であったと推察されている。守家には文永九年(一二七二)紀の太刀を最古として在銘作があり、長船光忠・長光と同時代に鍛えた工としてその名を立てる。銘鑑はその系を福岡一文字の守恒系に置くが、守家の作はすでに福岡一文字の古調を離れ、長船一派が古典の姿を結ぶその近き圏内に位置する。守家の代別はなお定まらず、通説は初代を光忠、二代を長光と同年代の刀工とする二代説を伝えるが、初二代を銘字のみで明確に分けることは難しく、一人説を唱える向きもあって、今後の研究課題とされている。 一門の作風は同時代の長船刀工に近似するが、地鉄が肌立ち、焼刃に蛙子丁子が目立つところに共通の特色がある。鍛えは板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、その上に乱れ映りが鮮やかに立つ。この肌立つ備前地に立つ冴えた映りは、ほぼ全作に挙げられる確かな見どころである。刃文は華やかな丁子乱れを主とし、腰のくびれた頭の丸い蛙子丁子を交え、袋丁子・重花丁子・互の目・尖りごころの刃を加え、足・葉さかんに入り、小沸つき、処々飛焼・湯走りを見せ、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るい。帽子は乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに掃きかける。蛙子丁子こそ最大の鑑識点で、光忠も交えるが、これほど中心に据えた同時代工はなく、長光には稀である。祖守家はこの華やかさをもっとも強く示し、地の肌立ちと刃沸の強さにおいて隣人の長船物を凌ぐ。子と伝える真守はその見どころをよく受け継ぐが、乱れがやや小模様となる傾向があり、銘も太字の華やかな作と、長光・景光に近い小振りの作とに分かれる。光守もまた焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて守家系に近く、いずれも蛙子丁子と鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれる。 鑑定の勘所は、この一門を福岡一文字や長船嫡流から分かつ点にある。長船の名手の丁子が丸く豊かに張るところを、畠田のそれは腰でくびれ、そのくびれこそ畠田の刀の運ぶ最も確かな一事である。地もまた、光忠のつむ地に対して守家の地は肌立ち、刃沸はより強く集まる。それゆえ上作が長船に紛れるとき、極めの拠るのはまさにこの肌立つ鍛えと蛙子丁子であり、無銘作では蛙子が大房に乱れるところに極めどころがあるとされる。華やかな丁子乱れの傍らに、一門は穏やかな作域も持つ。守家後期の一群は片落ち互の目・角互の目を主調とし、鎌倉後期の長船正系に通い、子守重に至っては直刃調に互の目を交える手と、景光・元重を思わせる片落ち互の目とがあって、畠田派よりむしろ長船色が濃い。守重の子と伝える守長は南北朝の代に下り、沸の盛んな相伝備前風の乱れに転じて、もはや備前の脈は丁子の交じりとして残るのみとなる。かくして一派は次第に長船派へ溶け込んでいく。守家は藤代の極めで最上作とされ、その作は重要文化財・重要美術品に及び、徳川家・細川家・上杉家・三井家・奥平家、さらに皇室の手を経て、京都国立博物館・徳川美術館・静嘉堂文庫・永青文庫などに蔵される。真守・光守の作にも紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家・堀田家・秋元家などの伝来が録され、名家の歴史を負って今日に伝わっている。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.
UJKA214 – 売約済 畠田光守 大刀 (畠田光守) 畠田光守は鎌倉時代における備前国の名工であり、備前国畠田村を拠点に活躍した同派を代表する工です。畠田派は鎌倉時代後期の備前鍛冶において中核をなす存在であり、藤代義雄氏の評価においても「上々作」に列せられる光守はその筆頭に挙げられます。光守の刀は古来、堀田家や秋元家といった大名家に珍重されてきましたが、現存する作刀は極めて稀少です。 本作は、鎌倉期の上々作に相応しい気品に満ちた姿を見せています。小板目に杢目が交じり、地沸厚くつき、地景が細かく入る精緻な鍛えに、華やかな互の目丁子乱れを焼き、畠田派の特色である「蛙子丁子」が鮮やかに現れています。さらに地には乱れ映りが鮮明に立ち、刃中には砂流し、飛焼、金筋が入り混じり、極めて層の厚い出来映えを示しています。本作は第52回重要刀剣に指定されており、田野辺先生による詳細な鞘書がその格調をさらに高めています。元は長大な太刀であったものが、時代の変遷とともに大磨上げ無銘となったもので、伝来の良さを物語る鎌倉太刀の典型的な姿と言えます。 外装は幕末期の洗練された意匠による一揃いの小道具で飾られています。鐔は長州河治友信と鑑みられる鉄磨地で、名高い「八橋に菖蒲」の図が施されています。縁頭は吉岡派の手によるもので、鞭に矢、そして靭(ゆき)を描き、武家の馬上の勇姿を彷彿とさせます。また、馬図の小柄が添えられており、かつてこの刀が馬上で帯された時代背景を今に伝えています。 商品番号 UJKA214 種別 刀(太刀大磨上げ) 鑑定 畠田光守(無銘)

Hatakeda (Bizen) · 備前 · 1278-1288頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位11%
畠田派の光守は鎌倉後期備前の刀工で、銘鑑に正応(一二八八~九三)頃の作と伝える。重要美術品の堀田家伝来の太刀は、その判断を率直に記す。すなわち「この光守は銘鑑に正応(一二八八~九三)頃の畠田派の刀工とあるもの」[[c:7]]に該当するであろう、という。説明書はそれ以上に系譜が定まらないことを明記し、銘鑑には年代も系譜も明らかでない。これに代わって工を支えるのは、その作風である。数少ない在銘作をみるに、蛙子丁子の目立つ華やかな丁子乱れが守家系を想わせ、銘の振り方もこれに相通じると説明書は記す。とりわけ二代守家に近いと極められ、数少ない在銘作が多くの無銘極めの拠り所となる。
見どころは、畠田派の標である蛙子丁子を主調とした、焼幅の広い匂出来の華やかな丁子乱れである。板目に杢を交えて肌立ちごころとなった鍛えの上に立ち、足・葉さかんに働き、焼に高低を見せて密に乱れる。説明書に繰り返し現れる工レベルの一文が、一門の作域をひとつの像に定める。代表作の二口、堀田家伝来の太刀と秋元家伝来の折返銘の脇指は、「これらは共に焼幅の広い、匂出来の丁子乱れを焼いて華麗な作風を示している」[[c:2]]という。大磨上無銘の作はこれを読み下したもので、丁子に互の目・尖り刃を交え、小沸つき匂口明るい。第五十回の刀について説明書は、刃文が「彼の特色を明示しており、匂口が明るく」[[c:8]]優れた出来映えを示すと記す。
地鉄は板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、地景細かに入る。これに乱れ映りが鮮やかに立ち、ほぼ全作で真先に挙げられ、肌立ちごころの板目とともに説明書が最も確かに指す見どころである。録中最も早い第十四回の太刀がその調子を直ちに示す。すなわち「板目やや流れごころに肌立ち、乱れ映りあざやかに立つ」[[c:3]]と。刃中には金筋・砂流しが細かにかかり、働きの賑やかな作では焼頭に沿って飛焼を交える。帽子は乱れ込んで先尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に返る。匂口は時にややうるみごころを帯びるが、優れた作では明るく冴える。
作群は二つの面に分かれる。在銘の面は最も華やかで、よく詰んだ小板目に焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼き、袋丁子・蛙子丁子・重花丁子を交え、匂深く匂口明るく冴え、足・葉が働く。銘は大振りで個性的な二字銘を細鏨で切り、磨上のものは額銘あるいは折返銘として遺る。ある一口について説明書は、大磨上ながらも「常の通り細鏨で大振り」[[c:9]]であると記す。典型の面は大磨上無銘の極めで、総体の出来と焼刃が在銘作によく結ばれることから、繰り返しの言葉どおり、焼刃の様相と総体の出来より光守の極めが導き出される。第二十四回の刀はその理を率直に述べ、「蛙子丁子が目立つ華やかな丁子乱れが一見守家系と首肯され、銘振りも相通じるものがある」[[c:4]]という。
畠田派にあって光守は兄弟弟子の眞守と並び、両者は蛙子丁子を交えた焼幅の広い匂出来の丁子乱れと鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれ、これが一派を長船本流へと導く作風である。説明書はその個性を比較によらず、自身の作の持つもので描く。すなわち古備前の手に見られない、温度の濃い蛙子丁子、ほぼ全作に立つ乱れ映り、そして畠田の兄弟弟子よりやや開きごころに読まれる板目である。第四十二回の太刀について説明書は、乱れ映りの立った鍛えに蛙子風を交えた丁子を主調とする出来が「同工の特徴がよく表れている」[[c:5]]と記し、銘の下字が目釘孔にかかって判読しえぬところも、遺る「光」字の書風と作風から、その作に疑いはないとする。
光守は藤代の極めで上々作。重要刀剣十口を数え、これに重要美術品二口が加わる。後者は説明書が挙げる二口の在銘代表作、堀田家伝来の太刀と秋元家伝来の折返銘の脇指である。堀田家の太刀は「光山押形にも所載され」[[c:10]]、藩政時代は徳川将軍家に伝来した。重要美術品の二口はいずれも現在東京国立博物館の所蔵であり、在銘の重要刀剣の太刀の一口は、説明書のいうとおり「数少ない光守の有銘作として注目される」[[c:6]]もので、資料的にも貴重である。その作に録された来歴は、堀田家・秋元家、徳川将軍家・秋元家、そして皇室の手を経る。博物館蔵の重要美術品二口は取引されぬ伝来であり、残る十口は重要刀剣の級にあって在銘の作は乏しく、光守が市に現れることは稀で、求めるには時を待つほかない一口である。
光守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在6点販売中
畠田派は鎌倉時代中期の備前国に興った一門で、長船村に直に隣接する畠田の地に住したことから、その祖を畠田守家と呼ぶ。守家および一門の真守らに「畠田住」と銘したものは未見で、いずれも「備前国長船住守家造」[[c:1]]などと長船住に切ることから、畠田はおそらく長船村のなかの小字であったと推察されている。守家には文永九年(一二七二)紀の太刀を最古として在銘作があり、長船光忠・長光と同時代に鍛えた工としてその名を立てる。銘鑑はその系を福岡一文字の守恒系に置くが、守家の作はすでに福岡一文字の古調を離れ、長船一派が古典の姿を結ぶその近き圏内に位置する。守家の代別はなお定まらず、通説は初代を光忠、二代を長光と同年代の刀工とする二代説を伝えるが、初二代を銘字のみで明確に分けることは難しく、一人説を唱える向きもあって、今後の研究課題とされている。 一門の作風は同時代の長船刀工に近似するが、地鉄が肌立ち、焼刃に蛙子丁子が目立つところに共通の特色がある。鍛えは板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、その上に乱れ映りが鮮やかに立つ。この肌立つ備前地に立つ冴えた映りは、ほぼ全作に挙げられる確かな見どころである。刃文は華やかな丁子乱れを主とし、腰のくびれた頭の丸い蛙子丁子を交え、袋丁子・重花丁子・互の目・尖りごころの刃を加え、足・葉さかんに入り、小沸つき、処々飛焼・湯走りを見せ、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るい。帽子は乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに掃きかける。蛙子丁子こそ最大の鑑識点で、光忠も交えるが、これほど中心に据えた同時代工はなく、長光には稀である。祖守家はこの華やかさをもっとも強く示し、地の肌立ちと刃沸の強さにおいて隣人の長船物を凌ぐ。子と伝える真守はその見どころをよく受け継ぐが、乱れがやや小模様となる傾向があり、銘も太字の華やかな作と、長光・景光に近い小振りの作とに分かれる。光守もまた焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて守家系に近く、いずれも蛙子丁子と鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれる。 鑑定の勘所は、この一門を福岡一文字や長船嫡流から分かつ点にある。長船の名手の丁子が丸く豊かに張るところを、畠田のそれは腰でくびれ、そのくびれこそ畠田の刀の運ぶ最も確かな一事である。地もまた、光忠のつむ地に対して守家の地は肌立ち、刃沸はより強く集まる。それゆえ上作が長船に紛れるとき、極めの拠るのはまさにこの肌立つ鍛えと蛙子丁子であり、無銘作では蛙子が大房に乱れるところに極めどころがあるとされる。華やかな丁子乱れの傍らに、一門は穏やかな作域も持つ。守家後期の一群は片落ち互の目・角互の目を主調とし、鎌倉後期の長船正系に通い、子守重に至っては直刃調に互の目を交える手と、景光・元重を思わせる片落ち互の目とがあって、畠田派よりむしろ長船色が濃い。守重の子と伝える守長は南北朝の代に下り、沸の盛んな相伝備前風の乱れに転じて、もはや備前の脈は丁子の交じりとして残るのみとなる。かくして一派は次第に長船派へ溶け込んでいく。守家は藤代の極めで最上作とされ、その作は重要文化財・重要美術品に及び、徳川家・細川家・上杉家・三井家・奥平家、さらに皇室の手を経て、京都国立博物館・徳川美術館・静嘉堂文庫・永青文庫などに蔵される。真守・光守の作にも紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家・堀田家・秋元家などの伝来が録され、名家の歴史を負って今日に伝わっている。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.